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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年09月30日

阿弥陀仏に救われたら自覚はある?

親鸞聖人は阿弥陀仏の救いにあわれて、ああという驚きを
蓮如上人は、「あら、心得やすの安心や」といわれています。

昔から
「あら不思議心も六字身も六字浮世の空にかかる雲なし」
というお歌があります。

多生にもあいがたい弥陀の本願にあわせていただいたら
ああ、あらという驚きがある。
はっきりするということです。


いつとはなしに救われるのではないということ。

いつとはなしに救われるのだということを納得させるために
昔からいわれているのが、米俵安心とか、風邪引き安心、
熟柿安心というものです。

米俵安心とは、米俵の穴からお米がじょろじょろこぼれて
いつとはなしに軽くなっていたというもので、
そのように後生の苦もいつとはなしに抜けるのだといいます。

 

阿弥陀仏の救いはいつとはなしだ、
後生の苦もいつとはなしに抜けるものだといいます。

お米にたとえているのは、本願を疑っている心で、
疑情、自力の迷情、後生くらい心、後生の一大事の不安です。
「後生くらい心はいつとはなしになくなる」というのが
「いつとはなしに救われる」ということです。

 

しかし、お釈迦さまも親鸞聖人も蓮如上人も覚如上人も
そんなことは教えておられません。
それどころか、阿弥陀仏の救いは一念ではっきりすると
教えておられます。

 

お釈迦さまは本願成就文に聞其名号信心歓喜乃至一念といわれています。
親鸞聖人も御伝抄には、

「一念とは信楽開発の時剋の極促を顕し広大難思の慶心を彰すなり」
といわれて、あっという間に阿弥陀仏の本願に救われた、

救われた何億分の一秒よりも短い時間を一念という、

といわれています。


覚如上人は、「自力の迷情、共発金剛心の一念に破れて」
と改邪抄におっしゃっています。
蓮如上人は三世の業障一時に罪消えてといわれて
一念で疑情がなくなるといわれています。

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2017年09月29日

思うままにならない世の中どうすればいいか

朝夕の飯さえこわしやわらかし
思うままにはならぬ世の中

 

人生の真実の相をこんな風に表されている。
これは昔のことなのですこしピンとこないかも知れません。
「こわい」というのはかたい。

 

昔は今のように炊飯ジャーで炊くのではないから

火加減が宜しくないと堅くなったり柔らかくなったりして美味しくない。

朝夕の御飯さえ思うままにいかない。
人生というのは自分の思い通りにならないことがいっぱいある。
これが人生。
みなさんも今までの過去を振り返れば、思う通りにしたいんだけど、

それがならないことが多くあったと思う。


その思うままにならない世の中のまま思いのままになる、

これが煩悩即菩提、無碍の一道の境地です。
煩悩のまま菩提になる。
思いのままになる。
思いのまま以上の素晴らしい世界に出られる。
この世から極楽に転じる。
そういう素晴らしい人生に転ずる。
もし無碍の一道に出なければ死ぬまで、

これで人生が終わる思いのままにならないまま、人生終わる。


目の前のことを言うなら、成績、または憧れの彼女彼氏、なかなか振り向いてくれない。
振り向かなくてもいい人から声をかけられて。
振り向いて欲しい憧れの人は振り向いてくれない。


四苦八苦の中の求不得苦といって求めるものが獲られない苦しみ。
死ぬまでつきまといます。

四苦八苦のビデオ 続きを読む...
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2017年09月28日

幸せを求めているのに幸せになれない原因

幸せを求めて生きているのに、

幸せになれないのはなぜか。

 

みんな、大事なことを見落として、

どうでもいいことに一生懸命になっているから。

 

そういう心があることをお釈迦さまがこう教えられている。

 

「世人薄俗にして共に不急の事を争う」

 

世人とは私達。

薄俗とは浅はかで愚かな考えしかもっていない。

だから「不急のこと」を争っている。

不急の事とは急がなくてもいい事。

 

テレビを見ていますと、一枚300枚の紙切れを買うために

大変な列ができているということがありました。

 

年末ジャンボ宝くじの発売日。

一等賞は前後賞あわせて3億円。

東京銀座では朝8時半開店で600人の人が並んでいる。

最初の100枚が当たるとも限らないのに、朝8時半には600人の人が並んでいる。

並んでいる人に声をかけると

「マイホーム買いたいです。旅行がしたいです」

と答えている。

当に不急のことを争っている。

 

チケットを争っている。

飛行機のチケット。

みんなそういうことには目の色変えています。

ミレニヤムの日本シリーズのチケットを買いに行く。

ダフ屋がやって来て買う。

靴を見つけてよかったよかったといっている姿と重なる。

 

