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ヘルマン・ヘッセ展

ヘルマン・ヘッセ展初めてヘルマン・ヘッセの本を読んだ時、私はヘルマン・ヘッセという人物はものすご〜くガンコなじいさんなのだというイメージを持った。
読んだ本『人は成熟するにつれて若くなる』が、彼の書いた小説ではなく、他人がまとめている上に、老年になってからのもの(エッセイ等)だったためにそんなイメージを持ったのかもしれない。 とにかく“ガンコなじいさん=ヘルマン・ヘッセ”でこの展示に行ったものだから、目からウロコだったのは言うまでもない。
出迎えてくれた写真は、厳めしい顔つきのヘッセではなく庭仕事で草花を愛でている、満面の笑顔のヘッセ。同一人物?と一瞬考えてしまうほどに違う人に思えた。勝手にガンコなじいさんだと思っていたから余計にだ。家族と写っている写真も暖かさが滲み出ている。
完全なる善いおじいさん。第一印象というのはこうも違うものなのだろうか。
今回の展示は文学よりも水彩画がメインに思えたが、その絵の枚数が多いことこの上ない。
40歳から始めたという絵だが、結果的には人生の半分以上を絵を描いていた期間が占めている。
“NEVER TO LATE”そのままに何事にも遅すぎるということはないのだ。
最初は稚拙なような感じだが、描くにつれてどんどん技術が向上し、いつの間にか緻密なペン画を描いていたり、美しい風景を描いていたり、彼独特の水彩画が出来上がっている。
ヘッセ画文集 色彩の魔術』(V・ミヒェルス編/岩波書店)では、「水の量を間違えて」とか「色合わせを間違えて」など「絵を台無しにしてしまった」…とぼやいているが、展示を観る限りではそんなこと どこ吹く風だ。特に詩画集に描かれた絵の素晴らしさには目を瞠った。いつまでも眺めていたいようなそんな絵だった。
まだヘッセの小説を読んだことがないので、機会をみてぜひ読もうと思っている。
【ヘッセのこと】
へルマン・ヘッセ -Hermann Hesse-
1877年7月2日生まれ。
ドイツの詩人・作家であり画家でもあった。
40歳を迎えるころから水彩画を描き始め、85歳で没するまで描き続けた。
第一次大戦の頃には自作の詩に水彩画を描いた「詩画集」を製作、捕虜救援活動資金に充てた。
主な作品『車輪の下』、『デミアン』など。
1962年8月9日没。
シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ著/草思社)
人は成熟するにつれて若くなる』(V・ミヒェルス編/草思社)
庭仕事の愉しみ』(V・ミヒェルス編/草思社)
わが心の故郷 アルプス南麓の村』(V・ミヒェルス編/草思社)
愛することができる人は幸せだ』(V・ミヒェルス編/草思社)
地獄は克服できる』(V・ミヒェルス編/草思社)
ヘッセの読書術』(V・ミヒェルス編/草思社)
評伝へルマン・ヘッセ 危機の巡礼者(上)』(R・フリードマン著/草思社)
評伝へルマン・ヘッセ 危機の巡礼者(下)』(R・フリードマン著/草思社)

