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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年08月11日

仏教の先生のご苦労

蓮如上人の御苦労を教えられたお言葉があります。

 

蓮如上人、細々五兄弟衆等に御足を御見せ候。

御草鞋の緒くい入りきらりと御入り候。かように京・田舎、御自身は御辛労候て、

仏法を仰せ開かれ候由、仰せられ候いし云々。

(御一代記聞書303)

 

草鞋の緒が跡に残るほど、全国を回られて布教をされたことが分かります。

3頭の駿馬を乗り継がれて、馬の方が先にまいってしまうほど

激しく活動的に仏法を伝えられたのです。

 

そのような善知識方のご苦労があればこそ、

今の私たちが仏縁を結ばせて頂けたのです。

 

親鸞聖人にとって、直接の善知識は法然上人。

法然上人に対する思いを聖人は和讃の中にこのように

言われています。

 

昿劫多生のあいだにも
出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずば
このたびむなしくすぎなまし

(高僧和讃)

 

真の知識にあうことは
かたきが中になおかたし
流転輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき

(高僧和讃)

 

命をかけて伝えて下さった色々な方のご苦労があって

今の仏縁があります。

有り難いご縁に感謝して、

仏教に教えられた本当の生きる目的を

達成しましょう。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年08月10日

私の命は今月限り

 

 

あなたの命、今月限りですよ。

来月は迎えられないですよ、と言われたらどうですか。

私の命は今月限り。

毎日毎日カウントダウンと同じです。


それでも現在と同じ生活パターンのままですか?
今、やっていることを、同じ様にやり続けますか?
人生の目的とは、死の宣告を受けても断行する、というものです。
死ぬとなったら、とてもやってられないというものは、
人生の目的ではない、本当に、大切なことではないのです。

ここに、かつて東大の宗教学の教授だった、岸本英夫さんの手記があります。
「死を見つめる心」これを通して、人生の目的、私たちにとって、
本当に大切なことは何かを考えて見たいと思います。

 

岸本さんは、宗教学の教授でした。
宗教学とは何か分かりますか?
宗教とは、宗とする教えということです。
宗とすべきものとは、私たちが、生まれてから死ぬまで、
何を指針として生きてゆけば、とりあえず幸せというのではなくて、
本当の幸せになれるか、
どの方角へ進めば、一時の幸せではなくて、変らない幸せになれるか、
ということです。
それを教えるのが、宗教。


その宗教学を、研究していた人が、岸本教授です。

だから、当然、私たちよりも長く、深く、生と死について考えていた。
その研究に人生を費やしていた人ですから。
生と死について考える毎日であったということです。

その岸本教授が、渡米中にガンの宣告を受けて
病魔と戦いながら亡くなるまでの十年間に書き残したものが
「死を見つめる心」という手記です。

宗教学は何の役にも立たなかったと言っています。

 

仏法に明日はない。

はやく仏教の教えを聞きましょう。

 

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2017年08月09日

高く買いすぎる

 

無駄使いをして、真価以上にお金を払って手にいれているが、

私達も他人事とは思えません。

 

たとえば、夜中のテレビであった何でも落ちる洗剤。

欲しいな、とダイヤル。
楽に腹筋ができる機械。アッという間にたくましいボディ−。

ラジカセ付き枕で、睡眠学習。2万か3万円。これは買わなかった。
イングリッシュアドベンチャー。毎月全12巻。聞くのは1回きり。

一時的にほしいと思って高い金を出してかっても後でつかわない。


カルチャースクール。フィットネスクラブ。入会金高い。

始めはやる気満々。
一ヶ月でほとんどの人が来なくなる。

いつのまにか断念することが多い。

いずれもちょっと思い立った時に始めて、あとで後悔。

私達も今でもひょっとしたら、真価以上に高く買いすぎているかもしない。

授業料。私大。4年間1000万。単価当たり少なくとも2000円。

ところが、休講。行ったけど、よだれの海とか。

実に無駄遣いしてる。きちんと勉強する人もいるが、たいてい暇つぶし。

よくわからない学生生活をしている人少なくない。


またお金の無駄遣いであるだけでない。

お金を自分のものにするには、働かなければならない。
旅館で早朝バイト・家庭教師・ベルトコンベアーの一つと化してバイト。

何十時間、時間をかける。これが世の中の仕組み。

お金を手に入れるまでに、それだけの労力。

時間を使って手に入れる。

 

ただで手にいれるものでないお金を何に使っているか?

