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このブログではイラスト・デザインの仕事をしているタケマツのサイトSituation designのお知らせやサイトの更新情報を掲載しています。
現在このブログは雑記などの記事を移動中です。諸事情ありまして作業が大変遅れております。。。


ヘビイチゴ

ヘビイチゴ昨年は撮り損ね、今年こそ撮るぞ!と気合をいれて撮ろうとしたのはよいけれど、なかなかピントが合わず苦労したヘビイチゴ。
ヘビイチゴを撮るのはとても難しい…。
縮小されたためか、赤いつぶつぶの部分が分かりづらくなってしまった。
もうちょっと良く撮れているんだけどな (^-^:
(デジカメ使用)

D-TOX

『D-TOX』。あまり評判(評価?)はよろしくないようですが、私はけっこう好きですこの映画。
シルヴェスター・スタローンがかっこいいだけ、といえば本当にそれだけなのかもしれないけれど…
FBIモノが好きなので私にとっては色々と楽しめる作品なのです。
B級であろうとも、スタローンの演技、特に恋人が殺されて悲しみ苦悩している様子が、心を打たれるわけなんです。
犯人がどうこうで、推理して当てるぜ!なんていう気はさらさらなくスタローンの動きばかり見ちゃいます。
いつも犯人探しに躍起になっているワタクシとは大違いです。
だからすきなのかな?
D-TOX 2002年アメリカ制作  goo 映画
【監督】Jim Gillespie 【脚本】原作:Howard Swindle 脚色:Ron L Brinkerhoff
【キャスト】
マロイ:Sylvester Stallone(シルヴェスター・スタローン)
ヘンドリックス:Charles S. Dutton(チャールズ・S・ダットン)
ジェニー:Polly Walker(ポリー・ウォーカー)
ドック:Kris Kristofferson(クリス・クリストファーソン)
スレイター:Christopher Fulford(クリストファー・フルフォード)
シャウォルスキー:Jeffrey Wright(ジェフリー・ライト)
ハンク:Tom Berenger(トム・ベレンジャー)
ノア:Robert Patrick(ロバート・パトリック)
コナー:Sean Patrick Flanery(ショーン・パトリック・フラナリー)
ジャック:Stephen Lang(スティーブン・ラング)
ギルバート:Alan C. Peterson(アラン・シー・ピーターソン)
マッケンジー:Robert Prosky(ロバート・プロスキー)
ジョーンズ:Courtney B. Vance(コートニー・B・ヴァンズ)
メアリー:Dina Meyer(ディナ・メイヤー)
※ショーン・パトリック・フラナリーは“インディー・ジョーンズ若き日の冒険”で主題歌を歌っていました!CDシングル『あくなき挑戦(CROOKED CROSSES FOR THE NODDING GOD)』はアルバム共に現在は廃盤。。。

ベランダ

ベランダで毎年花を咲かせるサボテンの仲間の植物。今年も綺麗に咲きました。
(デジカメ使用)

