アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
SD BLOG
  1. Situation design
  2. SD BLOG



このブログではイラスト・デザインの仕事をしているタケマツのサイトSituation designのお知らせやサイトの更新情報を掲載しています。
現在このブログは雑記などの記事を移動中です。諸事情ありまして作業が大変遅れております。。。


Rabe !!!!

烏に襲撃された。
繁殖期はまだ先だと思うのだが、餌にありつけないためか かなり凶暴化しているようだ。
そもそもの襲われた原因はあるにはある。
首輪を付けていたので飼い猫だと思うが、最初はこの猫が烏に襲われていた。
あまりにも騒ぎ威嚇する烏に驚いた猫は、驚愕の表情を見せ(猫なのに!)、震えだし、ついには腰を抜かした。猫が腰を抜かした様を見るのはこれが初めてだ。
猫も腰が抜けると人間と同じく、下半身からすっかり力が抜け、ヒコヒコと動く。前足は震えながら一応普段どおりに動かせるのだが、後ろ足は機能を停止してしまったようだ。顔には恐怖の色があり、目は真剣そのもの。しかし後ろ足が動かない。逃げたくても逃げられない状態だ。
そんなにゆっくりと観察したわけではないのだが、ざっとそんな感じだった。
急いで、烏に対して私が威嚇し、猫を助け出そうと頑張った。その間に、猫は腰が抜けつつも何とか後ろ足を引きずり塀の影に隠れた。これで逃げおおせたと思ったのだがそうではなかった。敵は空を飛ぶので、すぐさま塀の影の猫の元へ飛んでいった。
これはイカン!と私はまたも烏を威嚇し、猫から遠ざけようと必死になった。またも威嚇が効いたのか、烏は塀から木の枝に移った。その隙に猫は素早く何処かへ走り去っていった。腰の抜けたのがなおったらしい。
猫助けも落着と思いきや、烏のヤツは今度はその付近に住んでいる犬に睨みをきかせ始めた。この犬は器量が悪いので勝手に“ブッシー”という名前を付けているのだが、器量が悪いだけでなく頭も悪いらしく、よく無駄に吠えている。今日は猫が襲われているときに少し吠えていたが、烏があまりにも恐いせいか睨まれた途端に「クウンン〜」と犬小屋の奥の方に身を隠した。
犬が入れるほど入口が広いのだからあまり安全とはいえないが、本犬はそこが安全だと思っているようだ。
と、今度はブッシーの家に遊びに来ていた赤ん坊を抱いたお母さんが出てきた。「またね〜」と楽しそうに出てきたのだが、自転車に荷物を乗せたと同時に、枝に止まっていた烏が赤ん坊めがけて飛来した。抱えた赤ん坊を守ろうと必死になるお母さんに、続けて攻撃をしかけた烏は「カアーーーー」と一鳴き。お母さんは荷物そっちのけで赤ん坊をしっかり抱え、「カラスが恐いのよ〜」と叫びながら出てきた友人宅にまた戻っていった。半泣きの声だった。

…ついに烏の標的は一部始終を見ていた私に変更されたらしい。
烏がこちらを睨みつけ飛び上がるが早いか、私が一歩走り出すが早いかは分からなかったが、「よーいドン!」といわんばかりに、一斉にあちらは飛びこちらは走り出し始めた。
しかし明らかに飛んでいるほうが有利である。
高い木の枝から半楕円形に空を切り、真っ直ぐ、一直線ににこちらへ向かってくる。
空からの攻撃が私の後頭部に直撃するかどうかという瞬間に突如救世主が現われた。
目の前に凛として立っていた2本の杉の木である。(花粉症の方には憎き杉の木だろうけれど)。
杉の枝に阻まれて、烏はそこで止まらざるを得なくなった。杉の木様様だ。

戦意を喪失したのか、烏はそれ以上襲ってこようとはしなかった。
烏を気にして後ろ上方を振り向きふりむきしながら、私は何とか家路に着いたのであった。

今日は猛禽類に狙われる小動物の気持ちを存分に味わったような気がする。

Ernst Haeckel "Kunstformen der Natur"

