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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年08月21日

現生不退の本当の意味

生きている時に絶対にしりぞくことのない幸
せになれるということで、現生不退という。

 

一念往生現生不退
というのは何をいわれたものか。

これが阿弥陀仏の本願。

 

阿弥陀仏の本願と平生業成
これはイコール。

 

阿弥陀仏の本願を理解していない人は、
どれだけ聞いても聞き誤る人は、
求めても求めても永遠に求めきらん。

死ぬまで求道。道を求める。

 

こうして求める人もいるが、
そういう道を求めても求めてもこれ以上求めても何もないというのは、
弥陀の本願にだけはあるが、この世の一切のものにはない。

 

大学の基礎工学部を卒業して、ドクターになる。
毎日試験管の前で測定をしている。泊まり込みの人もいる。
それで求めても求まらない。


ところが皆さんがもし、親鸞聖人の御教えを求めていけば、決着が付く。
これをどう聞き誤ったのか、信心決定できるとは思えないと、
考え込んでしまう人がある。

無理のように思うとか、思ってしまう人がある。

それだったら私は金儲けをしようとか、金は求まるが、
親鸞聖人の教えは求まらないと勘違いする。

これを自力の心という。全てのものは求まらない。


何か一つのことをやろうとしても高望みして失敗すると言うことはある。
ところが、親鸞聖人のみ教えは、阿弥陀仏の本願力によって現生不退の身に救う、
ただ仏智不思議によって平生に助かる。
間違いなく親鸞聖人のみ教えを聴聞していくと。

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2017年08月20日

慈悲によって幸せになる

慈悲というのは、他人の苦しみを抜いて、幸せを与えようという心

 

普通自分が幸せになろう、と思う。

もっと言うなら自分が安らかなら人なんかどうでもいい。

人が幸せなのを見るとむかつくのよー。思わず吹き矢を・・。

人が成功する、うまくいく。そうなるとねたましい。

逆に人が失敗するとうれしくなる。

 

中田がPKはずす、

松坂が無期限の自宅謹慎になる。同じサッカーしている、

同じ野球をしていると言う場合は、

必ずしも成功が喜ばしいわけではない。

 

他人の失敗が悲しいと言うのはどこか無理している。

仏様の心は何とかして苦しみを抜いて楽しみを与えてやりたい。

なかなか人間の持ち合わせている心ではない。

事業に失敗して落ち込んでいると言う人を励ました大地のごとき女性。

 

あるいは受験に失敗した就職に失敗した結婚に失敗した

離婚に失敗した。

こうすればうまくいくと思っていたけどうまくいかない。

バイトに失敗した単位を落とした・・。

平和な家庭作り。

 

そういうような失敗をした時にドンマイと言う人が

いたらどんなに心強いことだろう。

 

おそらくこの世の中で親友と言う人がいたならば

本当に自分を愛していてくれる人がいたなら、

愛人というとどこか不倫のような響きがあるので、愛情とか。

 

お母さんやお父さんの親の恩とか。

そういうようなどん底にいるような人のとこにきて

なかなかほかの人がわかってくれないようなことをわかってくれた。

 

あなたが気づいてくれてそしてわかってくれる。

そういう人がよき友でよき先輩である。

どうやら最近はそういう人が減ってきて愛情に飢えている。

17歳ぐらいの人がほえたりわめいたり。

そのような人がいたらどんなにか心強い。

加藤清正。

普通ならわからないところを誉める。

普通誉められると、いい気持ちになる。

誉めた人もそれを見ていい事したということになる。

料理をしてそして食べて「あーおいしい」と。

食べていないのに喜んでいるあなたの顔を見るだけでうれしいと言う人がいる。

この不景気にケーキを焼いてきて、皆で食べて景気をつける、そして自分が元気になる。

 

