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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年04月17日

仏教を求める友達に近づくと?

『親近せざるは雑修の失なり』と『礼讃』にあらわせり。
(御一代記聞書150)

 

 

親近せざるは雑修の失なりと
往生礼讃に教えておられます。


往生礼讃とは、善導大師の書かれたものです。

 

信心決定していない人にとって、
善知識や同行から聞かせていただく言葉というのは、
真実であるので、聞かせていただくと大変辛いです。

 

善知識同行の言葉というのは、
あまりにも真実で、聞くと耳が痛いのです。

 

至言は耳に逆らう

と言われます。
本当のことを言われたら、
イヤだと思いませんか。

 

だから、善知識同行に近づかないように、
近づかないようにしてしまう。

 

雑修の失というのは、自力の欠点であるということです。
他力を嫌うのが自力の本性です。


近づかないように、近づかないようにしてしまう。
善知識、同行に近づいて、誤りを正して頂きなさい、

と言われています。

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タグ:往生
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 善知識

2018年04月16日

生きる意味がわからず一生を終わる人への言葉

御文章1帖目12通に、
「信心の沙汰をせよ」
と教えて下さっている
蓮如上人のお言葉があります。

 

しかるに当流において毎月の会合の由来は、何のようぞなれば、
在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、
一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、
一月に一度なりともせめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて
「わが信心はひとの信心は如何あるらん」
という信心沙汰をすべき用の会合なるを
近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあいだ
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。

(御文章一帖)    

 

せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、
「わが信心はひとの信心は如何あるらん」
という信心の沙汰をすべきものなり。

 

在家というのは、出家していない私たちです。
無智というのは、生きる意味がわからないで、
人生を無駄に過ごしてしまう私たちのことです。

 

生きる目的がわからないで、
毎日何となく時間を過ごして、
一生があっという間に過ぎ去ってしまいます。

 

一休の歌にも、
人生は喰て寝て起きて糞たれて、子は親となる、子は親となる
とあります。

 

朝起きて布団をあげて、顔を洗って、
御飯を食べて、仕事をして、
家に帰って、御飯を食べて、布団を敷いて、寝て、
また朝起きて、布団をあげて、…、
結局この繰り返しで人生が過ぎていきます。

信心の沙汰とは、本当の生きる意味を説かれている仏教の話ということです。

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法

2018年04月15日

仏教を保護するのは無功徳?

中国の武帝といわれる皇帝が、

ある時、禅宗の開祖といわれるダルマ

インドから招待したことがありました。

 

そして、武帝は、仏教を保護していたことを誇っていたので、
自分のこれまでやったことはどれくらいの功徳があるのか。
と自慢がてらにダルマに尋ねました。

 

するとダルマは

「無功徳」

と言い放ったという話は有名です。

 

おれはこれだけやっているんだ、
どうだという心があるのは、
自分はこれだけしてやったんだという

毒が混じった善なのです。

 

そういう武帝の心をよんだダルマは、
そのように言ったのです。

 

 

しかしだからといって何もしなければ、

心も悪なら口や身体も悪です。

 

まず口や身体で立派な行いをして、

心もそれにあわせていきましょう。

 

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posted by 陽葵 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年04月14日

5つの欲望

仏教では、代表的なの心を五欲と教えられています。

食欲

財欲

色欲

名誉欲

睡眠欲

の5つです。

 

食欲というのは、食べたい飲みたい、

もっと美味しいものが食べたいという欲です。

 

財欲というのは、一円でもお金か欲しい、

損したくないという心です。

 

色欲というのは男女間の欲です。

悪いことと分かっていても不倫問題が

テレビや週刊誌を騒がせます。

よく老人ホームでも恋愛感情のもつれで
殺人事件が起きています。
死ぬまでなくなりません。

 

名誉欲、昔インドにいた占い師が、
1週間後に自分の子供が死ぬと予言して、
本当に死んだということがあった。

それを調べてみると、その占い師が自ら
自分の子供を殺していた、という事実が発覚したのです。

名誉欲を満たすためだったら、
自分の子供さえ殺してしまうのです。

 

何年か前、新潟で電気ポットに毒物を混入する事件があったのです。
これは犯人はその会社の社員でした。
動機は、会社の金を風俗とか何やらに使ってしまった。
ところが、会社の経理に査察が近いうちに本社から入るらしい、
まずいばれてしまう、ということで混乱させるために
毒をポットの中に入れて事件を起こしたそうなんですね。

これも、自分の公金横領がばれてしまう、
という名誉欲が、そうさせたのです。
恐ろしいですね。

 

最後に睡眠欲です。
これは定番なのが、ピアノ殺人です。
隣のピアノの音がうるさいということで

怒りの心で殺してしまった、

 

そういう事件が一年に一回くらい起きています。

 

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posted by 陽葵 at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年04月13日

でっちあげた神

構想してでっち上げた神とは何でしょうか。

天理教やキリスト教などです。

 

幸せになることができないと、
不思議なものにすがらざるを得なくなってしまいます。

 

天理教はなぜ、そんなが現れたのでしょうか?
教祖の中山みきは
「神心親子の物語をするために天下りしたのだ」

と言いました。

 

幸福の科学開いた大川隆法も、
それ以前に大変苦しみました。

 

オウムの井上も、矛盾に苦しみました。

アフリカの人みて、本当の幸せはないか、
分からずどうすればいいのか、と思って、
麻原彰晃は、初期はそういうことを言っていましたが、
最後には「人を殺せ」

殺生を指示しています。


しかし、この人を信じるしかない、と思ったのです。

 

