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2017年05月20日

咳も出ないし苦しくもないけれど肺がん

気づいたころには手遅れ

そんな言葉が胸に突き刺さる。
母の肺がんが発覚した時
既にステージWだった母の肺腺癌。

いつから違和感を感じ取ることが出来たのか?
いつから咳が出始めたのか?
今となっては、その答を導き出すことは不可能。

確度の低い推測と薄れた記憶と、根拠のない妄想が重なり合う。

気づいていた

母本人も、体調が芳しくない事には気づいていた。
肺がんが発覚したのは2015年1月(入院は2014年末)。

母が自分の身体の異変を手帳に記したと確認できるもので
一番古いものは2012年の手帳。

少なくとも、その時点で異変に気づいていたと推測は出来る。
ただ、果たしてその頃に人間ドックを受けて
肺がんが発見されてとして、母の命が延びたかどうかはわからない。

肺がんは自覚症状を感じることが少ないという。
特に、初期に近ければ近いほど。
これはすい臓がんや肝臓がんなど他の癌においても同様。

症状を感じた時には既に・・・という流れが多い気もする。

仕事ばかりに一生懸命だった自分にとって、
母の身体の異変や、その訴えは二の次であった。
年寄りの戯言のように感じていたのだろう。

自分の家族の管理も出来なかったあの頃の自分を
仮に褒めてあげるとしたら・・・管理職を降りたこと・・・だろうか。

自分の家族・・・母親の異変にも気づけないような奴が
何年も管理職についていたかと思うとゾッとする。

そんなことに気づけたのも母のお陰だ。
そして肺がんと同様、そのことに気づくのが遅すぎた。

少なくとも、母の肺がんはステージWで入院している時ですら
気になる咳などなく、息苦しいという訴えもなかった。


咳が出始めたのは、母が肺がんだということが
検査結果から知らされてしばらくしてから。
そう言う記憶しか残っていない。

個人差はあるだろうが、それくらい母の症状は少なかった。
それでも、肺がんだった。
そして、肺がんの症状が出始めた母を
少なくとも3年は見過ごしていたと推測できる。

何という親不孝者だろうか。
仕事バカ。
バカは死んでも治らないと言うが、
少なくとも母の死によって
私の仕事バカは治ったと感じている。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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