ザ・グリード

この手の映画はだいたい生き残る人間がわかる。大抵は主人公とヒロイン役に等しい女性ともうひとり。
今回もビンゴ!でそんな感じだった。
プラスアルファになる人物がパントゥッチとハノーバーのどちらか少々悩んだんだけど、技術者的なパントゥッチがエンジンをかけなければならないという役目のためハノーバーが消えた。途中パントゥッチが死んじまった!と二人だけで脱出したものの、ラストになってサーフボードに乗って登場したところがちょっとお茶目な作りだった。
プラスアルファな生存人物は真面目で温厚タイプかお茶目タイプの二つに分かれるらしい。
キャントンが最後まで頑張っていたけどここでは怪物以外での悪役なのでしぶとかったのだろう。
絶対笑顔を漏らしそうにないハノーバーはパントゥッチとの掛け合いでコミカルな最後を遂げた…。ロシアンルーレットだったらラッキーだったのにな…!
あの巨大な蛸怪物は足先の口部分でじゅるりと吸い込むくせに、吸い込んだときには必ず血が飛ぶ。
ぶしゅっと。じゅるっと吸い込んだ感じだけど実は足先で喰っていたのだろうか?一応歯のようなものが吸い込み口に付いてはいたが…。
フィネガンが蛸怪物に捕まってしまったところでは、何故か足先のお口は機能していない。
フィネガンに足を巻きつけて本体のお口でいただこうとしているわけ。
何で足先でじゅるりといかないんだ!じゅるりとっ!!他の人間は皆いとも簡単にじゅるりされていたぞ!
主人公は殺させない&カッコよく攻撃させ敵の攻撃は上手く回避するのセオリーのための一場面なんだろうな。
ヒーロー度が急上昇ですぞ。
そういえば途中で骨がたくさんあったところ、上から下まで人間の骨が一揃いにそろっていてまるで骨格標本のようだった。しかも何故か血塗れ。血みどろな骨格標本たち。
吸い込んだんだか喰ったときに血しぶきをあげるほど潰したはずなのに、この遺体(骨)には骨折の跡が見られない。
蛸怪物は肉などのたんぱく質部分をきれいに残さず喰らった後、魚の骨をきれいに残すかのごとく骨格標本を残し、喰った時に吸収したであろう血を墨を吹く要領でふりかけていったっちゅうことですかね。
触覚並にそして非常に素早く移動して獲物を狙っていたはずなんだけど、なかなか仕事をするヤツだ。自分の喰い方にえらくポリシーを持っている。でなけりゃあんなにたくさん残せないでしょ、骨格標本。
もうひとつ必ず起きるのが、もう脱出できるから安心だ!というところで脱出を中断し引き返すという行動。「正気かよ!?」とパントゥッチが言ったのも頷けます。命あっての物種。
しかし、非常事態だからこそ人を思い遣る心を忘れてはいけないわけです。特にヒーローは常にそうあらねばならぬ。ヒロイン役は助けなければならぬ…。でも観ているこっちはハラハラしてしまう。こんなにもハラハラさせられるとハラハラが気持ちイライラに変わることもあり。何事も一筋縄ではゆかず、映画のストーリーも同様なり。
ハラハライライラしたにもかかわらず、生き残った登場人物たちが笑顔で安堵している姿を見るとなぜかこっちも安堵してしまい、喜びさえ感じてしまう。「もう一度観ようか…」なんて思った暁には“してやられたり!”だ。制作側としては“してやったり!”で、結局この映画(ストーリー)に見入ってしまっていたというわけなのだ。
…でもラストまで観たからこそ安心してもう一度観られるということもありなのだよ。
Deep Rising 1998年アメリカ制作  goo 映画
【監督】スティーヴン・ソマーズ 【脚本】スティーヴン・ソマーズ
【キャスト】
フィネガン:トリート・ウィリアムズ
トリリアン:ファムケ・ヤンセン
キャントン:アンソニー・ヒールド
パントゥッチ:ケヴィン・J・オコナー
ハノーバー:ウェス・ストゥディ
アルゴノーティカ号船長:デリック・オコナー
モリガン:ジェイソン・フレミング

『世界ビジネス ジョーク集』

世界ビジネスジョーク集
おおばともみつ著
中公新書ラクレ 2003年7月15日3版

図書館の世界文学が並んでいるいちばん端の見えないようなところに隠れていた『世界ビジネス ジョーク集』。
なぜ世界文学に並びに?“世界”が付くからか?ちと疑問。たまにこういう不思議な並びを見かけるが図書館はどういう風にジャンル別けしているのだろう…。
図書館はさておき、この本は掲載されているジョークを自由に使って良いというなんとも素敵な本なのだ。
奥付を確認したところ「無断転載禁止」の文字も見当たらないので、本当に使っても良いみたい。
一応 “用法・用量(使いすぎは逆効果になることがある)を守り、食前、食後、食間……” と書いてあるので、処方箋どおりに三つほど使用させていただこうと思う。恐らく今回の雑記は「食前、食後、食間」の三回に分けて読むと効果的になるのだろうと。。。

