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2017年09月06日

なぜ煩悩の燃え盛る者が仏教を聞けるのか


親鸞聖人が法然上人におあいしたのは29才の時、

それまで煩悩を絶つ修行をされていた。


法然上人から煩悩は苦悩の根元ではないということ、

弥陀の本願を教えていただき、救われた。
天台宗の比叡山には、どこにも弥陀の本願を正しく説く人はなかった。

 

真の知識にめぐり合うということがいかに大変なことであるか。
もし法然上人にお会いすることができなければ、流転を繰り返していた。
それを一念でたちきる、ものすごい強縁であった。

弘誓の強縁とはどういうお力か。
若不生者不取正覚

これは阿弥陀仏の本願のお言葉。
強縁とは若不生者の念力。
若し生まれずは正覚を取らじ。
もしあなたの無明の闇をぶち破って信楽の身に生まれさせることができなければ

命を捨てるという、命がけのお約束。

サラサラ聞く気のない、
お金とか、仕事とか、そういう私たちが、聞き求めている。
若不生者のご念力がなければ、善知識にお会いすることはできない。
ものすごいお力。

 

このお力なくしてはとても仏法を聞くような人はない。
それが信心決定するとハッキリ知らされる。
ひとえにに強縁によるものであった。

 

この若不生者のご念力のことを

 

鳴く気なき虫を泣かすは秋の風

といわれる。

聞く気なき逆謗聞かすは弥陀の慈悲

 

なんとしてでも聞かさずにはおかない。
その若不生者の後念力によって仏法聞かせていただける。

タグ:阿弥陀仏
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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