時間というのは別の言い方をすると、人生そのもの。

限られた人生で何をするか?

さらに言いかえると、命を使って何をしようとしているか?

ということにもなってくる。

一度しかない人生で何を自分のものにしようとしているか?
ほとんどは、一度の楽しみの欲しさではないか?と反省させられます。

 

私達はついつい、手に入れたもの、明るい楽しい気持ちになれたものに目が行きがち。

目に見えるのはお金を代償にしている。犠牲にしている。

だが、その背景には、労力、時間、これらを犠牲にしている。

ほとんどの人はそういう視点を持っていない。

代価として失われているものがある。

けして、フランクリンだけが、高い笛を買って馬鹿だな、というだけではない。

たった一度しかない人生がどんどん失われていく。

 

パスカルが、

「あと一週間の命となったときにすることを、一生かけてもやらねばならない」

と言っているが、もし仏法を知らなかったら、途方にくれてしまうのでは?

これ一つ果たしたら死んでも悔いなし、ということがわからないならば、

一生かかっても何をすればよいか、わからない。

 

ほとんどの人は命や人生を無駄にしている。

もしわかれば、そこに向かって進む。一生かかって暇つぶし。

そして、だんだん死に近づいていく。おそるべきこと。

 

仏法を聞かせて頂いている私達も、いつ終わるともしれない。

貴重な財産を犠牲して、仏法のために時間を使っているだろうか?

と反省させられます。

 

仏教の言葉に、

「恒沙の身命を捨てても、なお一句の法門を聞ける報いには及ばず」

という言葉があります。

なぜ生きるかの答をはっきりと教えて頂いた真実の仏法。

その価値は、一生どころか恒沙の身命をすてるほどの値がある。

 

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高く買いすぎる

 

無駄使いをして、真価以上にお金を払って手にいれているが、

私達も他人事とは思えません。

 

たとえば、夜中のテレビであった何でも落ちる洗剤。

欲しいな、とダイヤル。
楽に腹筋ができる機械。アッという間にたくましいボディ−。

ラジカセ付き枕で、睡眠学習。2万か3万円。これは買わなかった。
イングリッシュアドベンチャー。毎月全12巻。聞くのは1回きり。

一時的にほしいと思って高い金を出してかっても後でつかわない。


カルチャースクール。フィットネスクラブ。入会金高い。

始めはやる気満々。
一ヶ月でほとんどの人が来なくなる。

いつのまにか断念することが多い。

いずれもちょっと思い立った時に始めて、あとで後悔。

私達も今でもひょっとしたら、真価以上に高く買いすぎているかもしない。

授業料。私大。4年間1000万。単価当たり少なくとも2000円。

ところが、休講。行ったけど、よだれの海とか。

実に無駄遣いしてる。きちんと勉強する人もいるが、たいてい暇つぶし。

よくわからない学生生活をしている人少なくない。


またお金の無駄遣いであるだけでない。

お金を自分のものにするには、働かなければならない。
旅館で早朝バイト・家庭教師・ベルトコンベアーの一つと化してバイト。

何十時間、時間をかける。これが世の中の仕組み。

お金を手に入れるまでに、それだけの労力。

時間を使って手に入れる。

 

ただで手にいれるものでないお金を何に使っているか?

時間というのは別の言い方をすると、人生そのもの。

限られた人生で何をするか?

さらに言いかえると、命を使って何をしようとしているか?

ということにもなってくる。

一度しかない人生で何を自分のものにしようとしているか?
ほとんどは、一度の楽しみの欲しさではないか?と反省させられます。

 

私達はついつい、手に入れたもの、明るい楽しい気持ちになれたものに目が行きがち。

目に見えるのはお金を代償にしている。犠牲にしている。

だが、その背景には、労力、時間、これらを犠牲にしている。

ほとんどの人はそういう視点を持っていない。

代価として失われているものがある。

けして、フランクリンだけが、高い笛を買って馬鹿だな、というだけではない。

たった一度しかない人生がどんどん失われていく。

 

パスカルが、

「あと一週間の命となったときにすることを、一生かけてもやらねばならない」

と言っているが、もし仏法を知らなかったら、途方にくれてしまうのでは?

