今日親鸞聖人の明らかにされた
浄土真宗のおしえは、
阿弥陀仏の本願によって無明の闇が破れて
大安心大満足の決勝点があるという教えだが、
自分が体験したことがない、
仏教の学問もおろそかという本願寺の布教使は、
いつとはなしに、風邪をひいたように、米俵がどうと、
たとえを作り出して、教えている。
こういうものに対して、真実の信心は定まるものなんだと、
こういうふうに信心決定というが、
ちなみに信心決定というのは親鸞聖人の教え以外にはない。
決定という言葉自体が決勝点がある、完成がある、
ということを言われた言葉。
だから、私が仏法聞いても信心決定ができそうもないとか、
死ぬまでできそうもない、こういうふうに思う人は信心決定の意味から分かってない。
自分の力でない、本願力で一念で定まるもの。
ではその信心決定という決勝点を突破する前とあとでどう変わるのかということを
親鸞聖人は道綽禅師が教えられたことを通して教えられた。
皆さんが仏教の学問、教学聖典というものを勉強すると、
三信と三不信のちがいを道綽禅師は懇ろに教えられたという事が、
三不三信け慇懃。
三信三不信はどなたの教えであると曇鸞大師。
高僧和讃の中で曇鸞和讃が最も多い、
親鸞聖人が鸞の字をもらわれるほど、
ものすごく尊敬された方。
曇鸞大師がこういうことを教えてくださったということで
不如実修行といえること
鸞師釈してのたまわく
一者信心あつからず
若存若亡するゆえに
二者信心一ならず
決定なきゆえなれば
三者信心相続せず
余念間故とのべたまう
といわれて、まこと信心決定した人の信心は正しい信心というが、
阿弥陀仏の本願によってえさしめられた信心ということで
他力の信心という。
弥陀の本願聞信した一念で、阿弥陀仏からたまわる信心。
そう言う信心が他力の信心で、
その他力の信心の特徴に、淳心、一心、相続心という
3つがあると教えられたのが、三信。
弥陀の本願まことという決勝点を突破したら、
このような特徴の有る他力の信心が得られる。
しかし、まだ突破していない人は、
自分の過去の能力や経験や、才能で、こういうものだと考えたり、
いつとはなしと思ったり、自力の信心に腰をかけている。
この他力信心を知らない人の特徴は、
不淳、不一、不相続、ということで
他力の信心と自力の信心の特徴をもともとは
曇鸞大師が教えたものである。
こういうと、曇鸞大師がもともと教えられたものを
親鸞聖人は正信偈に道綽禅師の教説として教えられているが、
これはどう言うことかという事を質問した人があった。
それについては
親鸞聖人が道綽禅師がどう言う
ことを教えられた方かということについて教えられた
道綽和讃が七首ある。
鸞師のおしえをうけつたえ
綽和尚はもろともに
在此起心立行は
此是自力とさだめたり
道綽禅師は曇鸞大師の教えを受け継がれて、
曇鸞大師が教えられた自力信心と
他力信心の違い目を、もっと丁寧に教えられた。
もともとは曇鸞大師が三信三不信で教えられたが、
その教えを道綽禅師が受け継がれて丁寧に教えられた
と正信偈に親鸞聖人は書かれている。
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