一つ目は大学の講義で聴いた事のあるジョーク。どの講義だったかは忘れてしまったが、教授もこの本読んだのかな…?ネタ元かしら!?
【大統領への三通の手紙】
前大統領は、新大統領に三通の手紙を渡しながら、こう言った。
「難局に遭遇したら、第一の手紙を読むといい。再度、難局に遭遇したら第二の手紙を。
三度、難局に立ち至った場合には、第三の手紙を開けるんだ 」
****
最初にぶつかった難局で、新大統領は前大統領の言葉を思い出して、第一の手紙を開いた。
「前政権が悪いと言って、その難局を切り抜けろ 」
新大統領は手紙に従って前政権に責任を押しつけ、無事に難局を切り抜けた。
****
しばらくして、第二の難局がやってきた。第二の手紙を開くと、そこにはこう書いてあった。
「悪いのは議会だと言って、その難局を切り抜けろ 」
新大統領は議会を悪者に仕立て上げ、なんとかこの難局を切り抜けた。
****
三度目の難局にぶつかって、三通目の手紙を開かざるをえなくなった。そこにはこう書かれていた。
「君も私と同じように三通の手紙を書いて、次の大統領に渡しなさい 」
結局大統領は何もしていないのですか?と聴きたくなってしまう。
何かしらの政策の結果手紙を開くんだろうけど。
大統領が代わる度に三通の手紙という儀式が行われていたら厭だな。厭というか困る。
何が遭っても二回目までしか回避できないのだし。
必ず三回目には政権交代!になるとは国民を莫迦にしている。。。(大統領も一国民ではあるけれど)。
三通目を読むと「なるほど」と思ってしまう。そんな政権は早く交代しておしまいなさい!と。
国の代表なんてそんなものなのかもしれん。講義で聴いた頃(何年か前)は「なんとまあ!」と嘆賞してしまった私ですが……これって三段オチだもの。
二つ目はジョークというかなんというか…。
【ロシア首脳の法則】
ロシアのおもちゃ"マトリョーシカ"。人形が入れ子になっていて、エリツィンのマトリョーシカもある。
このエリツィン版はエリツィンの中にはゴルバチョフ、ゴルバチョフの中にはチェルネンコ、そしてアンドロポフ、ブレジネフ、フルシチョフ、スターリン、レーニンとロシアの歴代首脳が順番に入っている。
全員を並べてみると、なんと髪がふさふさの首脳と髪が薄い首脳が交互になる。
これがロシア首脳の法則。
非常〜に有名なのでたいていの人が知っているはず。
それなのにこれを選んだわけはただ一つ!このマトリョーシカを実際に見たことがあるからなのだ。
高校三年の選択世界史の授業、東大出身の世界史教師(あだ名はパピヨン)がロシアに行ったときに
買ったというマトリョーシカを持ってきた。
ガタガタと教壇の横に机を並べて、エリツィンからゴルバチョフを出し、チェルネンコをだしと次々と歴代首脳を
次期首脳の中から解放してゆく。最後に出てきたレーニンの これまた小さいことと言ったらない。
ちなみにパピヨンはロシア歴代首脳の名前を全員空で言えるのだ。さすが!
そして髪が有る無し(禿頭症)の法則をちゃんと教えてくれた。
ダジャレ好きな東大出身だったので自分で言って先に自分が笑っていた…まいったね。
実際にこのマトリョーシカが並ぶとなかなか圧倒させられるのだ。――実は欲しい!
三つ目。単に読んで気に入ってしまっただけ。ベタに面白い。でもこういうのは大好きだ。
【誰がパラシュートをつけるか】
クリミア半島の保養地でサミット会議をやろうということで、ゴルバチョフ、サッチャー、チャウシェスク(ルーマニア大統領)、カダフィー(リビア首相)、ローマ法皇の五人が同じ飛行機で飛んでいた。
軍事訓練をしていた某国のミサイルが誤ってこの飛行機のエンジンを破壊してしまった。
急降下を続ける機内でパイロットが叫んだ。
「パラシュートをつけて飛び降りてください。ただパラシュートは四つしかありません 」
「私は西側の代表だから」と言ってサッチャーが飛び降りた。
ゴルバチョフも「私は東側の代表だから」と言って飛び降りた。
するとチャウシェスクが「私の英知は、世界が必要としている」と言って飛び降りた。
ローマ法皇がカダフィーに言った。
「私は神に召された身だ。カダフィーさん、あなたが降りなさい」
その時パイロットが後ろを向いて言った。
「お二人とも降りられますよ。チャウシェスクさんはリュックサックをつけて降りました」
チャウシェスクー!!!!
なんだかもうどうにもこうにもチャウシェスクと叫びたくなる…。
飛び降りてからどれくらいで気がついたんだろう、リュックサックだったって。
でもきっと空中遊泳を楽しんでいるに違いないよ。
パイロットの一言でローマ法皇とカダフィーがどんな反応をしたかの勝手な再現(?)はラクガキを見てください。……とジョークのストーリーにばかり目がいってしまう。
実際はチャウシェスクだから面白いのだというところなんだけどねえ。
私はこのストーリー性に首ったけですよ。
ところでパイロットはどうなったんだ。。。

