調熟の光明とは、
2017年08月19日
阿弥陀仏に救われて知らされた調熟の光明
調はととのえる、阿弥陀仏が少しも聞く気のない私達の心を整える。
そして熟させる。
少しも聞く気のない人の心をととのえて聞かせる。
これを調熟の光明という。
荒れ果てた心を整地して仏様の種をまいてくださる。
すべて阿弥陀仏の働き。
少しも聞く気のない人に聞かせんとする、
これを大慈悲心、略して大悲という。
今までは知らなかったけれど、阿弥陀仏に救われて知らされた。
助ける弥陀が手を下げて、任せてくれよの仰せとは。
助けられる方にはお願いしますと
阿弥陀仏を信ずる心、念ずる心がないから聞く気がない、
助かる縁がない、そういうものにその聞く気を、求める心も願う心も
私がつくって与えよう。
阿弥陀仏は私達をなんとかして聞く気のない、
念ずる心も願う心も少しもないものをなんとかして助けようと
遠大無類な計画をたてられた。
そういうお慈悲をよくよく聞いてみれば助ける
阿弥陀仏が、助けさせてくれと手を差しのべておられる。
何もかも他力であったと知らされる。
そうなるとつま先から髪の毛の先まで南無阿弥陀仏に染まるから
この大悲を伝えずにおれなくなる。
常行大悲、親鸞聖人もこの心に動かされた。
私達も同じようにしてこの大悲を常に行おう。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image