2017年08月07日
人生をかけて求めるべきものは?
日本を庭のように手に入れていた秀吉でしたが、
「下剋上」の世の中を実感していた彼の毎日は、実に戦々恐々と
したものでした。
○大阪城大改築(二重三重の堀)
○大阪の町ごと改革
○大名の妻を人質
○隠し堀(風呂や便所にまで)
●いつ襲われるか分からないと、
いかにびくびくした毎日であったかということです。
●そして、臨終には、こんな辞世の句を残しています。
『おごらざる者もまた久しからず
露と落ち露と消えにし我が身かな
難波のことも夢のまた夢』
○「おごらざる者もまた久しからず」
おごる平氏は久しからずと『平家物語』にありますように、
「平氏にあらずば人にあらず」
と豪語した平清盛はあっという間に源氏に滅ぼされてしまいました。
秀吉はその教訓を生かして、自分の天下は続かせようと
おごらないように勤めたというのです。
しかし、そう自戒していた秀吉の天下も永くは続かなかったのです。
その人生を振り返ると、
○「露と落ち、露と消えにし我が身かな」
木の葉にできた露が、朝日が昇るとシューと消えてしまうような
あっという間の人生であったといっています。
○「難波のことも夢のまた夢」
大阪城・伏見城を築いて、聚楽第、黄金の茶室までつくり、
500人の美女をはべらせ、天下に号令した秀吉だったのですが、
その大阪でのでき事も夢のような儚いものであったと秀吉は
言っています。
人が夢を見ると書いて「儚い」と読みます。
ある日、知り合いが道を歩いていると突然、空から1万円札が降ってきたそうです。
まず回りを見回して、誰もいないことを確認すると、
目一杯その1万円札を拾い集め、ポケットにいれたそうです。
「これで借金が返せる。新しいパソコンも買える。
あれもこれも手に入る」とお金を拾い集めている際中は幸せの
絶頂であったそうですが、ポケット一杯に詰め込んだ瞬間…、
その夢は覚めたそうです。
「ナンだ夢だったのか」と愕然としたといいます。
○今、秀吉は、まさにこの先輩が「なんだ、すべて夢だったのか」と
思ったように、人生の儚さを「夢のまた夢」と味わったのです。
しかも秀吉は、この先輩とは比べものにならない程の、お金や財産、
地位や名誉を実際この手にしていたのでした。
しかも命がけでかき集めて来たのですから、その時の心境は
想像に余りあります。
●辞世の句が訴えるもの
○あの人ほど、成功した人はいない、あんなふうに人生を送って
みたいと、日本で成功者といえば、トップに上げられる秀吉で
あっても、このような最後を迎えているということは、どれだけの
栄耀栄華を極めても、最後、死を目の前にしては全く喜べない
ということです。
これでは苦労のし甲斐がありません。
生涯かけてでも求めるべきものは
すべて夢だったと消えていくものではありません。
死がきても崩れない幸せは、
仏教の教えに説かれています。
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