スーパーに行くとタイムサービスがある。

時間の前におばちゃんたちが待っている。

時間になると、一生懸命になって買う。

となりのおばちゃんと争って手に入れる。

岐阜で言うと、この辺はパチンコ屋が多い。

開店前になると、並んでいる。

急がないといいものが取れない。

そこまでしなくてもいいじゃない

かという事に急いでいる。

私達も同じで不急の事に急いでいる。

争っている。

 

これはのため。

だからお釈迦さまは貪欲の誡のところで仰っている。

は限りないので、どれだけ追いかけても幸せにはなれない。

 

結局みんなが求めているのは、幸せ。

幸せになるには、もっと大事なことを忘れている。

 

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幸せを求めているのに幸せになれない原因

幸せを求めて生きているのに、

幸せになれないのはなぜか。

 

みんな、大事なことを見落として、

どうでもいいことに一生懸命になっているから。

 

そういう心があることをお釈迦さまがこう教えられている。

 

「世人薄俗にして共に不急の事を争う」

 

世人とは私達。

薄俗とは浅はかで愚かな考えしかもっていない。

だから「不急のこと」を争っている。

不急の事とは急がなくてもいい事。

 

テレビを見ていますと、一枚300枚の紙切れを買うために

大変な列ができているということがありました。

 

年末ジャンボ宝くじの発売日。

一等賞は前後賞あわせて3億円。

東京銀座では朝8時半開店で600人の人が並んでいる。

最初の100枚が当たるとも限らないのに、朝8時半には600人の人が並んでいる。

並んでいる人に声をかけると

「マイホーム買いたいです。旅行がしたいです」

と答えている。

当に不急のことを争っている。

 

チケットを争っている。

飛行機のチケット。

みんなそういうことには目の色変えています。

ミレニヤムの日本シリーズのチケットを買いに行く。

ダフ屋がやって来て買う。

靴を見つけてよかったよかったといっている姿と重なる。

 

スーパーに行くとタイムサービスがある。

時間の前におばちゃんたちが待っている。

時間になると、一生懸命になって買う。

となりのおばちゃんと争って手に入れる。

岐阜で言うと、この辺はパチンコ屋が多い。

開店前になると、並んでいる。

急がないといいものが取れない。

そこまでしなくてもいいじゃない

かという事に急いでいる。

私達も同じで不急の事に急いでいる。

争っている。

 

これはのため。

だからお釈迦さまは貪欲の誡のところで仰っている。

は限りないので、どれだけ追いかけても幸せにはなれない。

 

結局みんなが求めているのは、幸せ。

幸せになるには、もっと大事なことを忘れている。

 

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2017年09月27日

自殺と生きる意味

臓器移植をしている人がいますが、
そうやって生きていくのは何のためなのか。生きる意味がわからない。

 

映画やスポーツなどのやりたいこととは全く違う。

 

前も朝のテレビで特集していましたが、
富士山麓の青木ヶ原の樹海、自殺のメッカ。
その土地の人は大抵自殺を止めた事があるらしい。

会社帰りのサラリーマンのような人たちもいる。
年間日本で自殺してゆく人。
交通事故で死ぬ人、1万人。
自殺者は3万人。

 

交通事故で亡くなったという話はよく聞く。
しかし自殺する人は3倍。
自殺したというのはみんな隠したがるから3倍以上いることになる。

 

フランス、明るい国のイメージがある。
しかし自殺者は15万人。
人口は日本の半分の6000万人。
日本に換算すると30万人死んでいる事になる。
と考えると、1ヶ月に約3万人、一日に約1000人なんですね。
すごい数。
交通事故、いろんな対策が取られて減ってきている。
自殺についても文部省がいろんな対策を練っている。
こころの教育、とかいう言葉が一時はやったでしょう。
そうしていると、自殺の年齢層が40代増えている。
H6年にいじめで自殺する児童が増えたところ、今、

当時自殺を止めていた大人たちが自殺している。
そういう人たちは生きる事の方が苦しい、死んだ方がまし、という。
それらの人たちに対して、文部省などは頑張れ、生きよ、という。

 

しかし、もっと一生懸命生きろというのはもっと苦しめと言っているのと一緒。
一日考えて自殺を決意する人なんていない。
幾晩もベッドの中で悩んで、どうしようと苦しんでそれで、自殺を決断する。
みんな死ぬのが恐い中で生きるのが苦しいから死のうと考える。
そこを考えていない。

 

なぜ苦しくても自殺してはいけないのか。

本当の生きる意味を知ることが重要

 

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タグ:生きる意味

2017年09月26日

趣味生き甲斐の喜びと人生の目的達成の喜び

私たちのささいな趣味とか生き甲斐とか、
そういう身近なことだけの話をしているわけではありません。
オリンピックもそう。
インタビューで、金メダルとってこれからどうしましょう、
と言っていた人もいた。
田村亮子。

