生き甲斐とは、完成のないものですから、
死ぬまで求道ということです。
達成というものはもうない、
それで、家康も、
「重荷を背負うて遠き道を行くが如し」
と詠んでいるのです。
死ぬまで求道になってしまうのです。
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生き甲斐とは、完成のないものですから、
死ぬまで求道ということです。
達成というものはもうない、
それで、家康も、
「重荷を背負うて遠き道を行くが如し」
と詠んでいるのです。
死ぬまで求道になってしまうのです。
道を求めるということは、
決して楽なことではないです。
死ぬまで求道とは、結局死ぬまで苦しみということになります。
不実の信心とは、完成のないものなのです。
では、なぜ不実の信心は完成がないのか、
よく知らねばなりません。
五欲、欲にも代表的なものが五つあります。
五欲を満たして幸せになろうと、
お金、彼女、家などです。
欲を満たして幸せになろうとするものです。
しかし、欲にはきりがないです。
無限の欲望で、有限の人生を満たしきることはできない。
人生が無限であれば、満たすこともできるかもしれないですが。
どこまで行ってもきりがない。
「越えなばと、思いし峰に来てみれば なお行く先は 山路なりけり」
小学校終わったら勉強しなければいいかというと、
中学校でもしなければならない、
中学出ても、
高校出ても、勉強しなければならないのです。
社会に出ても、やっぱり勉強ですよ。
人間関係学、そんな人はまずいないです。
結婚したら、やっぱり難しいです。
そんなものが次々出てきます。
だから、死ぬまで求道になる。
趣味や生き甲斐には、死ぬまで完成がないのです。
それに対して人生の目的には、完成がある。
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