もし本当の仏教を知っていたら、
喜んで仏教を聞いていたでしょうに
真実を知らない人は迷わざるを得なくなります。

 

天理教では、因縁の理、おさとしを教えられます。
「ガンになるのは頑固一徹であるから」
みたいなものです。

 

こんなの滅茶苦茶です。

こんなことを信じていたら、

よけいガンがひどくなります。

 

ブッダも、龍樹菩薩(ナーガールジュナ)も、

歴代の仏教の正しい先生がたは
徹底的に外道をぶち破られました。

 

それは我田引水でなく、
「こんなもの信じていたら、

 この世も未来も永遠に地獄だから捨てなさい。
 そして大宇宙の真理を教えられた仏教を信じなさい」

ということです。

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2018年04月12日

宗教や占いが繁盛する根っこ

昔は、科学も医学もありませんから、
どうして病気になるのかわかりません。

 

何かに祈れば病気が治るとか、
商売繁盛するという宗教が流行します。

 

未来がわからないので、

紀元前から占いも行われています。

不安だからです。

 

ところが、そんな時代だけが迷信邪教に迷っている時代でなく、
科学医学が発達してガン克服できる今も、
千年先でも、万年先でもその姿はなくならなりません。

占いも大繁盛です。

 

それはどこから来るのでしょうか。
人間が絶えず何らかの不安にさらされている

という事実があるからです。

 

それはどうしてかというと
一切の不安の根底には、意識するとしないとに関わらず
死んだらどうなるかわからない

死への不安があるのです。

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タグ:科学

2018年04月11日

信心を無視して幸せになれない

浄土真宗を開かれた親鸞聖人が書き残された

正信偈というものがあります。

 

7文字かける120行で840字です。

この中に、親鸞聖人90年の教えが

すべて圧縮されておさまっています。

 

それはどんなものかというと、正しい信心です。

正信偈は、正しい信心をウタにして表されたもの

ということです。

 

現代人で信心が自分と関係あると思っている人はないと思います。
しかし、信心を無視して幸せになれるはずがありません。

 

信じるとは、頼りにするとか、あてにする、

ということです。

 

私達は心で何かを頼りにして生きていますが、

この世は諸行無常の世界です。

 

すべてのものは続きません。

無常のものなら、壊れる時がきます。

無常をあて力に、頼りにするだけ、
向こうには苦しみが待っている。

だから、絶対に崩れないものを頼りにしなさい、
と教えられたのが仏教です。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2018年04月10日

六曜占いや祈祷

偶然というのは、原因がないということでしょうか?

 

原因なくして結果がおきるという意味で偶然という
言葉を使うのなら、偶然はありません。
すべて必然です。

 

現実に起きることを偶然というのは、
原因がわからないという意味で、
偶然というのです。

 

太平洋のまんなかに墜落した飛行機があったとすると、
墜落した原因がなかったのかというと、
原因なしに墜落したら大変です。

エンジントラブルとか、
羽が動かなかったとか、
何かしら原因があります。

 

この世のできごとのすべては
原因がないわけではありません。

必ず何かの原因があります。

 

それで仏教では、

六曜のような日の善し悪しや、占い

祈祷などを排斥されています。

 

 

 

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2018年04月09日

ハッキリしない心の闇

心の闇が晴れたらどうなるのかというと、
往生一定になります。

 

一定というのはハッキリするということです。

 

ハッキリするというのは、受験生が合格するかな、
どうかなととハッキリしないですが、
発表があれば、合格しました、とか
または駄目だったとハッキリします。
これが一つに定まるということです。

 

難度海を明るく楽しくわたす大きな船に

乗った時ハッキリします。
ハッキリする時が乗った時です。
それまでは見えません。

それが心の闇です。

 

難度海にいる人には見えません。
見えるのは生きがいです。
生きがいしかわかりません。


船があるぞといわれてもわからず、
泳ぎ方ばかりを問題にしています。

 

生き方などの生きる手段ばかりを問題にして、
生きる目的はわからない。
それが心の闇です。

 

乗っていなかったらわからない、
わからないから乗っていない。
乗っていなければ、
難度海で苦しみつづけるということです。
その心の闇を破るのが仏教です。

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2018年04月08日

都会に行ったら幸せになれる?

都会に行ったらもっと幸せになれると思っている人が、

だるい人生が、嬉々として街を歩くようになるのか
というと、
田舎にいるからと思って東京に出てきても、
酔っ払った人が線路に落ちて、
助けに入った人も引かれてしまったりします。

 

あるいは、一家4人惨殺とか、
東京では、バットで道行く人を殴ったり、
新宿では手榴弾をなげる人もあります。

 

Uターンということもあります。

 

北海道にUターンの人を受け入れる村を作ってみたが、
帰って来た人がお互いやりたい放題、で近所でいがみ合っています。

こんなことなら帰ってこなければよかったと思います。

 

成績のいい人はいいな、と思っても

その人はプレッシャーに苦しんでいます。

 

期待されている自分と、
ついていけない自分のギャップに苦しんでいます。

 

虚像と実像のギャップに苦しみます。

 

そんなことを人に相談しても、

贅沢な悩みだとうらやましがられます。
うらやましがられるということは、

嫉妬されているわけですから、

苦しんでいるということです。

 

いいな仕事ができて、恋人がいて。

その人はどう思っているかというと、
そうではない実態があります。

 

信じたものに裏切られて苦しんでいる人ばかりです。
絶対の幸福にして見せる、
と仏教で教えられても、

見えるのは続かない幸せばかりです。

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