以前行ったミュシャ展でのカタログに、エルンスト・ヘッケルについて書いてあった。生物学者である彼の描く生き物が、アール・ヌーヴォー様式そのままで描かれていて素晴らしいとのことだ。それならばぜひ一度見てみたいと思い、遂にその本を購入してしまった。(ミュシャ展参照)。
独語版なので内容はチンプンカンプン。
いつか時機を見て辞書を引きひき読み進めたいと思っているんだけれど…(後で分かった事。英語版もあるのですよ…)。
なんというか、生き物のフォルムというか、動き、線の流れ具合が本当にアール・ヌーヴォー様式だ。どうしたらこんな滑らかな線が引けるのかを知りたい・・・・。
眺めていると、生き物を超えて華々しい装飾の類に見えてくる。自然こそが芸術の形態を成しているというタイトル通りの絵だ。自然に芸術を見出せるというのは何だかとても神秘的に思える。
Kunstformen der Natur
Kunst≒Art≒芸術 formen≒form≒形態 der≒the Natur≒Nature≒自然


**************

『Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)』
こちらは私が購入した本の英語版。
ペーパーバックで139頁、サイズは31.2 x 23.9 x 1.3 cmと大きめです。
価格は£14.99。
作品はオールカラーで掲載されています。
独語版はオールカラーではなく説明(文章)の多いタイプでしたので、
“絵を見たい”という場合には英語版のほうが安価でよいかなと思います。
≪関連書≫
『Art Forms in Nature Mini (Prestel Minis)』(英語版/96頁/ハードカバー)
『Kunstformen der Natur』(独語版/96頁/ハードカバー)
『Art Forms in Nature (Dover Pictorial Archives)』(英語版/100頁/ペーパーバック)
『Art Forms From The Ocean: The Radiolarian Atlas Of 1862』(英語版/100頁/ペーパーバック)
『Visions of Nature: The Art And Science of Ernst Haeckel』(英語版/100頁/ペーパーバック)

ウィリアム・ホガース

14日、21日と前後編として『美の巨人たち』で放送された“ウィリアム・ホガース”、とても面白い!!
1枚の絵の中にさまざまな内容が描き込まれていて、その1枚だけでも十分に楽しめるというのに、シリーズになっているとは。シリーズものの絵自体が新鮮な感じなのに…!こんなにスンバラシイ諷刺画を見るのは初めてだ。

『放蕩息子一代記』の1枚目、葬儀屋が来ているというのに息子は洋服を新調しようとしているし、壁から父親のへそくり(?)は出てくるし、弁護士は悪徳だし、と1枚目から内容が濃すぎるほどに濃い。
当時の法律もスゴイでしょう。破産したら投獄されるなんて、18世紀のイギリス恐るべしだ。

貴族階級の生活というのは華々しく煌びやかに描き出されている上に、本にもなっているのでよくお目にかかっている気がするけれど、当時の庶民の生活ってのはあまり知り得る機会がないので、こういう形で見られるというのは良いなあと思っちゃうのでした。

『アドルフに告ぐ』

手塚治虫 作
文春文庫ビジュアル版 (1)2004年5月15日第20刷
(2)2005年8月15日第20刷
(3)2005年8月25日第20刷
(4)2005年5月25日第20刷
(5)2005年8月25日第20刷


