真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、
龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、
臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。(教行信証)
親鸞聖人は二つの金剛心を教えておられます。
はじめの金剛心は、自力の修行で尺取り虫のようにあがっていく。
三僧祇百大劫かかるといわれる。
41段目の初地にはある特徴がある。
ここまではせっかく悟りを開いてもちょっと気を緩めると崩れてしまう。
退転位という。
禅宗の達磨の目を見てみると、怖い目をしている、けれどどこか澄んでいる。
ともすれば緩んでしまいそうな自分の心をにらんでいるんだと教えられる。
ここまでも大変だけど、仏の悟りを開くには56億7千万年かかる。
それに対して、念仏の衆生は阿弥陀仏の本願力によって
一念で金剛心を頂き、死んだら極楽浄土にいって仏に生まれる。
阿弥陀仏によって一念で授かるものだから、
弥勒菩薩は56億7千万年かかるけれど
私達は臨終一念の夕になれる。
同じことをいわれた和讃。
五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし
(正像末和讃)
阿弥陀仏の願力によって二つの救いがある。
生きているこの世で一念で不体失にして、
臨終一念の夕弥陀同体のさとりを開く。
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