これ一つ果たしたら死んでも悔いなし、ということがわからないならば、

一生かかっても何をすればよいか、わからない。

 

ほとんどの人は命や人生を無駄にしている。

もしわかれば、そこに向かって進む。一生かかって暇つぶし。

そして、だんだん死に近づいていく。おそるべきこと。

 

仏法を聞かせて頂いている私達も、いつ終わるともしれない。

貴重な財産を犠牲して、仏法のために時間を使っているだろうか?

と反省させられます。

 

仏教の言葉に、

「恒沙の身命を捨てても、なお一句の法門を聞ける報いには及ばず」

という言葉があります。

なぜ生きるかの答をはっきりと教えて頂いた真実の仏法。

その価値は、一生どころか恒沙の身命をすてるほどの値がある。

 

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2017年08月08日

一茎一花の徳 後生は一人一人のしのぎ

 

 

後生は一人一人のしのぎ。

人や環境がしてくれるものでなく、

自分の後生は自分が責任を持たねばならない。

 

自分が自分にやってくる未来を見つめ、

その解決を求めていかないと、解決できない。

自然と解決できるというものではない。

 

後生の一大事、見つめてそれに応じた種蒔いていかないと、

受け身ではなく、どうしたらどうしたら、

蓮如上人は「用心をして」心を用いてとおっしゃっている。
何となく受け身でいる、そうではなく、本当に解決するには、

自分自身で考えて。

後生は一人一人のしのぎだから。

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タグ:蓮如

2017年08月07日

人生をかけて求めるべきものは?

日本を庭のように手に入れていた秀吉でしたが、
「下剋上」の世の中を実感していた彼の毎日は、実に戦々恐々と
したものでした。

 

○大阪城大改築(二重三重の堀)
○大阪の町ごと改革
○大名の妻を人質
○隠し堀(風呂や便所にまで)

 

●いつ襲われるか分からないと、

いかにびくびくした毎日であったかということです。

 

●そして、臨終には、こんな辞世の句を残しています。

『おごらざる者もまた久しからず
 露と落ち露と消えにし我が身かな
 難波のことも夢のまた夢』

 

○「おごらざる者もまた久しからず
おごる平氏は久しからずと『平家物語』にありますように、
「平氏にあらずば人にあらず」

と豪語した平清盛はあっという間に源氏に滅ぼされてしまいました。

秀吉はその教訓を生かして、自分の天下は続かせようと
おごらないように勤めたというのです。
しかし、そう自戒していた秀吉の天下も永くは続かなかったのです。
その人生を振り返ると、

 

○「露と落ち、露と消えにし我が身かな

木の葉にできた露が、朝日が昇るとシューと消えてしまうような
あっという間の人生であったといっています。

 

○「難波のことも夢のまた夢
大阪城・伏見城を築いて、聚楽第、黄金の茶室までつくり、
500人の美女をはべらせ、天下に号令した秀吉だったのですが、
その大阪でのでき事も夢のような儚いものであったと秀吉は
言っています。

 

 

人が夢を見ると書いて「儚い」と読みます。

 

ある日、知り合いが道を歩いていると突然、空から1万円札が降ってきたそうです。

まず回りを見回して、誰もいないことを確認すると、
目一杯その1万円札を拾い集め、ポケットにいれたそうです。
「これで借金が返せる。新しいパソコンも買える。
あれもこれも手に入る」とお金を拾い集めている際中は幸せの
絶頂であったそうですが、ポケット一杯に詰め込んだ瞬間…、
その夢は覚めたそうです。
「ナンだ夢だったのか」と愕然としたといいます。

 

○今、秀吉は、まさにこの先輩が「なんだ、すべて夢だったのか」と
思ったように、人生の儚さを「夢のまた夢」と味わったのです。
しかも秀吉は、この先輩とは比べものにならない程の、お金や財産、
地位や名誉を実際この手にしていたのでした。
しかも命がけでかき集めて来たのですから、その時の心境は
想像に余りあります。

 

●辞世の句が訴えるもの

○あの人ほど、成功した人はいない、あんなふうに人生を送って
みたいと、日本で成功者といえば、トップに上げられる秀吉で
あっても、このような最後を迎えているということは、どれだけの
栄耀栄華を極めても、最後、死を目の前にしては全く喜べない
ということです。
これでは苦労のし甲斐がありません。