手塚治虫による名作『アドルフに告ぐ』。
私がこの作品に出会ったのは14、5歳の頃だったと思う。そのときには無我夢中で読んでいて、ストーリーを把握しきれなかった。第二次大戦の頃にドイツがどんな状態だったのかもよく知らなかったので余計にだ。
それでも衝撃的な内容は頭にこびりついたまま離れず、いつかもう一度読まなくてはいけないなと思っていた。
断片的に焼きついた絵を思い出すと「読みたい」と思うこともあった。
人から借りて読んだために手元になくて、すぐには読めなかったために、そのまま購入するまで10年近い歳月が経ってしまった。(気が付いたら1冊525円だったのが630円になっていた…´`)。
改めて読んでみると、当時受けた衝撃と共に様々な事柄を深く考えさせられる内容で、歴史的背景を理解しているかどうかで、こんなにも違った感じを受けるとは思いもよらなかった。
この作品は、新聞記者の峠草平を中心にして、ドイツ人と日本人の混血児アドルフ・カウフマン、ユダヤ人のアドルフ・カミル、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラー、この三人のアドルフに焦点を当て彼らの人生を描いていく。舞台は第二次世界大戦少し前から始まり最終的には中東戦争にまで及ぶ壮大なストーリーだ。
マンガではあるけれど、マンガの域を超えて人生ドラマが展開されているのがこの作品。

三人のアドルフの中で、いちばん人生を翻弄されたのはアドルフ・カウフマンではないかと私は感じている。読み込めば読み込むほど、カウフマンに感情移入してしまい、何ともいえない気持ちでいっぱいになる…。子ども時代、ヒトラー・ユーゲント時代、親衛隊時代、逃亡時代と彼の人生はめちゃくちゃな方向へ進み続け、終わる。人生とは一体なんなのだろうと思ってしまう。

アドルフに告ぐ(1)新装版』 手塚治虫著 文春文庫
アドルフに告ぐ(2)新装版』 手塚治虫著 文春文庫
アドルフに告ぐ(3)新装版』 手塚治虫著 文春文庫
アドルフに告ぐ(4)新装版』 手塚治虫著 文春文庫

古書市

偶然通りかかったところ、京王百貨店開催の古書市を見つけたのでのぞくことにした。

本は新品派の私。しかし本がランダムに並べてある古書市はなかなか魅力的。
いろいろと目移りしながら、美術展のカタログがないかを探し、、、

目を皿のようにして発見したのが“ドレスデン秘宝展”のカタログ。私が生まれる一年前に開催されたらしい。半券まで挟まっていて800円。当時このカタログがいくらだったのかはわからないけれど、入場料は大人700円になっていた。カタログは1,500円くらいかなと予想。
お次は英語版の“ノーマン・ロックウェル画集”を発見。$45が3,500円なのでかなりお買得。なんと外側にビニールカバーまでついているのだ。
両方とも状態は良好で、溜まった臭いさえ抜ければ咽ることなく楽しく見られそうだ。

n▼o・ω・o▼n〜戌年也。

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
右のイラストは私の年賀状の一部です。送った方々にはいつごろ届くかな。毎度出すのが遅くてすみません。ところでブルドックってのはなかなか可愛いですネ。

初詣で恒例のおみくじを引いたら末吉。
新年早々諌められるような事がつらつらと書いてあり、私の今年の運勢は一体全体どうなってしまうんだろう?といった状態。特に「健康・病気・療養」という部分が恐ろしく、『自分の限界をこえた無理をしてはいないか。病気は誤診のおそれもあるのでもう一度精密検査を受けよ。』というもの。
何より今年が始まったばかりだというのに既に「無理をしていないか」って言われましても如何なものだろう。2005年度分持ち越し(…?)。なんとも幸先が悪い観があるけれど、睡眠たくさんとって留意しなくては。。。

The Sky in 2005.

1月2,4,17,18,20,21日
2005/01/02 世田谷2005/01/02 世田谷2005/01/02 世田谷
2005/01/04 世田谷2005/01/17 多摩2005/01/18 多摩
2005/01/18 多摩2005/01/18 多摩2005/01/20 世田谷
2005/01/20 世田谷2005/01/20 世田谷2005/01/20 世田谷
2005/01/21 多摩2005/01/21 多摩2005/01/21 多摩2005/01/21 多摩
2005/01/21 多摩2005/01/21 多摩2005/01/21 多摩