Notabene 45. Ein Tagebuch von Erich Kästner.

『ケストナーの終戦日記― 一九四五年を忘れるな』
エーリヒ・ケストナー著 / 高橋健二 訳
駸々堂 1985年8月15日第1刷
Notabene 45. Ein Tagebuch von Erich Kästner.

終戦間際までよくベルリンに留まっていたなあと思う。戦火を潜りぬけたとはいえほとんどの所持品を失い、住む家もなくなり…銀行の預金は凍結されているし、執筆も出版も禁止。これでもかといった仕打ちだ。焼けてしまった蔵書、四千冊にはどんな本があったのだろう。戦後、出版物の補償はしてもらえるだろうけど、蔵書までは補償対象外なんだろうな。
第三帝国の執拗さといったらベトベトだ。戦争中は行動力とガッツがないと生き延びられないと毎度思ってしまう。あとは運…いやいや、体力と知力と勘が三位一体になって初めて生き残ることができるのだ。英知なくしては体力も無駄に消費してしまうし、鋭い勘の働きなしに英知だけでは下手をすると理屈をこねている間に死ぬだろうし、せっかくの勘も体力なしには身体が動かない…と無理矢理グーチョキパーの関係を作ってみました。
何より真っ当な人間性と非常事態でも人を思い遣る心が大切だし必要だ。
本書の邦訳タイトルは『ケストナーの終戦日記』。
1945年2月から始まっているのだか訳者の考えで終戦日記にしたらしい。
そこら辺は訳者あとがきを参照。
ケストナーの日記は内容を美化せずにそのまま個人の体験記録として書かれている。まえがきには「日記は芸術作品であろうとすればするほど、日記でなくなる」と記してある。美化強化協会にも自己美化協会にも属していないのだそうだ。私もどちらかと言えば自己美化協会には属したくないので、ここでは人名以外はありのままを書いている。しかしながらケストナーのありのままっぷりと言い回しには尊敬だ。たまにはケストナーのように気の利いた文句のひとつも書いてみたいもんだ。憧れちゃいます。

こちらコーヒーになります。

読売新聞の日曜版に載っていた記事の中で面白いものがあった。
“長井好弘編集長のうたた寝帳”というコラム。ファミレス、コンビニの摩訶不思議用語(ファミ・コン言葉というらしい?)の中のひとつで「こちらコーヒーになります。」だ。