 

生涯かけてでも求めるべきものは

すべて夢だったと消えていくものではありません。

 

死がきても崩れない幸せは、

仏教の教えに説かれています。

 

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2017年08月06日

どんな人が非難攻撃しても変わらない心

金剛心とは、ダイヤモンドのような心。

ダイヤモンドというのは、もっとも固い石。

固いということは、変わらない。

金剛心とは、変わらない心。

 

いかなる人来りて云い妨ぐともすこしも変わらざる心を金剛心という

(隆寛律師)

 

どんな人が非難攻撃しても、変わらない心になれます。
心は他人の言葉ぐらいでぐらぐらしますが、
それが金剛心になれる。

 

分かりやすく、善導大師は、四重の破人と教えられています。
知者や学者が総攻撃しても、聖者が総攻撃しても、
菩薩が総攻撃しても、仏が攻撃しても。
愚禿鈔に出ています。

 

知者や学者とは、ノーベル賞をとったような、物知り、知識人です。
あなたの考え方は浅い、このように言われると吹っ飛んでしまいますが、

それもビリッともしない。

 

どうしてそういうことが言えるのかというと、
信心徹到したというのは、

悟りには52段ありますが、いろいろあります。
仏は52段目です。
この地球上では、お釈迦様以外にはいまだかつてありません。
頭がいいと言っても、一段も悟っていません。

しかし、信心徹到したというのは、五十一段高飛びします。

頭がいいといっても、一番下の人、その人から言われても、ビリッともしない。
親鸞聖人も、知者や学者から攻撃されました。

 

信心徹到していなくても、少々の非難攻撃ではぐらつかなくなっていきます。
この道に間違いないと知らされていく道です。

 

金剛の信心とまではいかなくても、簡単に動揺するようでは、
とても臨終の関所は越えられません。

 

聖者や菩薩から攻撃されても、大変高い悟りをさとっていても、ビリッともしません。
仏から攻撃されても、本師本仏とのお約束、

あなた方とのお約束ではありませんと、ビリッともしません。

 

人の言葉でぐらつくような信心では、とても臨終越えられません。
それで崩れるような信心では、真実の信心ではないのです。
それなら崩れたほうがよいのかもしれません。

続かない信心、本当の幸せにはなれませんよ。
苦しいことがやってくると崩壊する信心、それでは幸せになれないのです。

真実の信心は、どんな非難をされても、破りようがありません。
かたちのないものは、壊すことができません。
金剛の信心。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2017年08月05日

生き甲斐と人生の目的の違い

生き甲斐とは、完成のないものですから、

死ぬまで求道ということです。

 

達成というものはもうない、

それで、家康も、
「重荷を背負うて遠き道を行くが如し」
と詠んでいるのです。

 

死ぬまで求道になってしまうのです。

 

道を求めるということは、
決して楽なことではないです。

 

死ぬまで求道とは、結局死ぬまで苦しみということになります。
不実の信心とは、完成のないものなのです。

では、なぜ不実の信心は完成がないのか、
よく知らねばなりません。

 

五欲、欲にも代表的なものが五つあります。

 

五欲を満たして幸せになろうと、
お金、彼女、家などです。

 

欲を満たして幸せになろうとするものです。

しかし、欲にはきりがないです。
無限の欲望で、有限の人生を満たしきることはできない。
人生が無限であれば、満たすこともできるかもしれないですが。
どこまで行ってもきりがない。

「越えなばと、思いし峰に来てみれば なお行く先は 山路なりけり」
小学校終わったら勉強しなければいいかというと、
中学校でもしなければならない、

中学出ても、
高校出ても、勉強しなければならないのです。

社会に出ても、やっぱり勉強ですよ。

 

人間関係学、そんな人はまずいないです。
結婚したら、やっぱり難しいです。
そんなものが次々出てきます。

だから、死ぬまで求道になる。
趣味や生き甲斐には、死ぬまで完成がないのです。

 

それに対して人生の目的には、完成がある。

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タグ:結婚
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年08月04日

法施と財施が宿善になる

法施をすることがものすごい宿善になる。
六度万行の中でも最高の布施行。
布施の中にも法施と財施。中でも法施は最大の宿善。
親鸞聖人の御和讃で。
諸善万行ことごとく

