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2016年02月05日

末期がんの食事療法と引き際

母が食事療法を始めたのは、抗がん剤治療が
外来治療に切り替ってから・・・つまりは、退院してからでした。
非小細胞肺がん、ステージW。
抗がん剤はペメトレキセド+カルボプラチン療法を受けました。

退院してすぐに「がんを消す」食事療法のレシピ本を購入。
良いと思われる食材をチェック、その日から出来るメニューを
考えつつ、免疫力をアップさせるために、体温を上げる食材に
ついても同時に勉強をしました。

開始早々食欲の壁にぶつかる母
食事療法とは食べてなんぼの治療法。
どんなに効果の期待できる食事内容でも
食べられなければ意味をなさない。

そんな壁にぶつかってしまった母・・・
しかし、壁にぶつかったとショックを受けていたのは私だけ・・・
母は感づいていた・・・食欲が無ければ意味をなさないことに。

抗がん剤治療の副作用がそれを邪魔していた。
母の場合、吐き気は催したが嘔吐することは殆どなかった。
・・・母からはそう聞いている。


母は我慢強い人でした。
故に、私たち家族に伝わり切らない辛さがそこにはあったのだと
今となってしみじみと感じている。

心配を掛けないように、症状もなるべく軽めに報告していたのかも
しれません。

それは母の体重の減り方が物語っていました。
同居といえども、会社勤めの私には母に付きっきりでは
いられず、食事をどれほど摂っているかは母の自己申告
を信じるほかありませんでした。

食べられない時は食べられないとはっきりと報告してくれる母。
反面、今日は沢山食べれたよ!と嬉しそうに教えてくれる日は
私も嬉しかった。
ただ、その沢山は・・・そんなにたくさんでは無かったのかも
しれない。

やがて母は骨と皮の一歩手前までになっていった。
それは肺がんが末期になった時期と重なっていた。

その頃からだっただろうか・・・
母の食事内容を気にしなくなったのは。

気にしないというと語弊があるかな・・・
母の好きなものを食べさせたいと思い始めたのです。
理由は一つ、母の死期が近づいていると察知したからです。

糖分、塩分気にせず、好きなものを用意してあげた。
それが私の選択でした。
食事療法を諦めたと言えば諦めた。
しかし、そこが引き際だと私は考えた。
私だったらそうして欲しいと思ったから・・・。



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posted by satorich at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 癌治療
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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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