高校時代キャプテンが非常にもてる。

昼休みになると親衛隊みたいな人が弁当を持ってくる。

「おまえにもやろうか」「いらねえ」と言いながら一コ食べる。

ご飯の部分がおにぎり方になっている。

のりの部分がloveになっている。

どうやって造ったんだろう。特にo(オー)が許せない。

ウサギの芋とか、タコのウインナ−とか。

女の人にしてはあなたに食べてもらいたい、それが私の幸せ。

そう思える人は心のやさしい人。

私達も誰かに挨拶するとき、挨拶した相手が非常に喜んでいるとき、

良かったと言う気持ちになる。

逆に「こんにちはー」とやっても全く無視、

となった場合喜ばない相手を見てこっちも喜べない、

うれしいともいわない、喜びもないと言う人といると

こっちもそういう気になる。

 

あの人は無表情で笑ったところは見たことがないという人からは、
人が離れていく。

逆にあの人は明るくて、あの人といると元気になる

という人には人が集まってくるという傾向がある。

 

一度も笑ったことのないような、いわゆる自閉症の人。

いつもインターネットしている。

全く表情がないと言う人は、もしその人の親であれば、

どうかその人に幸せになってもらいたいと思う。

そういう気持ちを強く持つことが大事。

そういう気持ちが強いかどうかは個人差がある。

ほかの人にやさしくしてほしいなら自分が人にやさしくする。

自分がほかの人に優しくしても、他の人から冷たくされるのが世の中ですが、

それでも惜しみなく愛情を注ぐ、

惜しみなく慈悲を注ぐ人は間違いなく人生成功する。

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タグ:結婚
posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年08月19日

阿弥陀仏に救われて知らされた調熟の光明

調熟の光明とは、

調はととのえる、阿弥陀仏が少しも聞く気のない私達の心を整える。
そして熟させる。

少しも聞く気のない人の心をととのえて聞かせる。
これを調熟の光明という。

 

荒れ果てた心を整地して仏様の種をまいてくださる。
すべて阿弥陀仏の働き。

少しも聞く気のない人に聞かせんとする、
これを大慈悲心、略して大悲という。

 

今までは知らなかったけれど、阿弥陀仏に救われて知らされた。
助ける弥陀が手を下げて、任せてくれよの仰せとは。

助けられる方にはお願いしますと
阿弥陀仏を信ずる心、念ずる心がないから聞く気がない、
助かる縁がない、そういうものにその聞く気を、求める心も願う心も
私がつくって与えよう。

 

阿弥陀仏は私達をなんとかして聞く気のない、
念ずる心も願う心も少しもないものをなんとかして助けようと
遠大無類な計画をたてられた。

 

そういうお慈悲をよくよく聞いてみれば助ける

阿弥陀仏が、助けさせてくれと手を差しのべておられる。
何もかも他力であったと知らされる。

 

そうなるとつま先から髪の毛の先まで南無阿弥陀仏に染まるから
この大悲を伝えずにおれなくなる。
常行大悲、親鸞聖人もこの心に動かされた。
私達も同じようにしてこの大悲を常に行おう。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年08月18日

どのように絶対の幸福まで出すか

阿弥陀仏の本心誓われている18願はどういうお約束か。
本当の幸せにしてみせる。
信楽の身にしてみせる。
人間に生まれてきてよかった。生命の歓喜。

 

ところが、十方衆生は、こんな世界なんてしるよしもないい。
十方衆生はどういうところにいるか。
三界というところにいる。
欲界、色界、無色界。
すべての人はこういうものを手にいれたいと思って生きている。

 

五欲のみで生きている世界。
60億の全人類のうち、ほとんどこれといってよい。
おいしいものを食べたい、お金をためたい、色欲、
出世したい、いい賞をとる、ねておりたい。
世の中に寝るほど楽はなかりけり・・・。
ほとんどが欲界。

 

無常の命をもちながら、限りない欲に引きずられいてる。

芸術。音楽。ピアノ。盆栽。
五欲を求める。私は、書に人生の喜びを・・・。
色界の人はあまりお金に無頓着ではない。

五欲、芸術に人間に幸せがあるのではない、と思う人。
哲学、思想。
真の幸福を見つけようとしている人。

ほとんど欲界。
生活が安定してくると、移動してくる。
戦後、明日の食べ物も心配。
書道、詩吟、庭に噴水・・・

十方衆生みなこれ。

 

