宿善を教えられたお釈迦さまのお言葉は
若し人善本無くんば
この経を聞くことを得ず(大無量寿経)
お釈迦さまのお言葉を正しく伝えて下さった
中国の善導と言う方はこのようにおっしゃっている。
過去已曽 修習此法 今得重聞 即生歓喜
これは同じように漢字ばかりですがお経ではありません。
お釈迦さまの御言葉だけをお経という。
これはその経典を解釈して下された偉い方の御言葉です。
あなたはかつてこの法をおさめ習ってきた。
そういう人だからこそ、今、重ねて聞くことを得た。
これを今得重聞と言います。
過去この法を習ってきたから、
今再びこの仏法にめぐりあって重ねて聞くことができるんですよ。
そしてそう言う人が即ち歓喜を生ず。
必ず生まれてきて良かったという大きな喜びを心に生じさせることができる。
無明の闇が破れる。
過去に於てこの仏法にあって聞いてきた。
習ってきた。
修めてきた。
そう言うみなさんだから重ねて聞くことができる。
重ねて聞くとは続けると言うこと。
何度も何度も続ける。
過去に於て聞いてきたんだから必ずそれができます。
そう言う人が即ち歓喜を生じる。
本当の人生の幸せを掴む。
そう言う宿善、仏縁が今生必ず華を開く。
ですから、この無明の闇が破れることを心の花が開くと喩えることがある。
それを宿善開発という
無明の闇が破れることを宿善開発ということがある。
宿善が開きおこる。
真っ暗がりの心、後生暗い心、太陽の光によってその闇が破れて開発する。
真っ暗がりの心の扉がガラッと開いて明るい明るい心の華が開く。
だから、最も大切なのがこの宿善。
つまり聞法心なんです。
ハッキリ言うと聞く気。
聞く気があるかないか。
どんな美味しい料理でもね、食べる木のない人に勧めてもしょうがないでしょ。
世界一美味しい料理でも全然食欲のない人には宝の持ち腐れ。
折角の仏法も聞く気がない人は聞けません。
今日初めてこのブログに来た人もあると思いますけど、
やっぱり聞く気があって来ているんだよね。
いろんな人に仏法の話をしても残念ながら聞く気がない人がある。
話はよくわかる、なるほどそうですね、でも聞く気がありません。
これ非常にもったいないな。
折角尊い教えがあっても聞く気がない人は残念ながら御縁がない。
美味しいぞこの料理一遍食べると下がとろける、ほっぺたがおちる、
どんな美味しい料理でも食べる気がなければ御縁がない。
聞く気があると言うことは必ずそれを手に入れることができる。
その聞く気があると言うことは仏縁がある。
これが本当の幸せになる最も大事なもの。
宿善と言われるものなんです。
人生の目的を果たすために最も大切なのが宿善。
仏教を聞く一つで人生の目的を知り、果たすことができるから。
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