親鸞聖人の時代は仏教といいましてもほとんどが聖道自力の仏教。
天台宗や弘法大師の真言宗などは煩悩をなくす修行する仏教です。
親鸞聖人も20年間煩悩を無くそう減らそう抑えようとされましたが、
半分ぐらいになりましたか!!一つも減りませんでした。
いや〜煩悩が減らないことが知らされただけでもよかった!そんな気持ちを
もっていたでしょうか!違いますね!
「定水を凝すと雖も識浪頻に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、
然るに一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ不浮の交衆を〜」
(歎徳文)
一息切れたら三匹の毒龍の待ち構えた深海に沈んでいかないと行けない。
もうこんなことはしておれない。
煩悩は無くならない。
どこかに救われる教えはないか!!
無明の闇であることを知らされました。
そして法然上人のお導きによって苦悩の根元、無明の闇を破られまして
本当の幸せの身になられました。
そして苦悩の根元は無明の闇だぞ!!!
無始より迷わせてきた苦悩の根元は無明の闇だぞ!!
叫んでいかれました。
仏教を聞いているといいましても善知識との御縁が無くて
苦悩の根元が未だ煩悩であると思っている人ばかりの中で、
「苦悩の根元は無明の闇であること」をお叫びになられまして、
その苦悩の根元無明長夜の闇は「一念で解決できますよ!!」
と一人でも多くの人に知ってもらいたいと叫んでいかれました。
より多くの人に真実の仏教、弥陀の本願真実を、
苦悩の根元が無明の闇でそれが一念で破れるということを明らかにするために、
結婚を断行なされました。
煩悩が苦悩の根元としますと煩悩を無くすには三僧祇百大劫掛かります。
膨大な借金を返さないといけません。
そして弥陀の本願を、弥陀の救いをより明らかにするために三大諍論も断行なされました。
弥陀の救いは現在ただ今の救いか、
阿弥陀仏に救われた世界は同じか異なるか、
信心で救われるのか念仏で救われるのか明らかにしていかれました。
名誉でもない地位の為でない
「ただ仏恩の深きことを念じて人倫のあざけりを恥じず」
と弥陀の本願を伝えていかれています。
親鸞聖人のご苦労で今日、私達も真実の仏教を、苦悩の根元は無明の闇で
その苦悩の根元は一念で破れるという事を知ることができました。
一日もはやく苦悩の根元が破れて絶対の幸福になれるよう
聞法精進致しましょう。