「こちらコーヒーになります」って言うから飲まずに待っていたら、冷めてアイスコーヒーになった

…読んだ瞬間「あれ?」と思ったんだけれども、気が付けばなーるへそ!
これまでにも「なります」はどうも変だと思っていたが、この感覚はなかったので新鮮でならない。
「なります=ある状態から別の状態に変わる」のだから運ばれてきたカップの中身がコーヒーになる(変化する)のを待っていたというわけなのだ。
落語だからと言われても、話半分で聞けと言われてもこれには納得してしまう。せっかく待っていたというのにホットコーヒーにならなかったとは残念だ。

いったいこの「なります」という言葉はいつごろから接客用語として使用されるようになったのだろう?
そういえば高校の古典文法で断定の「なり」というのを習った。
当時「なら、なり・に、なり、なる、(なれ)、体言活用語・連体形」と覚えた「なり」。
これを訳すと「だ。〜である。」なので現代で「なります」といえば「〜です。」という意味合いにもなるのかもしれない。
ならば素直に「コーヒーです(でございます)。」と言えば早いだろうに…。
しかも「こちら」が付くから余計にややこしくなる。
古典文法ではもうひとつ推定の「なり」も存在するわけで、そうなると
「こちらコーヒーになります=これはどうもコーヒーのようだ」
とまあ何が出てきたのか分からない状況になってしまう。
伝聞の「なり」になるともう「これはコーヒーと聞いている」…
『―って、ちょっとウェイトレスさん、いま持って来たのはコーヒーじゃあないの!? コーヒーを注文したのにな…店長さ〜ん!!』なんてことにもなってしまう。恐ろしいですね。もうお手上げ!

[太字箇所は読売新聞2006年5月14日日曜版7頁より引用]

ヒート

アル・パチーノとロバート・デ・ニーロが出ていて渋い。
特にロバート・デ・ニーロがカッコいい。彼だからこそ悪が悪でなく見えるのだ。
警察が正義で勝ちというのがセオリーだとわかっていても、ニール(ロバート・デ・ニーロ)には生きていて欲しかった…。カッコいく散るのもまた悪役の務め。醍醐味。でもなんだか腑に落ちないような…最後に死なねばならなかったのか。
途中で警官が何人撃たれて死んだのか、あまりの殉職率の高さに、職場は大丈夫なのかと少々心配になる。

Heat 1996年アメリカ制作  goo 映画
【監督】マイケル・マン 【脚本】マイケル・マン
【キャスト】
ヴィンセント・ハナ:アル・パチーノ
ニール・マッコーリー:ロバート・デ・ニーロ
クリス:ヴァル・キルマー
ネイト:ジョン・ヴォイト
チェリト:トム・サイズモア
ジャスティン:ダイアン・ヴェノーラ
イーディ:エイミー・ブレネマン
シャーリーン:アシュレイ・ジャッド
カザルス:ウェス・ステューディ
ドラッカー:ミケルティ・ウィリアムソン
ボスコ:テッド・レヴィン
ローレン:ナタリー・ポートマン

のんびり散策

ゴールデンウィーク半ばの今日はのんびりと散策に出掛けました。デジカメを持って、芦花公園方面に行き、久々に蘆花垣春園と徳富蘆花記念館にも行きました。記念館は中には入らずに外側をぐるりしただけですが、外側もなかなか植物で楽しめます。
公園では親子や家族でバトミントンやサッカーをして元気よく遊んでいました。お祖父さんお祖母さんも頑張っていた模様。激しく縄跳びに励む少女たちもいました。密かなる縄跳びブーム?
そんな具合なので公園全体はとても長閑な感じ。昔と違ってこの公園も恐い暗いイメージがだいぶ払拭されたような気がします。春だからだろーか。。。環八のせいで外側の空気は相変わらずすこぶる悪いですが、公園内の木々が新鮮な空気を送ろうと苦心しているようです。
公園へ向かう途中、休憩したベンチのある道では木から一匹の毛虫がつつつつーっと下りてきました。風に吹かれてブラブラしつつも、糸が伸びにのびてから地面に到着。道路を横断する途中で車の餌食にならないと良いなと思いながら見守っていると、急に進行方向を変えて花壇のほうへえっちらほっちら去っていきました。毛虫や芋虫のウニウニした動きはなんとも愛らしく思えてなりません。
【徳富蘆花のこと】
徳富蘆花−とくとみ ろか−(1868-1927)
小説家。本名は健次郎。主な作品『不如帰』、『自然と人生』など。