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10

『ダ・ヴィンチ・コード』

ダン・ブラウン著 / 越前敏弥 訳
『ダ・ヴィンチ・コード』(上)(中)(下) 角川文庫 2006年3月10日初版

父が、文庫版になったので『ダ・ヴィンチ・コード』を遂に読むことにしたらしい。で、それならば、わざわざ買う必要もなくなったので、読み終えたら私にもまわして欲しいと頼んでおいた。
父はサクサクと読み終わったらしく、私に上・中・下の文庫版『ダ・ヴィンチ・コード』を渡してくれた。
しかしながら父の感想は「面白くない」という事だった。何故か、と言えば、これがミステリ小説であったからに他ならない。ミステリ小説が駄目、と言うわけでもなく、父自身も嫌いな訳ではない。これは単に、父の勘違いから生まれた“面白くなさ”だったのだ。
どうやら、この小説を通してレオナルド・ダ・ヴィンチの絵それ自体に隠された謎が解き明かされると思っていたらしい。しかし蓋をあけてみれば、絵の謎解きではなかったので、がっかりさせられてしまったそうだ。絵に関しての言及も物語のキーワードの一部でしかないのだから、がっかりするのも分からなくはない。「写真をもっと載せておけ」という父の言葉に頷けなくもない…。
まあ、そんなこんなで渡されてからだいぶ経って読んだ私ですが、ミステリ小説として読み、十二分に堪能した次第です。推理しながら、ラングドンたちより先に謎を解いてやろうと目をギラギラさせながら読んだせいか、上・中・下巻あっという間に読んでしまいました。
舞台も壮大、ストーリーも壮大で、何だかとにかく大きさを感じさせられる小説。細々と基本的な事を逐一説明してくれるので、難しい知識を持ち合わせずとも楽しめる、と思いました。
最終的に答えが出たのか出ないのかが分からないのが残念ですが、秘密は明かされずに秘め事のままのが良いんでしょうかね・・・?? シラスに心の底から同情を寄せてしまうワタクシでありました。

ダ・ヴィンチ・コード(上)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫
ダ・ヴィンチ・コード(中)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫
ダ・ヴィンチ・コード(下)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫

春探し!

2006/04/17 Mon - 2006/04/19 Wed

「春探し!」と称して春の野花を探しにお出掛け。
合計で3日間、良い天候に恵まれた中、さまざまな草花を写真に収めることが出来ました!
一般には雑草と呼ばれている草花を中心に、たまに園芸種もおりまぜて、たくさんの写真を撮りました。
場所は私が住んでいる付近(世田谷)ばかりです。それでもかなりの草花に巡り合うことが可能でした。
春の草花は一日ごとに成長が見えるのでビシバシと息吹が感じられます。素晴らしい気候に若葉や新芽、花と交わると心の底から気分が良くなるものですね。楽しい3日間でした。

【4月17日】











【4月18日】









【4月19日】




撮影:タケマツ / 撮影日:2006年4月17日〜19日 / コンパクトデジタルカメラ使用

身延山

総本山への道程身延山には日蓮宗総本山がある。ご先祖さんが眠っているお寺が日蓮宗なので、我が家は一応日蓮宗になるらしい…(死んだ時には)。今回、身延山まで行かねばならなくなったのは、御札のせいだ。
私の家はイイカゲンなのでお墓参りにしかいかないけれど、親戚の伯父さんたちは毎年身延山まで行くらしい。そして御札を買ってくる。そこまでは良いのだが、なんと我が家の分まで買ってくる。昔は行くというときに前年度の御札を渡して納めてもらっていたのだが、いつの頃からか行く頃合いが分からなくなってしまった。不精者の親父殿は行く日を訊く事もせず、御札をそのままにしておいたお蔭で、いつの間にか我が家には納めていない御札が大量に…。さすがに“もう御札はいりません”と言ったようで、それ以上、御札が増えることはなくなったのだが、問題はたまっている御札だ。
母は「そこいら辺のお寺か神社に納めてしまえば良いんじゃないの?」と言っていたのだが、親父殿は「それはダメだ!」とイイカゲンなくせに変なこだわり(?)をみせ、「身延山に納めに行こう!!」と提案。『そりゃ勝手に言ってくるがよろし、』と思っていたら、何と!母と私の分の座席も予約してきたので、身延山へ一緒に御札を納めに行かなければならなくなった…。

