無駄使いをして、真価以上にお金を払って手にいれているが、
私達も他人事とは思えません。
たとえば、夜中のテレビであった何でも落ちる洗剤。
欲しいな、とダイヤル。
楽に腹筋ができる機械。アッという間にたくましいボディ−。
ラジカセ付き枕で、睡眠学習。2万か3万円。これは買わなかった。
イングリッシュアドベンチャー。毎月全12巻。聞くのは1回きり。
一時的にほしいと思って高い金を出してかっても後でつかわない。
カルチャースクール。フィットネスクラブ。入会金高い。
始めはやる気満々。
一ヶ月でほとんどの人が来なくなる。
いつのまにか断念することが多い。
いずれもちょっと思い立った時に始めて、あとで後悔。
私達も今でもひょっとしたら、真価以上に高く買いすぎているかもしない。
授業料。私大。4年間1000万。単価当たり少なくとも2000円。
ところが、休講。行ったけど、よだれの海とか。
実に無駄遣いしてる。きちんと勉強する人もいるが、たいてい暇つぶし。
よくわからない学生生活をしている人少なくない。
またお金の無駄遣いであるだけでない。
お金を自分のものにするには、働かなければならない。
旅館で早朝バイト・家庭教師・ベルトコンベアーの一つと化してバイト。
何十時間、時間をかける。これが世の中の仕組み。
お金を手に入れるまでに、それだけの労力。
時間を使って手に入れる。
ただで手にいれるものでないお金を何に使っているか?
時間というのは別の言い方をすると、人生そのもの。
限られた人生で何をするか?
さらに言いかえると、命を使って何をしようとしているか?
ということにもなってくる。
一度しかない人生で何を自分のものにしようとしているか?
ほとんどは、一度の楽しみの欲しさではないか?と反省させられます。
私達はついつい、手に入れたもの、明るい楽しい気持ちになれたものに目が行きがち。
目に見えるのはお金を代償にしている。犠牲にしている。
だが、その背景には、労力、時間、これらを犠牲にしている。
ほとんどの人はそういう視点を持っていない。
代価として失われているものがある。
けして、フランクリンだけが、高い笛を買って馬鹿だな、というだけではない。
たった一度しかない人生がどんどん失われていく。
パスカルが、
「あと一週間の命となったときにすることを、一生かけてもやらねばならない」
と言っているが、もし仏法を知らなかったら、途方にくれてしまうのでは?
これ一つ果たしたら死んでも悔いなし、ということがわからないならば、
一生かかっても何をすればよいか、わからない。
ほとんどの人は命や人生を無駄にしている。
もしわかれば、そこに向かって進む。一生かかって暇つぶし。
そして、だんだん死に近づいていく。おそるべきこと。
仏法を聞かせて頂いている私達も、いつ終わるともしれない。
貴重な財産を犠牲して、仏法のために時間を使っているだろうか?
と反省させられます。
仏教の言葉に、
「恒沙の身命を捨てても、なお一句の法門を聞ける報いには及ばず」
という言葉があります。
なぜ生きるかの答をはっきりと教えて頂いた真実の仏法。
その価値は、一生どころか恒沙の身命をすてるほどの値がある。