 

実感わかないですねえと言っていた。
これらすべて上の心を満たしているにすぎない喜び。

 

貴乃花、株で10億円の借金。
横綱になったといっても満足できなかった。
今色々なトラブルが続いている。
横綱といえばトップだけれどもそういうトラブルはなくならない。

 

下の心が全く少しも動いてもいないのです。
それを心の病といいます。
蓮如上人という人はこれを無明業障の恐ろしき病と言われている。
いくら満たそうとしても下の心は満足できない。
それを無明と言います。

 

なぜ恐ろしいのか、それは自覚がないから。
どうしてガンが恐ろしいのか、
それは自覚症状がないから。
自覚のないままに病気が進行する。
だからおそろしい。
同じく、この無明は自覚がない。
下の心も、私たちの本心もスポーツなどで満足できるんじゃないの、

というのが無明。

 

いつもは覆い隠しているだけ。
本当の幸せというのはその真っ暗な心が日本晴れの明るい心にガラッと変わる体験なんです。

 

下の暗い心がガラッ明るい心に変わる、それが人生の目的なんです。
私たちの本心、奥底にある心がガラッと大転換する、体験です。

 

この世でどんな喜びを得ても、
全体からいったら氷山の一角と言えるような部分が反応しただけで、
まったく動かない部分があったのに比べて、
これは、私の魂を揺り動かすような、明らかな、体験なのです。

 

大変な喜びの心が起きます。
その暗い心が明るくなる事を何というか、破無明闇と言われます。
親鸞聖人は、
已能雖破無明闇
といわれている。

この一言で人生の目的を表現されている。
また信心決定とも言います。

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タグ:蓮如

2017年09月25日

仏教を正しく教える先生は、どれ位存在するの?

善知識とは、人生の目的とどうすれば果たせるか、正しく教えられる人。
わからないのが悪知識です。

 

お釈迦さまは、悪知識の恐ろしい罪についてこう説かれています。
「一盲衆盲を引いて以て火坑に堕つる」
一人の目の見えない人が、多くの目の見えない人を従えて地獄に堕ちて行く。
この世も、未来も、苦しみの世界になってしまいます。
善知識との御縁なければ、私たちは進めません。

では、善知識には、どのような方がおられるのか。


親鸞聖人、釈尊から親鸞聖人まで、1800年間、
7人しかおられなかったとおっしゃっています。

善知識の元祖は、お釈迦さま


その後、インドの龍樹菩薩(ナーガールジュナ)、天親菩薩世親菩薩)、
中国の曇鸞大師道綽禅師善導大師
日本の源信僧都、法然上人。

この方々を、七高僧と言われました。

 

親鸞聖人の後は、覚如上人、蓮如上人、
2600年に10人あまり。
まさに、250年に一人おられるかどうかという方です。

 

善知識がおられたなら、海山越えても馳せ参じて
人生の目的をはたせるよう、聞かせて頂きましょう。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 善知識

2017年09月24日

悪知識の恐ろしい罪とは?

仏法を曲げて教えるものを「悪知識」と言う。
悪知識の大罪を、
仏蔵経に、
「一盲衆盲を引いて以て火坑に堕つる」
と説かれています。

 

まず「知識」とは、世間では、物事をよく知っている人を、
知識のある人だと言います。
君は、物理のことをよく知っている。
物理の知識があるね。
というようにつかいます。

しかし、仏法で、知識とは、先生のこと。
その先生も、仏法の先生のことを知識といいます。

 

それに悪がついた「悪知識」とは、

どんな人のことをいうのでしょうか。
仏法を、曲げて教える者を「悪知識」という。

 

それに対して、善がついた、善知識とは、
仏法を正しく教える人をいいます。

 

悪知識があると言うことは、

善知識があるということです。

悪とは、善に対する言葉。


女性と言う言葉があると言うことは、女性以外の人がいる。
男性ですが、と言うことです。

もしも、この人間が、女性しかいないとしたら、
女性と言う言葉は、意味がありませんし、存在しません。

悪知識は善知識に対することば。
悪知識は、仏法を捻じ曲げて教える人をいいます。


悪知識とは、仏法を曲げて教える人。

その悪知識の罪を、お釈迦さまは、

「一盲衆盲を引いて以て火坑に堕つる」
と説かれています。

 

一人の目の見えない人がたくさんの目の見えない人を

苦しみの世界へ導くということです。

 

 

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posted by 陽葵 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 善知識

2017年09月23日

苦悩の根元は仏教でどう教えられているか

人生の目的は、幸福になること。

これを抜苦与楽と言います。


苦しみを抜いてもらいたい、楽しみを与えて貰いたいと皆思っている。

仏教の目的は抜苦与楽。

 

ところが、人生は苦なり。
苦しみの原因が分からなければ幸せになれない。

 

苦悩の原因は?

