親鸞聖人でさえ、今日世界の光と仰がれる親鸞聖人でさえ
9歳から29歳比叡山で一生懸命努力されたにもかかわらず
苦しみ悩みが無くならなかった。
善知識に会えなかったから。
あれだけ才能があり素晴らしい学もあり徳もある方が
どうして幸せになれなかったかというと善知識に会えなかったから。
さぼっていたのではない、大変な努力をされていた。
善知識に会えなかったから。
その親鸞聖人が、山を下りられて、建仁元年春
に無明の闇が破れた、よろこばしきかな心を弘誓の仏地にたてた。
噫弘誓の強縁は多生にもあいたがいのにあえた、
と叫ぶことができたのは29歳。
ということは比叡山で過ごされたのが20年間。
それから山を下りられて法然上人に会われた。
それから三ヶ月で、苦悩の根元が破れた。
善知識の、法然上人の導きによって三カ月足らずで破れた。
だから善知識に会えるかどうかは
仏法では決定的と言っていいくらい重要なこと。
私たちにとって。
今あなたは五重の義の一番最初の宿善はある。
次に重要なのは善知識に会えるかどうか。
その善知識の言われるとおりま受けにして進むかどうか。
高橋選手は、小出監督に、「はい」としたがった。
普通の選手は段々成績が良くなってくると、こうしましょうよと言ってくる。
ところが高橋選手はハイ分かりました、頑張ります、オレの言うとおりやってくれた、
あの素直な性格が金メダルを取らせた、と小出監督は言っている。
しみじみと言っていますね。
全くその通り。
才能のある素晴らしい選手が素晴らしいコーチに巡り会って、
そのとおり練習したからこそ金メダルを獲れたのです。
親鸞聖人が善知識法然上人と出会い、その法然上人を無上の先生と仰いで教
えの通り進まれたからこんなに早く無明の闇が破れた。
昿劫多生のあいだにも
出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずは
このたびむなしくすぎなまし
法然上人がもしおられなかったら、親鸞またむなしく人生終わっていただろうな。
危ないところを源空というのは法然上人、お師匠さま法然上人のお陰で救われた。
もし善知識法然上人にお会いできなかったらここまで進むことは到底できなかった。
危なかった。
こんな素晴らしい幸せになれて良かった。
もしこの無明の闇が晴れなかったらまた昿劫を逕歴したとおっしゃっている
昿劫を逕歴するとはながいながい流転輪廻を再び重ねる。
喜びの高い山の頂に登って下を見おろしたら千尋の谷底。
オレはこんなに危ないところにいたのか。
法然上人に会えて良かった。
千尋の谷底を目隠しをした人が一本のロープの上を歩いている。
その先に下を見るんじゃない、まっすぐ進むんだ。
まっすぐ進んでこい。
ところが歩いている人は千尋の谷底という自覚があまりない。
ロープを渡って目隠しをとった人が、なんて危ないところを歩いていたのかと驚く。
危ない一大事を解決できて良かったということを表されている。
そう言う教行信証の御言葉を教えて下さった。
あなたに知って貰いたいのは五重の義、宿善が最も大切、
次に善知識、その教えられるとおりまっすぐに進んでいくことが大事。
決勝点まで必ず進めることになっている道ですから。
頑張って貰いたいですね。
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