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2016年05月01日

肺がんが末期になり、自らトイレに行けなくなった母

肺がん
母の肺がんは非小細胞肺癌(腺癌)でした。
発見された時点で病気はステージ4でした。

原発巣である肺の腫瘍自体はそんなに大きなものでは
ありませんでした。
もともとは右の肺にあるやや大きめの腫瘍が始まりだったと
主治医からの説明がありましたが、病魔は左肺へも転移を
済ませていました。

無数に散らばった細かい腫瘍は
今でも私の脳裏に焼き付いています。

手術が出来たのは転移した脳腫瘍だけで、肺については
放射線治療も出来ず、残された道は抗がん剤治療のみでした。
受けた治療はペメトレキセド+カルボプラチン療法でした。
全6クールの治療を受けきりました。

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治療停止
一時的にがんの縮小が確認され、期待感が増した直後に
再びがんの増殖が始まりました。

母は抗がん剤治療の継続をしないことを決意しました。
私たちも反対しませんでした。
母の人生を尊重する形を取ったのです。

ここから1〜2か月、母はみるみる元気を取り戻した・・・
そのように見えました。
表情、顔色、食欲・・・どれをとっても今までの治療中の母とは
別人の様でした。

抗がん剤のストレスと副作用から解放されたことが
大きく影響したからではないかと見ています。

末期症状
がん治療を停止して4か月を過ぎた頃、
状況は一転していました。
食が細くなり、筋力も体力も低下し、自転車にも乗れなくなり、
日常の中での活動範囲が狭くなりました。

復活していた仕事も、約半年でリタイアすることになり、
契約終了のハンコを押すときは涙が溢れた母・・・。

その時既に、母は酸素吸入器が手放せない状態でした。
足をはじめとして、むくみの症状が出始めたのも
丁度その頃で、一気に何もかもが変わりだしていました。

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トイレまで歩けない
いつしか母は歩けなくなっていたのです。
ほんの1か月・・・いや、2〜3週間で一気に坂道を
転げ落ちるような速度で悪化の一途をたどりました。

中でも、むくみが一番の影響をもたらしました。
下半身全般にむくみが広がったことで、着替えはおろか
寝起きの動作さえも辛いものとなり、トイレに行くにも
牛歩で行っていたことを思い出すと、胸が痛みます。

他界する数日前には、キャスター付きの椅子に座らせて
手押し車代わりに使用していました。
夜中にはその方法でトイレに行きました。

肺がんは、進行すると仰向けにもなれない状態になります。
重力に負けて、肺が潰れる方向に作用するから仰向けが
きついのです。

母はベッドに寝ることが出来ませんでした。
ベッドのリクライニングを90度近くまで起こして寝るか、
椅子に座りながら寝ていました。
トイレにも行けず、ベッドで寝ることも出来ず、

辛かったはずです・・・悲しかったはずです・・・


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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