撮影:タケマツ / 撮影日:2006年5月4日 / コンパクトデジタルカメラ使用

ヘルマン・ヘッセ展

ヘルマン・ヘッセ展初めてヘルマン・ヘッセの本を読んだ時、私はヘルマン・ヘッセという人物はものすご〜くガンコなじいさんなのだというイメージを持った。
読んだ本『人は成熟するにつれて若くなる』が、彼の書いた小説ではなく、他人がまとめている上に、老年になってからのもの(エッセイ等)だったためにそんなイメージを持ったのかもしれない。 とにかく“ガンコなじいさん=ヘルマン・ヘッセ”でこの展示に行ったものだから、目からウロコだったのは言うまでもない。
出迎えてくれた写真は、厳めしい顔つきのヘッセではなく庭仕事で草花を愛でている、満面の笑顔のヘッセ。同一人物?と一瞬考えてしまうほどに違う人に思えた。勝手にガンコなじいさんだと思っていたから余計にだ。家族と写っている写真も暖かさが滲み出ている。
完全なる善いおじいさん。第一印象というのはこうも違うものなのだろうか。
今回の展示は文学よりも水彩画がメインに思えたが、その絵の枚数が多いことこの上ない。
40歳から始めたという絵だが、結果的には人生の半分以上を絵を描いていた期間が占めている。
“NEVER TO LATE”そのままに何事にも遅すぎるということはないのだ。
最初は稚拙なような感じだが、描くにつれてどんどん技術が向上し、いつの間にか緻密なペン画を描いていたり、美しい風景を描いていたり、彼独特の水彩画が出来上がっている。
ヘッセ画文集 色彩の魔術』(V・ミヒェルス編/岩波書店)では、「水の量を間違えて」とか「色合わせを間違えて」など「絵を台無しにしてしまった」…とぼやいているが、展示を観る限りではそんなこと どこ吹く風だ。特に詩画集に描かれた絵の素晴らしさには目を瞠った。いつまでも眺めていたいようなそんな絵だった。
まだヘッセの小説を読んだことがないので、機会をみてぜひ読もうと思っている。
【ヘッセのこと】
へルマン・ヘッセ -Hermann Hesse-
1877年7月2日生まれ。
ドイツの詩人・作家であり画家でもあった。
40歳を迎えるころから水彩画を描き始め、85歳で没するまで描き続けた。
第一次大戦の頃には自作の詩に水彩画を描いた「詩画集」を製作、捕虜救援活動資金に充てた。
主な作品『車輪の下』、『デミアン』など。
1962年8月9日没。
シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ著/草思社)
人は成熟するにつれて若くなる』(V・ミヒェルス編/草思社)
庭仕事の愉しみ』(V・ミヒェルス編/草思社)
わが心の故郷 アルプス南麓の村』(V・ミヒェルス編/草思社)
愛することができる人は幸せだ』(V・ミヒェルス編/草思社)
地獄は克服できる』(V・ミヒェルス編/草思社)
ヘッセの読書術』(V・ミヒェルス編/草思社)
評伝へルマン・ヘッセ 危機の巡礼者(上)』(R・フリードマン著/草思社)
評伝へルマン・ヘッセ 危機の巡礼者(下)』(R・フリードマン著/草思社)

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10
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