二河白道の二河とは、水の河と火の河。
水の河は欲の心。
火の河は怒りの心。
どうしてこのようにたとえられるのか。
水の河。欲はどこまでいっても際限が無い。
キリが無いことをたとえている。
怒りはすべてを焼き尽くす。
そのように私たちの怒りは恐ろしい。
怒りは無謀に始まり後悔におわるものだ。
あとは野となれ山となれ。
といってかっとなるけれどあとで必ず後悔する。
怒りの心が仏法を聞こうとする心を焼いてしまう。
怒りの心、欲の心は
この白道をすすんでいくと必ず問題になる。
白道四五寸とは私たちの求道心・聞法心を表していいる。
私たちの求道心は大変弱くて細い。
そのあとに信心とありますがこれは二種深信を表している。
信心決定した後は、大安心大満足の無碍の大道に生かされる。
一進一退を繰り返して進ませていてただくのも西岸より
阿弥陀仏が強い御念力で引っ張っておられるから。
旅人には分かりませんが。
群俗悪獣悪知識とは求道聞ぽうを妨げるすべて。
体が群賊という人もある。
趣味や生き甲斐が群賊ということもある。
いろんな形で群賊が囁く。
家族が非難してくる人もある。
変な宗教にはまっているんではないかと。
あるいは寺の坊主が反対してくる。
みな一生懸命やら無くていいよと進める人ばかり。
しかし最大の敵はおのれの心。
最大の敵は心であり、最強の味方も心。
最大の群賊は自分の心。
西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
昿劫已来もいたずらに
むなしくこそはすぎにけれ
(高僧和讃)
親鸞聖人は火の中かき分けても聞けと教え進めておられる。
ところがこのように教え進めておられる方はいない。
わたしたちの求道聞法をさまたげるものを善導大師は
群俗悪獣と教えられた。
さまざまに邪魔する妨げる。
いろいろなものが。
それを自障障他せしほどに、と教えておられる。
障他、この道ものめたら必ず反対を受ける。誰もが。
そうすると自障、求めるのをやめようか、となる。
昿劫已来もいたずらに
むなしくこそはすぎにけれ
果てしの無い昔から今日まで、
群賊に騙されて苦しみ続けてきた。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image