1物がないから
大学に合格できれば、お金や財産があれば、地位名誉あれば、と求める。
ところが、どうか。

 

は無限である。
無限の欲望を有限の人生で満たしきることはできない。

 

有無同然と教えられている。
子供が無いときは無いことで苦しみ、有ればあったで苦しむ。

無い人は鉄の鎖で繋がれている。
有る人は金の鎖で繋がれている。

材質ではなく、鎖に繋がれていることが苦しみから離れきれない原因。

 

こういうことが分かってくると、心に目が向いてくる。

外側ではなく、内側、心に原因がある。

 

煩悩があるから。
四苦八苦の中の、愛別離苦や求不得苦は欲しいというが本になっている、

と考えられる。

 

怨憎会苦は、怒り憎しみが元になっていると考えられる。

怒り憎しみが本になって、

四苦八苦の苦しみを引き起こしているように思える。

 

釈尊は、方便として、煩悩が苦悩の元と教えられた。
苦悩の根元を言っても分からないので、方便から真実に導こうとされた。

では、煩悩は無くせるのか。
減らせるのか。

できない。

 

釈尊でも、覚り開かれてから煩悩もっておられた。
1、ジュンダという人が持ってきたキノコを食べられて、

食あたりか何かでお亡くなりになられた。
食欲もっておられた。

 

2、馬に乗っておられた釈尊を、きゃあ素敵と、若い娘たちが声をあげたとこ
ろ、にっこりされた。
名誉欲もっておられた。


3、覚りを開かれて大変、優しく、細やかな心遣いをされるようになって、

お弟子の中で、釈尊は女性になられた、という噂が流れた。
阿難尊者が裾まくって確かめた。
男性であった。
大変叱られた。
これは怒り

煩悩は無くせない。
無くならない、減りもしない。

 

では苦悩の根元何か。

仏教に教えられている。

 

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2017年09月22日

存覚上人の辞世・釈迦の化身

ぐるぐると迷っている世界から魂の打ち止めをすることを六道出離といいます。

 

存覚御辞世の御詠に云わく、

「今ははや  一夜の夢と  なりにけり  ゆききあまたの  かりのやどやど」

此の言を、蓮如上人、仰せられ候うと云々

 「さては、釈迦の化身なり。往来娑婆の心なり」と云々 

「我が身にかけてこころえば、六道輪回、めぐりめぐりて、

今、臨終の夕べ、さとりをひらくべし、という心なり」と云々

(御一代記聞書308)

 

いまやはや一夜の夢となりにけりゆききあまたの仮の宿々
人生はよく旅人に例えられる。

今時分のように早く日がくれるようになると人生の脊梁感を感じる。

 

旅人というのは同じところにとどまっていない。
例えば江戸から京都を目指している旅人は違った山、道を通る。
そしてこれ以上進めないとなると宿をとる。

そしてそこで一晩だけそこにいる人と一緒に酒でも飲んでいく。

 

しかし、一晩寝れば夢のようなものになる。
そしてまた夕暮れ時になるとまたそこで宿をとってまた新しい人と出会う。
そういう仮の宿の繰り返しが人生。

みなさんも中学校のとき友達がいたと思います。
しかし、高校いったらみんな友達ではない。
また、高校といったらいろんな友達がいる。
そして暫くその友達と楽しむ。
しかし、大学にくるとまた違う。
大学って宿はまた違う宿。
まったく違ったところからきた人達。
それは何かの御縁があって一緒にいる。

ところが、3、4年のうちにまたさよならをいう。
人生っていうのは出会いの数だけ別れを経験しなければならない。

その宿のなかで苦しみのうち止めをできる宿があったかというとそういうのはない。
そうして考えてみると、次の世界次に世界とへめぐって
その世界を楽しもうとしているだけで根本的に解決しようなんて考えていない。

 

これ仏法の教説からいうと人間界に産まれてからも輪廻転生しているが、
死んでもまた次の世界、次の世界と六つの迷いの世界
無始よりこのかた迷い続けていると教えられている。

そういう迷いの命のあることを知ってその迷いのうちどめをするのが
人間界に生れて、仏法聞くより他にない。
人間界に生まれたって心が人間らしい心になったときにしか仏法をきけない。
その迷いの魂を知らせてくれるかたは善知識。
そういう善知識、真の知識にあわなかったらできないことですよ
と教えられている。
そういう善知識にあって阿弥陀仏の本願を聞かせて頂けるのは、
千載一遇のチャンス。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教