迷信、墓相、家相、・・・
そういうものを信じている。
こういう迷信を信じていなくても、
お金があれば幸せになれる、平凡にくらしていれば、・・・
と思っている。

 

絶対の幸福の世界なんてしるよしもない。

三界皆苦。みな苦しんでいる。
十方衆生をどうしたら、この世界に出すことができるのか、と
阿弥陀仏が悩まれて、考えら手立てられたのが
19願、20願、

19番目のお約束と20番目の御約束。

19願、20願をたてられた。

 

目的は、18願にいれるため。
本心は18願。この世界に入れたい。
だからこれは真実の願。
この世界にいれるためにたてられたから、方便願という。
これが阿弥陀仏が19がん、20願を立てられた目的。
だから、真実に対して、方便という。
これが必要ないなら、たてられない。
絶対に必要だったから。
このくそ忙しいのに。
不必要なものをたてられるがはずがない。

この十歩う衆生を統合しなけれならない。
いろいろな価値観で生きている。
金、いや、金なんか、平凡な家庭・・・
幸せになろうとしている、しかし現実は幸せになれていない。
因果の道理で統一されようとした。
迷信ですよ。こんなもので幸せになれるのではない。
私たちの幸せは、因果の道理、私たちの行為がうみだす。
これは大宇宙の真理だから、聞けば誰でも納得する。

幸せになりたければよい行いをしなさい。
行為によってわれわれの運命はかわる。
これは外道、迷信を信じていても幸せになれない。
この因果の道理を19願で教えられている。
19願で統合されようとしている。
19願のことを修諸功徳の願という。
功徳=善。諸善のこと。いろいろな善。
一生懸命よい行いをしなさい。
修諸功徳の願という。

19願が絶対に必要だったから立てられた。
善導大師は要門といわれている。
重要、必要、肝要。
ここをとおらずしては、絶対にこの世界には入れない。だからこういわれた。

20願のことを植諸徳本の願という。
諸の徳の本は名号のこと。
大宇宙の大功徳のかたまり。
蓮如上人がおっしゃっている。

南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、

さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、

無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
御文章五帖)
その名号を植えなさい、ということは、念仏を称えなさいということ。

善をすすめられている。
善のかけらもできない自分のすがたが知らされる。
念仏も称えられない自分であった。

阿弥陀仏の巧みなご方便とは、19願、20願。
この世界にいれるために。

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2017年08月17日

帰命とは?

仏教では、帰命とか、南無という言葉がよく出てくる。

しかし、親鸞聖人の帰命は、私たちが帰依するという意味ではない。

 

帰命と申すは如来の勅命に順いたてまつるなり。(尊号真像銘文)


如来」とは、阿弥陀仏
勅命」とは、命令。
帰命は、阿弥陀仏のそのままこいという命令。
そのままこいの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる。
それにはいと従った時が、帰命。

 

教行信証には

「帰命は本願招喚の勅命なり
招喚とは、そのままこいということ。

帰命は阿弥陀仏のそのまま来い勅命。

 

正信偈の最初に

無量寿如来に帰命したてまつる

 

阿弥陀仏に救われたということ。

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2017年08月16日

二河白道とあなたの関係

二河白道の二河とは、水の河と火の河。

 

水の河欲の心

火の河怒りの心

どうしてこのようにたとえられるのか。
水の河。欲はどこまでいっても際限が無い。

キリが無いことをたとえている。

 

怒りはすべてを焼き尽くす。

そのように私たちの怒りは恐ろしい。

怒りは無謀に始まり後悔におわるものだ。

 

あとは野となれ山となれ。

といってかっとなるけれどあとで必ず後悔する。

 

怒りの心が仏法を聞こうとする心を焼いてしまう。
怒りの心欲の心

この白道をすすんでいくと必ず問題になる。

 

白道四五寸とは私たちの求道心・聞法心を表していいる。

私たちの求道心は大変弱くて細い。

そのあとに信心とありますがこれは二種深信を表している。
信心決定した後は、大安心大満足の無碍の大道に生かされる。

 

