観無量寿経で五体投地した韋提希に、
釈尊は、十方諸仏の浄土を見せられ、
どこに生まれたいかを尋ねます。
韋提希は、「どうかどうか、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれとうございます。
仰せの通りにしますから」と言っています。
それを聞いて、阿難と目連は、ブツブツ言っています。
よくもまぁこんなこと言ってのけるな、と言っています。
お釈迦さまもそれに乗じて、ホントしょうがない奴だな、
と言っておられたのではなく、会心の笑みをされました。
観無量寿経を見てみましょう。
「即便微笑」とあります。
お釈迦さまが狙いとされているこの世界まで導く軌道に、
韋提希が乗ったということです。
地獄なんかとは無縁と思っている韋提希のすがたが描かれています。
その姿を知らせる為に釈尊は十方諸仏の浄土を見せられました。
本性を見せる為です。
それはそのまま十方衆生の本性です。
2つのものを見せられると、よい方を選ぼうとする。
それは自惚れです。
自分が逆謗の屍と聞いてもそうとは思えない。
そういう本性を見せる為であったのです。
この自惚れがあるから、本願に相応しない、救われない。
韋提希に何とか本願に誓われている本当の相を知らせなくてはならない。
そしてここから釈尊は定善と散善を勧められるのです。
韋提希は始め牢の中で苦しんでいました。
その韋提希が釈尊の勧めに従って、定善をしていきます。
善をしていっても同じく外見上は苦しんでいます。
しかし、それは始めと同じ苦しみではありません。
定善をしていって苦しんでいるのは、
悪しか造れない自分を知らされての苦しみです。
ですから、同じように苦しんでいますがまったく違うんです。
外ばかり見ていた韋提希が、自分の心の内側を見るようになった。
そして苦しんでいるのです。
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