苦悩の根源と解決の道とは
人間が幸せを求めていながら幸せになれない原因は何か、
そしてその解決は、ということです。
この苦悩の根源を仏教の言葉で言うと無明の闇ということです。
この無明の闇のことを別の名前でいうと疑情という。
阿弥陀仏の本願を疑う心。
本願の内容は無明の闇を破るということ。
本願がはっきりしていないということは無明の闇が破れていない。
無明の闇が破れたら大安心、大満足の信楽の心に生まれ変わる。
これを信心ともいう。
本願まことであったと知らされた時に無明の闇が破れる。
本願まこととはっきりしない心を無明の闇といいます。
他にも、
・疑網
・本願疑惑心
・自力の迷情
ともいう。
無明の闇をぶち破るのは本願力でしかやぶれない。
それなのに自分の力でなんとか敗れると、弥陀の本願を信じきれない心。
これを自力の迷情といいます。
今度の試験勉強で友達がかならず教えてくれると約束した。
でも自分でもやろう、他の人にも聞こう。
あなたにお任せとか言っていて、他の人にも頼んでいる。
これはその人の気分を害する。
阿弥陀仏の本願に任せきれない。
自分の力で何とかしようという心を自力の迷情という。
ある女性があなたのことをたよりにしている、他の男は見えない。
こういっていたので「よっしゃまかせとけ、僕しか君を幸せにできる人はいない」といった。
先輩に喜んで、そのことを打ち明けると同じことをその女性から言われていた。
別の先輩も言われていた。
なんだ自分だけじゃないのか、むかつくなあの女。
よい種まきをして助かろうとか、他の諸仏に向いて足しにしようとか。
阿弥陀仏の本願だけでは足りない、お任せしきれない。
本願によって無明の闇を破っていただいた時に本願の力でなければ
無明の闇を破ることができなかったと知らされる。
苦悩の根源は無明の闇であり、ぶち破る力が他力、破れた時に日本晴れの心になる。
これが苦悩の根源と解決の道。
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