 至心発願せるゆえに

 往生浄土の方便の

 善とならぬはなかりけり

諸善万行。もろもろの善。沢山ある善。
それらが悉く

 

至心発願せるゆえに。これは信前の人の心。
信後の心でない。十九願のことだから。
真剣に、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたい、という心。

それは、必ず往生浄土の方便の善となる。
往生浄土の方便の善。これが宿善。

 

人生の目的は、浄土往生ハッキリした身になること。

その、方便になる善。
真実に近づける善。
方便というのは真実に近づけるもの。
信前の人が、阿弥陀仏極楽浄土に生まれたい、という気持ちでやった善が、
往生浄土の方便の善にならないものはない。

六度万行の中の一番最初が布施行。
この布施行を筆頭として、諸善万行ことごとくは、宿善になるのだ。

その善の中でも、布施の中の法施、これが一番の宿善になる。
友達に、両親に仏法話する。なかなかできない。
念仏称えるのは誰でもできる。
しかし、仏法伝えて分かってもらう、というのはなかなか難しい。
これ以上宿善になることはない。もちろん聴聞とお勤めをのぞいて。
聴聞が第一。お勤めが第二。
六度万行の中で法施が第一。

仏法のためにお金を施す。これは法施と同じ。
施主、というのがある。

お金を出されて、多くの人の御法縁を開かれた。
話をされるのは講師だが、あの方々も法を施された。

法施にならない財施もあるが。
法財施。法施と財施と両方すること。

信後は、法施が最高の仏恩報謝になる。
信前は、最高の宿善になる。

 

親鸞聖人のこのお言葉。

諸善万行ことごとく

 至心発願せるゆえに

 往生浄土の方便の

 善とならぬはなかりけり

往生浄土の方便の善になる。
その最大のものが法施と財施。
だから、生きる力になる。
真実に近づいていくんだから。どんどんどんどん生きる力になる。
「法財施生きる力の元と知れ」

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年08月03日

仏教を嫌いな人の嫌いな理由

なぜ仏教を嫌いな人は仏教嫌いなのか。


「葬式や法事で訳のわからんお経を読んだり、
たまに説教すれば、地獄だの極楽だと死んでからの事ばっかり
言って金を持っていく」

どうして「どう生きるか」を教えないのかと。


汗水働いて得たものを、持っていきやがる。
嫌いになるのも当然。

 

どう生きるかというのは、

どんな生き方をすればいいのかと言うこと。
どうすれば健康に快適に生きていくことができるか。
健康ブーム。

 

しばしばテレビや雑誌で特集が組まれている。
お昼につけるテレビは、みのもんた。
毎年毎年同じ事やっている。夏ばてしない睡眠法…

大学でしている勉強は、どう生きるかという事に携わっている。
政治、経済、法律、医学。
これらは生きる手段。

手段と言うことは目的ではない。

 

どう生きるかとは、どんな歩き方をするかどんな走り方をするかということ。
400m男子の金メダルのマイケルジョンソ、反り返って走る。
100mの金メダル、モーリスグリーン。前屈みで走る。
マラソンは、そんな走り方していたら持たない。
いろんな走り方がある。

しかし、走り方を色々考えるのもゴールにつくため。

 

目的があって初めて手段が出てくる。
反対に考えてゴールや目的がないのに、
どう走ったらいいのかと考えている人がいたらお気の毒。
どこにもたどり着けない。
ゼーゼーハーハーと走ったことが無駄になってしまう。
何のためにどこに走っていくのかわからなければ、
走りだおれるために走っているようなもの。

 

曇鸞大師が浄土論註に、

尺取り虫のたとえを言われている。

 

尺取り虫は、自分なりにペース配分を考えてぐるぐる回っている。
結果、火鉢の中へ落ちていく。
どう走ったら早く走れるのか、それだけを考えている人は悲劇あるのみ。

 

エンドレスランという体罰が体育会であるそうな。

 

いつまでもトラックを走り続けなければならない。

仏教では、どう生きるかも確かに大事だが、
「なぜ生きるか」はもっと大事でないですか?

 

どこまで走っていけば、ああ走ってきて良かったということになるのか。

人生のゴール、決勝点はどこか、その古くて新しいテーマ。
これを明かにされたのが仏教

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タグ:お経
posted by 陽葵 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教