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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年03月28日

人間の生き方

人間の生き方には、ある共通したことがあります。

 

信心とは、「心で信じる」と書きますように、
私達が生きていくときには、
心で何かを信じなければ生きていけません。

 

言葉をかえれば、当て力にするということです。
しかし、信心とか、あて力という言葉は
仏教が初めての人にはあまりなじみがないので、
多少意味が変わってきますが、
明かりとするとか、支えにすると言えます。

 

そういうのをひっくるめて、信じるとも言えます。

 

君たちはどう生きるか』という本が200万部突破していますが、

どう生きるにしても、何かを信じなければ生きていけません。

みんな何かを信じて生きています。

 

例えば心の明かりがない人というのは、
苦しんでいる人なんですが、
そこに明かりをつけようとして一生懸命なんですね。

 

大学はいる前も、
入ってからもいろんなことを明かりにしていますね。

 

大学合格とか、その先の大学生活とか。
ご飯なんかでも、その食事を食べても大丈夫と信じるからですね。

 

あるいは、今日は電車で来ましたが、
その行き先表示を信じるから、
乗ってこれるんですね。

 

また、ここにあなたが座っているのは、
ここに座っていても大丈夫と信じているからでしょう。


もし隣に座っている人が、いきなりナイフで刺してきたら、
とてもじゃないけどここに座っていられないでしょう。
ということは信じているんですよ。

信じていなかったら、生きていけないんですね。
生活できるわけです。

 

だから、生きると言うことは、
何かを信じているわけなんです。

それが人間の生き方です。

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2018年03月27日

人生、結構楽しいですよ

私達の人生は難度海です。

 

そうだなあと思う人ばかりだと思いますが、
そうでもないよ」と言う人だっているでしょう。

 

人生、結構楽しいですよ」という人もいるでしょう。

 

生きていけば、イヤでも難度海が知らされます。

 

実際、波に耐えきれず溺れてしまっている人もいます。
自殺をする人です。
年間3万3000人以上も自殺するような苦しい海なのです。

 

特に40代、50代の人が、

自殺します。

 

苦しいのになぜ生きるのかかわらないからです。

これをミッドライフクライシスといいます。

 

そんな苦しい人生、なぜ生きるのか。

 

苦しみ悩みの人生の海を、

明るく楽しく渡す大きな船がある、
だから早く乗りなさいと
声をからして叫んで下さっているのが

親鸞聖人です。

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2018年03月26日

永井均教授がもし仏教を知ったら……

千葉大学の永井均教授が、日経に書いたコラムがあります。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか」

この問いを多くの人は道徳的水準で受け止めていると言っています。

 

つまり、人を殺すことがよいか悪いか。
それは当然悪いことだろうと、こうなるわけです。
ほとんどの人がこういう立場ですね。

 

だから、あの若者がそういう発言をするまで、問題にもなりませんでした。
「何で悪いの?」
と聞かれて、道徳的水準では答えられなくなってきたわけです。
ここまで突っ込むのがさすが教授ですね。

 

次に社会科学的水準。
なんのことだかわかりません。
ですが、先を読んでみると、人を殺してはいけないと言う規範が存在していて、
それに従わないと、自分が損をすると。
だからそういう規範に従って、人殺しをしてはいけないと。
こうなるわけですね。

 

要は、損得勘定です。

 

ところが、これで話が終るなら事は簡単なんです。
つまり、人を殺して捕まってしまっても、別にいいと。
そんなに生きていたいわけではないし。
そういうふうに言われてしまったら、

それを納得させる理由がどこにも見つからないんですね。

 

ニヒリズムって言うのは、殺してどうなるかわかっていても、

別にそれでいいですよと言う状態ですね。
損をしてもいいよ別にっていう状態です。

 

だから、殺人も自殺も、中身が違うだけで、
本質的に同じになってしまうんですね。

そして、その先にある問いというのは、
「なぜ自殺をしてはいけないのか」
「なぜ命は尊いのか」
「なぜ生きるのか」

という問いです。

 

そして、
「この問いに答える書物は全く存在しない」
と最後に言い切ってるんですね。

教授だから、相当本を読んでるでしょうが、
どこを見ても、なぜ生きなければならないかということに、
一つも答えていないと自信を持っているんでしょうね。


この人が「生きる意味109」を読んだら

どういう反応をするか楽しみですね。

 

