阿弥陀仏の本心誓われている18願はどういうお約束か。
本当の幸せにしてみせる。
信楽の身にしてみせる。
人間に生まれてきてよかった。生命の歓喜。
ところが、十方衆生は、こんな世界なんてしるよしもないい。
十方衆生はどういうところにいるか。
三界というところにいる。
欲界、色界、無色界。
すべての人はこういうものを手にいれたいと思って生きている。
五欲のみで生きている世界。
60億の全人類のうち、ほとんどこれといってよい。
おいしいものを食べたい、お金をためたい、色欲、
出世したい、いい賞をとる、ねておりたい。
世の中に寝るほど楽はなかりけり・・・。
ほとんどが欲界。
無常の命をもちながら、限りない欲に引きずられいてる。
芸術。音楽。ピアノ。盆栽。
五欲を求める。私は、書に人生の喜びを・・・。
色界の人はあまりお金に無頓着ではない。
五欲、芸術に人間に幸せがあるのではない、と思う人。
哲学、思想。
真の幸福を見つけようとしている人。
ほとんど欲界。
生活が安定してくると、移動してくる。
戦後、明日の食べ物も心配。
書道、詩吟、庭に噴水・・・
十方衆生みなこれ。
迷信、墓相、家相、・・・
そういうものを信じている。
こういう迷信を信じていなくても、
お金があれば幸せになれる、平凡にくらしていれば、・・・
と思っている。
絶対の幸福の世界なんてしるよしもない。
三界皆苦。みな苦しんでいる。
十方衆生をどうしたら、この世界に出すことができるのか、と
阿弥陀仏が悩まれて、考えら手立てられたのが
19願、20願、
19番目のお約束と20番目の御約束。
19願、20願をたてられた。
目的は、18願にいれるため。
本心は18願。この世界に入れたい。
だからこれは真実の願。
この世界にいれるためにたてられたから、方便願という。
これが阿弥陀仏が19がん、20願を立てられた目的。
だから、真実に対して、方便という。
これが必要ないなら、たてられない。
絶対に必要だったから。
このくそ忙しいのに。
不必要なものをたてられるがはずがない。
この十歩う衆生を統合しなけれならない。
いろいろな価値観で生きている。
金、いや、金なんか、平凡な家庭・・・
幸せになろうとしている、しかし現実は幸せになれていない。
因果の道理で統一されようとした。
迷信ですよ。こんなもので幸せになれるのではない。
私たちの幸せは、因果の道理、私たちの行為がうみだす。
これは大宇宙の真理だから、聞けば誰でも納得する。
幸せになりたければよい行いをしなさい。
行為によってわれわれの運命はかわる。
これは外道、迷信を信じていても幸せになれない。
この因果の道理を19願で教えられている。
19願で統合されようとしている。
19願のことを修諸功徳の願という。
功徳=善。諸善のこと。いろいろな善。
一生懸命よい行いをしなさい。
修諸功徳の願という。
19願が絶対に必要だったから立てられた。
善導大師は要門といわれている。
重要、必要、肝要。
ここをとおらずしては、絶対にこの世界には入れない。だからこういわれた。
20願のことを植諸徳本の願という。
諸の徳の本は名号のこと。
大宇宙の大功徳のかたまり。
蓮如上人がおっしゃっている。
「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、
無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
(御文章五帖)
その名号を植えなさい、ということは、念仏を称えなさいということ。
善をすすめられている。
善のかけらもできない自分のすがたが知らされる。
念仏も称えられない自分であった。
阿弥陀仏の巧みなご方便とは、19願、20願。
この世界にいれるために。
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