一進一退を繰り返して進ませていてただくのも西岸より
阿弥陀仏が強い御念力で引っ張っておられるから。
旅人には分かりませんが。

 

群俗悪獣悪知識とは求道聞ぽうを妨げるすべて。
体が群賊という人もある。

趣味や生き甲斐が群賊ということもある。

いろんな形で群賊が囁く。

 

家族が非難してくる人もある。

変な宗教にはまっているんではないかと。

あるいは寺の坊主が反対してくる。

 

みな一生懸命やら無くていいよと進める人ばかり。
しかし最大の敵はおのれの心。

最大の敵は心であり、最強の味方も心。

最大の群賊は自分の心。

 

西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
昿劫已来もいたずらに
むなしくこそはすぎにけれ

(高僧和讃)

 

親鸞聖人は火の中かき分けても聞けと教え進めておられる。

ところがこのように教え進めておられる方はいない。
わたしたちの求道聞法をさまたげるものを善導大師
群俗悪獣と教えられた。

 

さまざまに邪魔する妨げる。

いろいろなものが。

それを自障障他せしほどに、と教えておられる。
障他、この道ものめたら必ず反対を受ける。誰もが。
そうすると自障、求めるのをやめようか、となる。

 

昿劫已来もいたずらに
むなしくこそはすぎにけれ

 

果てしの無い昔から今日まで、

群賊に騙されて苦しみ続けてきた。

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タグ:阿弥陀仏
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2017年08月15日

本心に迫る

仏教では、心を8つに分けて

八識を教えられている。

最初の五つを前五識

心理学で意識とか潜在意識などといわれているのは、

六番目の意識。

7番目が末那識

8番目が阿頼耶識、本心。

 

前五識と意識の喜びが、相対の幸福
だから、続かないし、キリがない。
本心は闇に覆われたまま。


夜空の打ち上げ花火のよう。
「心の病」とも言われる。


人間の本質的気分は不安(パスカル)
この心の闇の解決が人生の目的
破闇満願して摂取不捨の利益になれる。 これが絶対の幸福です。

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2017年08月14日

成功の秘訣

男なら誰しも成功、

サクセスストーリーを望む。


しかし成功には努力がつきもの
松下幸之助は血尿が出るほど努力した。

オリンピック選手は一日中練習している。


歴史上では、秀吉。

しかし、人は棺おおうて名定まる。

人生の成功は短距離走ではない。

マラソンのようなもの。

 

人間万事塞翁が馬ともいわれる。

最後はどうか、栄華栄耀極めても、

秀吉は、このような辞世を詠んでいる。

 

露と落ち 露と消えにし 我が身かな

難波のことも 夢のまた夢

難波というのは大阪。

大阪を中心に栄耀栄華を極めたことも、

夢のように消えてしまった。

 

反対に、太平洋戦争に敗北した東条英機は、

巣鴨の刑務所で仏教を聞き、処刑される寸前に、

このような辞世を詠んだ。

 

さらばなりういの奥山今日越えて ゆくぞうれしき

 

明日よりは誰にはばかるところなく のびのびと寝ん

 

日も月も蛍の光さながらに ゆく手に 光輝く

 

死が来ても崩れない

無碍の一道という世界に出ることが、答え。

それは仏教を聞けば出られる。

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タグ:歴史
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2017年08月13日

唯心の弥陀・己心の浄土とは

唯心の弥陀、己心の浄土について。これは聖道仏教の考え方。
阿弥陀如来極楽浄土を観念的に見る。実在しないのだ。
心の中に思い浮かべるものだという。

 

 

ハワイの今から100年以上前、日本人がたくさん移民した。

その子供たちが二世。

 

英語も半分、日本語も半分。

今、日系4世、5世。考え方もアメリカ。

しかし日本を懐かしく思う。

日本は私の心のふるさとだといっている。

心の中にそういうイメージを膨らませている。

これは一つの想像の世界。

 

観念の遊戯、観念の世界。

仏教の教え、阿弥陀仏の本願に救われる。

呼び声を聞く。

対面する。
確かな弥陀に確かに救われる教え。

 

