雑修も自力の心。
本当は自力の心だけでも良いが、雑行雑修と分けられている。
雑修とは阿弥陀仏に向かって五正行を実践する。
五正行を実践して助かろうとする心。
五正行とは
読誦正行
観察正行
礼拝正行
称名正行
讃嘆供養正行。
行いは善ですからやらねば信仰は進みません。
この五正行はやらなければ信仰は進みませんが心がけが
悪いから雑修と嫌われ捨てよと言われる。
始めは法話会場でおつとめがあるときだけとか、
朝だけとか、そう言うところを通ったと思います。
人が見ておろうが見ておるまいがおつとめする。
これは素晴らしい。
信仰が進めばせずにおれなくなってくる。
またお誘いせずにおれない。
お仏花お水もかえずにおれない。
その時出てくるのがこれだけしているから後生の一大事助かるだろう。
自分のやった善を当て力にして後生の一大事の解決をしようとする。
その心が悪いと言われる。これも何故悪いかは思えないと思います。
良いじゃないかと思います。
それは縦の線までは悪かったとは思えません。
行いは善だからやらねば信仰進みませんが、
心がけが悪いから雑修と嫌われ捨てよと言われる。
五正行をやるなと言うことではない。
悪い心がけ自力を捨てよと言われる。
一念で、雑修と嫌われ捨てよと言われていたのが、御恩報謝の行となる。
行いは変わりませんが心がガラッと変わりますから。
自力の心を雑行雑修と分けておっしゃる。
この諸々の雑行雑修自力の心。