2月1,2日
2005/02/01 世田谷2005/02/01 世田谷2005/02/01 世田谷
2005/02/01 世田谷2005/02/01 世田谷2005/02/02 世田谷
2005/02/02 世田谷2005/02/02 世田谷2005/02/02 世田谷

3月12,18日
2005/03.12.世田谷2005/03.12.世田谷2005/03/12 世田谷
2005/03/12 世田谷2005/03/12 世田谷2005/03/18 世田谷

6月11日
2005/06/11 世田谷2005/06/11 世田谷2005/06/11 世田谷

8月13,19,22日
2005/08/13 世田谷2005/08/13 世田谷2005/08/19 世田谷2005/08/19 世田谷
2005/08/22 世田谷2005/08/22 世田谷2005/08/22 世田谷

『無人島に生きる十六人』

無人島に生きる十六人
須川邦彦著
新潮文庫 2004年8月5日8刷

ただただ“立派”という言葉が脳裏に浮かぶ。この言葉は彼らのような人のためにあるのだと思うほどだ。とにかくみんな、聡明であり創造力豊か。
16人全員が信じあい、一致団結している姿は目映いばかり。そして、皆が皆、自分の立場をしっかりと理解している。出来得る全てのことを考え、実行する姿も見習わんとするばかりなり。知識を豊富に持っていても、その知識をどう使うか、どう使えるかということを改めて考えさせられた。“逞しさ”という言葉もこの場合にはうってつけの言葉だ。
ウミガメ牧場も素晴らしいのだが、流木のある島まで行き、そこを行き来するという発想も素晴らしい。この島へ行かなければならないと考え決まったときには、何が起こるかわからない恐ろしさがあるのだが、誰も物怖じせずにこなしてしまった。
強靭な精神力の持ち主である彼らは、どんなことに対しても「自分がやります」と立ち上がる。他の人がやってくれるだろうと、ひっそりと後ろで隠れているようなことはない。だからといってでしゃばることもない。人を立てることも知っている。そうだからこそ、争うこともなく、この無人島での生活が成り立ったのだろう。
著者が東京高等商船学校の実習生のとき、中川教官の話してくれた体験談を忘れることもなく、46年も経った後に一つの物語として描き出したことに敬服してしまう。

デジカメ購入

一眼レフのデジカメが欲しい。それも良いヤツ。アナログ一眼レフも好きだけど、やはりデジカメでも欲しい。しかし先立つ物がない…。というわけで未だ一眼レフデジカメには到達していない私(-゛-,)
今回購入したいのは簡易デジカメ=持ち運びが楽なデジカメ。
以前(2001年頃)購入したデジカメは100万画素ちょっとしかなくて、まともに撮ってもピントが合っているんだかいないんだか、という代物だった。ロバート・キャパの本のタイトル『ちょっとピンぼけ』ならぬ『おおいにピンぼけ』なデジカメ…まったく役に立たず、なのだ(現携帯カメラのがきれいに写る)。だから簡易でも良さげなのがいい。予算もある程度までかけようではないか!と。
まあ、意気込みだけは十二分に新宿西口ヨドバシカメラへ。(だいたい電化製品はここで買うんだ)。
デジカメ売り場は大混雑。外側から見られるかどうか…な状態。人ごみが苦手なので早くも尻尾巻いて帰ろうかと思ってしまうほど。尻尾巻く必要もないけどさ。
そんな時、一筋の隙間を発見!ここに決めたあァァ!!とばかりに滑り込むんで場所ゲット!!!!もう誰にも邪魔させないもんね…と電線で場所の取り合いしているスズメみたいだヨ。
はてさてその場はキャノンの売り場。
なんだい、最近のデジカメってカメラらしさがこれっぽちもないじゃないか。持ってはみたけど、どうすればON状態になるのかがわからない…。仕方がないから価格と内容がどんなものか取り敢えず見てみようと気を取り直してみる。。。
手に取ったデジカメは800万画素の表示が。私のデジカメの8倍画素だ。こっちのは7倍画素。たった4,5年でずいぶんと変わるものだとしみじみしてしまった。
頭で問答していると店員さんが私に目を付けたらしくやって来た。
店員:「こっちの方がいいんじゃないですか?」
竹松:「え゛?これは500万画素ぢゃあないですか…」
店員:「女性には持ち運びが楽なスマートなタイプのがいいですよ。」
竹松:「出来れば800万画素が良いですねえ…。」
店員:「こっちのが軽いですよ。撮るのも簡単だし、女性には。」
竹松:「……(--)」
店員:「あれ?もしかして絞りとかズームとか必要ですか?」
竹松:「必要ですねえ。持ち運びも重要だけど内容が伴っていないと…(何のために買いに来たんだか)」
店員:「では、こちらがいいですよ!」店員さんは先ほど私が見ていたデジカメを手に取った。
カメラをスライドさせると、ヴイィィ〜〜ンと音がした。なるほど、そうやって起動させるのかあとしばし感心。その間も店員さんは話し続けた。「このデジカメはねえ〜、ここがこうでしょう、で、これがこうだからねぇ…云々」。パンフレットも見つつ話にうんうん聞き入っていると、益々店員さんは白熱する。
この人もカメラ好きらしい。うんうん頷く私と白熱して話す店員さん。異様な風景だけどここでは当たり前なのかも。
まあ、だいたい人間というのは最初に目についたものこそが最終決定に繋がるものだ。
店員さんの白熱話も関係なしに、私はこのデジカメに決めた。“Canon PowerShot S80”。
店員さんも途中からこれをすすめていたんだけどこれは偶然の一致だ、うむ。
NEWデジカメ
デジカメ本体が約6万円、ケースが3,500円、SDカード(1GB)約1万円で、7万円ちょいの出費となった。
これからは毎日持ち歩いてキャパを目指す!(←半分冗談。)