それに対して聖道仏教で言われる、

この唯心の弥陀、己心の浄土というのは、

ちょうど心の中には鏡のようなものがあるのだ。

 

ところが色々な錆によって曇っている。

だからこれをやすりで磨く。

それまで曇ってみえなかったものが見えてくる。

錆にたとえたのは煩悩で、これを断ち切ると見えてくる。

私の心の中に弥陀や浄土を照らし出すんだ、と思っているのです。


死ぬまでなくそうとしてなくならない。

これは死ぬまで求道と一緒です。

それに対して、真実の仏教の教えというのは、

生きたこの世で、生きた弥陀と対面して、

阿弥陀如来と一体となるのです。決勝点があるのです。

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タグ:阿弥陀仏
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2017年08月12日

二河白道の火の河と水の河と白道とは?

二河白道のたとえで、

旅人が尊い人の教えの通りにひたすら進んでいくと

突如としてぶち当たるニ河がある。

水の河と火の河です。

水の河というのは、火の河は怒りの心。

 

ひたすらにというのは真剣に、まじめにむかっていくということで、

西に向かってというのはわかっているのに、思っているのは、

どうしたらおいしいもの食べれるか、いい人と仲良くなれるかとか、

そんな欲の心ばかり。

 

わかってるはずなのに、なんでだろう?

それが障りになる。

こちらの岸にいるときにはそれが障りにならない、

それはその通りにやってるから。

 

それが教えの通りに進んでいると、それが障りになる。

聴聞の道を進んで行くと、あれもしたいこれもしたい、だけどできない。

それで苦しい。そう言う心がでてきたというのはそれだけ

真実に向かって進もうとしているということ。

 

だけどどれだけ欲を満たしても幸せにはなれない

お釈迦さまはお金を指さされて

「大蛇に気をつけよ」といわれている。

 

毒蛇にかまれそうになる、そう言う心いっぱい。

真実にむかって進まなきゃ行かんということはわかっているけど

その欲の心にほだされそうになる。

その中を尊い方の言葉を信じて進んで行く。

自分の欲を邪魔する人がいる、その通りにさせてくれない。

 

そういう怒りがでるのはどうしてか?

「悪人ばかりだとケンカにならない」

A家の皆さんは「私が悪かったです」という。

普通なら、自分が正しい、相手が悪い、それでケンカになる。

 

怒りの心というのは自分が正しい、相手が悪いそういう大前提がある。

自分はどうだろう?自分は同じようなことをしてないだろうか

自分の胸に手をあてて考えて見るといろいろ知らされる。

知らされれば知らされるほど怒りの心はとけていってします。

 

煩悩で苦しみながら進んでいく道

「貪愛の心常によく善心をけがし瞋憎の心常によく法財を焼く」

親鸞聖人)

 

そう言う心が起きるということは、

このニ河の道をひたすらに進もうとしているから。

この白道を進もうとすればするほど苦しみがやってくる。

舟でもそう。

早く進めば進むほど波は高くなる。

のんびりのんびり進んで行くと、波もたたない。

速度をあげると大変なこともおこる。

急ぐことも大事だけれど

「急いで急がず、いそがずに急ぐ」

あまりにも急いで、道をふみはずしてしまったらもともこもない。

しっかり原点を確認して、誰の後生の一大事の為なのか。

我が身の後生のためじゃないか、

そういうことを確認して進んで行く。

だけどのんびりとしていていいのかというとそうではない。

「急がずに急ぐ」それは私達の命は無常だから。

急ぐことも大事だけど、急がずというのは

しっかりと大地に足をふみしめていけ。

 

ということ、本当にこちらの岸でいいのか、

どこにむかってすすめばいいのかということを

よくよく考えてすすめといわれる。

 

二河の真ん中に細くて白い道がある。

善導大師は白道の幅を四五寸といわれている。

あの30年間床につかれなかった、生涯女性をみられなかった、

その善導大師が真実を求めようとする心なんか

少しもなかったといわれている。

 

そんな中を1歩1歩人生の目的にむかってすすんでいる姿。

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タグ:聴聞
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教