2017年09月02日
時と共に・・・
色褪せた絵に気づいた時、
元々の色を思い出すことは簡単か・・・。
記憶という「絵」をそのままで保存するには、
常に色を保つ必要がある。
日々色褪せていく・・・記憶と共に・・・
元来の色に戻すことは容易ではない。
少しずつ、少しずつ、色という記憶は褪せていく。
重ね塗りを続けたところで、
最初の色を出すことは極めて難しい。
ひょっとしたら、塗り重ねを続けるうちに
元々の色よりも色鮮やかに変わっているかもしれない。
逆に、暗い色遣いに変わっていくかもしれない・・。
こうして記憶は塗り替えられていくのだとしたら・・・
私の記憶も同様に、少しずつ塗り替えられているのだろう。
母がいなくなった時の事を忘れることはない。
しかし、その記憶はあの時のままだろうか・・・。
少しずつすり替えられたりされてはいないだろうか・・・
私は日記替わりに、ブログに記事として母の闘病開始から記録している。
事細かに、とまでは行かないが、その日その時あったこと
感じたこと、母の言動や行動、精神状態や体調等を綴った。
その記事を時折見返すことがある。
その度に思うのは、
「ああ、そう言えばこんなこともあったっけ・・・」
絶対に忘れないであろう記憶は、すべてを記憶出来ていない。
いつの間にか、上塗りされた記憶という色は
違う色になってはいないだろうか・・・。
この記録(ブログ)がなかったとしたら、
そう考えると、なんだか少しゾッとする。
母が感じた事、経験したこと、思っていたこと、言えなかったこと、
すべてを共感し、すべてを理解することは到底出来なかったが、
その時々の出来事を記憶し続けることは
母に対するリスペクトの一環でもある。
そしてそれが供養になるのであれば尚の事すばらしい。
記憶は絵画のように、時と共に褪せていくものなのだろうか・・・
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元々の色を思い出すことは簡単か・・・。
記憶という「絵」をそのままで保存するには、
常に色を保つ必要がある。
日々色褪せていく・・・記憶と共に・・・
元来の色に戻すことは容易ではない。
少しずつ、少しずつ、色という記憶は褪せていく。
重ね塗りを続けたところで、
最初の色を出すことは極めて難しい。
ひょっとしたら、塗り重ねを続けるうちに
元々の色よりも色鮮やかに変わっているかもしれない。
逆に、暗い色遣いに変わっていくかもしれない・・。
こうして記憶は塗り替えられていくのだとしたら・・・
私の記憶も同様に、少しずつ塗り替えられているのだろう。
母がいなくなった時の事を忘れることはない。
しかし、その記憶はあの時のままだろうか・・・。
少しずつすり替えられたりされてはいないだろうか・・・
私は日記替わりに、ブログに記事として母の闘病開始から記録している。
事細かに、とまでは行かないが、その日その時あったこと
感じたこと、母の言動や行動、精神状態や体調等を綴った。
その記事を時折見返すことがある。
その度に思うのは、
「ああ、そう言えばこんなこともあったっけ・・・」
絶対に忘れないであろう記憶は、すべてを記憶出来ていない。
いつの間にか、上塗りされた記憶という色は
違う色になってはいないだろうか・・・。
この記録(ブログ)がなかったとしたら、
そう考えると、なんだか少しゾッとする。
母が感じた事、経験したこと、思っていたこと、言えなかったこと、
すべてを共感し、すべてを理解することは到底出来なかったが、
その時々の出来事を記憶し続けることは
母に対するリスペクトの一環でもある。
そしてそれが供養になるのであれば尚の事すばらしい。
記憶は絵画のように、時と共に褪せていくものなのだろうか・・・
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