ロバート・キャパ写真展

ローバト・キャパ展調布市文化会館たづくり1階展示室の無料で入場できるローバト・キャパ写真展へ。
キャパの写真が展示されているのを見るのはおそらく2度目。1999年に渋谷Bunkamuraで行われた写真展でお目にかかっているはず。あとは家にある写真集と『ちょっとピンぼけ』に載っている数枚の写真で。
“ローバト・キャパ”=偉大なる戦争写真家!のイメージがあるけれど、実際はかなり庶民的なところのある人で『ちょっとピンぼけ 』を読むと、彼の人間味溢れる人柄というか性質がよくわかる。素直に人間らしい人間で親しみさえ覚える、そんなタイプ。そんなわけで私は勝手ながら彼を敬愛しているのであります。
展示の頭がワルシャワ・ゲットー跡地で、丁度ホロコーストやアウシュヴィッツなど、強制収容所関連の本を読んでいる私としては「キャパはワルシャワ・ゲットーを、その跡地を訪れ知っているのだ…」としみじみ感じ入てしまった。キャパ自身もユダヤ人であるのに、よくヨーロッパ戦線の写真を取り続けられたなとも思う。
死と隣り合わせ、命を張って撮ったものが歴史的事実として現代の私たちにまで伝えてくれている。
一枚の写真に当時の状況が如実に表わされ、言葉よりも多くのことを物語っている。
その一枚一枚は本当に貴重な歴史的財産だ。
人類の不の歴史を一瞬ごとに切り取ったのがキャパの写真。それらは人間の良いところも悪いところも、善悪の転換も残していると思うのだ。――やはりロバート・キャパは偉大だな。
【ロバート・キャパのこと】
本名エンドレ・フリードマン。
1913年 ブタペストで生まれる
1936年 "ロバート・キャパ"の名前で写真を発表し始める
1939年 ニューヨークへ渡る
1943年 チュニジアよりWWIIの連合国軍の戦闘を撮影
1954年5月25日 インドシナ戦線取材中に地雷を踏んで死亡
2005年11月12日[土]〜12月11日[日] 〒182-0026 東京都調布市小島町2-33-1 調布市文化会館たづくり
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。