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2017年08月24日
自力の仏教で助かるだろうか
自力の仏教で助かるだろうか。
比叡山で天台宗の修行を20年間された
親鸞聖人に聞いてみましょう。
自力聖道の菩提心
こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき
(親鸞聖人)
自力聖道の菩提心
こころもことばもおよばれず
とは、法華経のような自力仏教、聖道門仏教をやっている人。
何とか助かろうと思っても、
とても心も言葉も及ばない決心を要する。
救われません。
常没流転とは、常に苦しみ迷いの世界に沈んで、六道輪廻していることをいいます。
凡愚とは人間。
いかでか発起せしむべきとは、
どうして、自力仏教で助かるだろうか。
助かりませんよ。
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2017年08月23日
正しい仏教の先生方はいつもどのようなことを思っておられるのか
正しい仏教の先生方はいつもどのようなことを思っておられるのか。
親鸞聖人はこのようにいわれている。
三朝浄土の大師等
哀愍摂受したまいて
真実信心すすめしめ
定聚のくらいにいれしめよ
(正像末和讃)
精一杯やっていますが、無碍の一道に出る人がありません。
御助力をお願いでございます。
同じ告白を蓮如上人もなされている。
あわれあわれ存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり
まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心しばらくもやむことなし
(御文章)
宿善まかせであるからなぁ、
蓮如上人も同じ事を思っておられる。
ここまで求め抜いてください
決勝点があるんですよ。
人生の目的があるんですよ。
来る日も来る日も、叫び続けてゆかれた。
聞かせて頂く私達の気持ちがなくてはもったいない。
何とかこの一座で、という気持ちでのぞませて頂きたい。
ご恩をかみしめて尊く真剣に聞かせて頂きましょう。
2017年08月22日
長者窮子の譬えとは?
ある、祭り見物の中で、我が子を見失った長者が、
その子を見つけるために遠大な計画をたてた。
長者窮児の譬え。
貧しい乞食の子、これにたとえられたのが、私達で、
長者にたとえられたのが、阿弥陀仏であります。
長者の方は、窮児をずーっと心配し、
なんとかして全財産を渡そうと思っている。
ところがぐうじの方は、まさかそんな長者の子だともわからずに、
とんとわからんと、とにかくその日にいくらかのお金があがる、
そういう気ままな生活をしている。
窮児を本当に幸せにしようと、
真剣になっているのだけれど、
親の心子知らず。
一計を案じまして、窮児にとっては、
長者さまは、雲の上の人で、
びっくりしちゃう。
そこで、長者さまは、窮児に近くて、親しみのもてる、
掃除夫に頼んで、窮児を連れてきてもらう。
こういうのを、仏教の言葉で、調機誘引といいます。
阿弥陀仏が、私達の心を調える。
そして、真実の世界に誘って、
そしてぐいぐいと真実の世界にひっぱり出して下される。
そういう阿弥陀仏の働き、お力、
それを調機誘引というのです。
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