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2016年01月10日

母の選択は正しかった

治療の選択
3月に抗がん剤治療始めた母は
7月の6クール目の投与までの間
順調に治療を受けてきました。

副作用に悩み、苦しめられながらも、
調子の良い日は活発に活動したりもしました。
副作用症状も比較的軽い方であったと認識していましたが、
今となってはどうだかわかりません。

母の我慢強さは昭和初期の日本人特有の「強さ」もあり、
私が母と同じ副作用を体感した場合、耐えられるかどうか
わかりません。

それは母が他界する前、約一か月間の母から
身をもって伝えられた気がしています。
とにかく強かった母。
精神的にも、肉体的にも、全てが想像を絶する。

母だったからこそ、何でもないような顔をしていられた
のかもしれません。
私の前でも誰の前でも・・・辛そうな素振りをなるべく
見せないようにしていた中で、時折こぼす感情や辛さは
母の体力と精神力が限界を超えていたからなのだと・・・

あの時、私がもっと敏感に母の気持ちを感じ取ることが
出来ていたなら、もっと母の心に歩み寄ってあげられた
のではないか・・・

・・・涙が止まらない・・・

そんな強い母だったから、
自分の身の振りも自分で決断をすることが出来た。



一番大きな決断は「抗がん剤治療の停止」
それは去年の8月のことでした。

母の受けた抗がん剤は
ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチン療法

当初の治療計画通り、全6クールを滞りなく
済ませた母は、3クール目と4クール目で共に
がんの腫瘍の縮小や消滅が所々で見受けられ
一喜一憂しました。

”いける!!”
私はそう思いました・・・願いにも近い感情で。

しかし、喜びも束の間とはこのことを言うのでしょう、
5クール目で足踏み、最終の6クール目では再びがんの
魔の手が勢いを取り戻してしまったのです。

当然、母は落胆していました。
抗がん剤治療に掛ける母の想いが・・・
結果として母の意に反した状況を迎えたことに
落胆の色を隠せなかったのでした。

抗がん剤停止
抗がん剤治療を停止を決断した母は、
その直後に元気を取り戻したのでした。

台本通りの展開に、私たち家族も日々奇跡を期待し
母を見守ってきました。

顔色、表情、食欲、体力、全てが完ぺきではないまでも
治療中のあの辛さから解放された母は、本当に楽しそうに
日々を過ごしてくれました。
とても良い選択をしたと思います。

やせ細って、変わり果てた姿でなければ、更にもっと
楽しめたことでしょう。
それが要因で、旧友など昔からの知人と顔を合わせる
ことだけは拒み続けていた母。

親友、親類・・・実の姉との顔合わせさえも・・・
本当は会いたかったはずなのに・・・

しかし、それもまた母の選択の一つ。
逢えなかった人たちの、母の記憶は
綺麗で元気だったころの母でしかない。
母の思惑通りだったのかもしれない・・・。



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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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