甲府行の電車はグリーン車がない。狭い…けど気を取り直して乗っていたら、高尾山を過ぎた辺りから急に電車酔いし始めてしまった。酔い止めを飲み忘れたのだ。
電車酔いが始まると非常〜に性質が悪い。単調に動きが続くので、一種の拷問だ。気持ち悪いけれど何とか保てるだろう姿勢からピクリとも動くことができないまま、ひたすら乗り続ける。
途中、半死状態でトイレに行ったが、あまりの揺れにトイレの壁に激突。平衡感覚がめちゃくちゃになっているので、なかなかトイレから席まで戻れずに、気持ち悪さが悪化。普通なら嘔吐するのだろうが、私は嘔吐できない体質(?)なので苦しみがつのるばかり。。。
甲府に着くと、単線に乗り換え。もう足元がふらふらで甲府駅から動きたくないくらい。だが、乗らねばならぬ!と気合で乗り換えするが、単線なので揺れがさらに酷く、もう一思いに殺してくれ!といわんばかりの状態に。どれくらい乗っていたのか分からないし、永遠に着かないんじゃあないかと思うほどに長いながい道のりだった。

目的の駅に到着し、駅構内から出た途端に三半規管が完全にいかれてしまったらしく、階段にしゃがみ込んだまま動けなくなった。半死半生でそこに丸まっていると、いつの間にやら父と母の姿もなく……、すぐ横にある花壇に咲く花に止まっているテントウ虫を見て心を慰め…ていたらこのテントウ虫もいつの間にか消えていた。何だか知らないが見知らぬ土地で独りぼっちになっちまった、と思っていたら、その頃母と父は薬局探しに走っていたらしい。駅前には土産物屋と何でもありの食事処、宿しかなく、彼らはけっこう遠くの薬局まで行って薬を買って来たのだそうだ。「コンビニがない…!」と還暦過ぎの親父が言うのも何だか笑えるけれど、本当に駅前に何もない。
買ってきてくれた液状の酔い止め薬は、酔った後でも効くというものなのだそう。薬局にもそれしかなかったとかなんとか言っていた気がする。とにかくそれを飲んで、その場に20〜30分いた。効き目が出るまで動けそうにないので、ただただ時間が経つのを待ち…。親父殿はあまりじっとしていたくないタイプの人間なので、その間、駅の周りをぐるぐる歩き回ったらしく、「本当に何にもないんだヨ。」と最終的に私の周りをうろちょろしながらボヤいていた。

母は薬局行脚で疲れたらしく、何でもありの食事処で休みたいと、次はそちらに移動。
憔悴しきった私の横で母はきつねそばを食べ始めた。親父殿はビールを飲(みやがった)んだ。
「俺は電車酔いしてないから関係ねェ〜」といったところらしいヽ(`ω´;)ノ=3

無事…ではないけれど、タクシー(!)で身延山へ。車で山登りは酔いが益す!『やめてくれぇ〜』と思いながらも、タクシーは進み、ようやっと真の目的地 “身延山久遠寺” に!
根性でデジカメを構えてちょこちょこ撮っていると、御札を納め終えた父がこちらにやって来た。このほんの一瞬の出来事のために、こんなにすごい乗り物酔いになるなんて、これも一種修行だな、なんて思ったり…。

下りは徒歩で、写真の階段を下りていくという暴挙に出た。現場での下りはもう恐ろしいことこの上なく、よく転がり落ちなかったと思うほど。さすがに途中のところで男坂に非難した。
下り終えたところにはちゃんと土産物屋が並び、ちょっとした観光スポットのようになっている。
数珠が売っているのはやはりお寺が上にあるからか、年輩の女性はけっこう熱心に数珠を見ていた。特に熱心な信者にも見えないので通夜・葬式用の数珠選びなのだろう、土産物だもの。
この通りでは電線にツバメを見かけた。この時季にいるなんて…越冬したのかな。

帰りは帰りで恐怖の単線が待っており、新宿に着くまではひたすら我慢でぐったり。
朝ごはん以来何も食べていないので、新宿のデパ地下で海鮮丼弁当を買って帰宅。
父と母は甲府の駅ビルで弁当を購入し、電車で食べていた。むう。
蟹と海胆とイクラがたくさんのった海鮮丼。酢飯が多すぎて残してしまった、、、σ(´Å`;)

時代が変わったせいか、お寺にもオフィシャルサイトがあるんですね。。。
 
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