今こそ本当の仏教の教え、生きる意味が求められている時代という気がします。

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2018年03月25日

不安で虚しい原因が正信偈に

人生が同じことの繰り返しで、
苦しみが果てしなくなくならないのは、
どうしてなのでしょうか。

 

その答えは、仏教に教えられています。

例えば正信偈では
「還来生死輪転家 決以疑情為所止」正信偈
とあります。

「生死輪転の家に還来することは決するに疑情をもって所止となす」
と読みます。

 

生死輪転とは苦しみ、苦しみの家にすぐに帰ってきます。
苦しみとは不安とか不満とか虚しいとか寂しさとか焦りとか。
常にあなたが感じていることです。

 

このような苦しみから何とか逃れたいものです。
そうして努力していきますが、
これでようやく!と思ったらまた……
次の苦しみがやってきます。

こんなことを永遠に繰り返しています。
四十路坂です。
40歳になっても苦しみの家に帰ってきてしまいます。

この原因について、

親鸞聖人は正信偈で、疑情一つなんだ!
と明らかにされています。

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タグ:正信偈

2018年03月24日

阿弥陀仏の約束の相手と内容

阿弥陀仏の本願は
歎異抄には「弥陀の誓願」とも言われていますように
簡単に言いますと阿弥陀仏のお約束ということです。

 

 

約束には必ず相手があります。

 

一人で相撲ができないように
約束にも必ず相手がいます。

 

阿弥陀仏は誰と約束されているかといいますと

十方衆生と約束しようといわれています。

 

十方衆生とは、

十方とは大宇宙のことです。

 

衆生とは生きとし生けるもののことですが、

私たちは人間ですので、

十方衆生とは、すべての人のことです。

 

阿弥陀仏は、すべての人を相手にお約束をされています。

 

ではどんなお約束をされているかというと、

すべての人を「信楽」の身にしてみせると約束しておられます。
信楽」とは本当の幸せということです。

 

すべての人を本当の幸せにしてみせる

というお約束されているのです。

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タグ:阿弥陀仏

2018年03月23日

仏教にただ一つ教えられていることを断言した人

仏教には何が教えられているのでしょうか?

親鸞聖人の正信偈に、
「如来世に興出したもう所以は唯弥陀の本願海を説かんとなり」正信偈
と教えられています。

 

如来」とはお釈迦さまのことです。
如来世に興出したもう所以は」とは、
お釈迦さまが地球上に現れて、仏教を説かれた目的は、
ということです。

それは「唯説弥陀本願海」と教えられています。

これは、一切経七千余巻を何回も読み破られて
断言されています。


仏教には膨大なお経があり、あまりに深いですから、
ほとんどの人は、何が教えられているかわかりません。
親鸞聖人の「唯説」の断言は驚きです。

」はただ一つということです。
ただ一つの事を教えられたと断言されています。

なかなか断言はできません。
「あの人はけちだ!!」
「あの人はけちらしいよ!?」

断言はなかなかできません。

仏教を勉強している人ほど驚きます。

 

五木寛之の『人生の目的』もそうでした、
人生の目的はないんじゃないか・・・?
とはいうものの・・?
あったほうが良い。

それとは反対に
「人生の目的ある!!!だから早く達成せよ!!!」

と教えられたのが親鸞聖人です。
凄い断言です。

 

どうして断言しないのかというと、
断言して間違いだったら信用がた落ちだからです。

誰からも相手にされなくなりますから、

よほどの自信がない書けません。

 

親鸞聖人はまったく信用を落としておられないどころか、
親鸞聖人は、世界の光といわれ、
親鸞聖人の浄土真宗は、日本最大の宗派となっています。
断言が正しいからです。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年03月22日

心と口と身体の関係

私たちの真実の姿について
ブッダはこのように大無量寿経に説かれています。

 

心常念悪
口常言悪
身常行悪
曽無一善

 

心常に悪を念じ、
口常に悪を言い、
身常に悪を行じ、
かつて一善も無し

と読みます。

 

心も口も、身も常に悪の造り通しだということです。

 

ここで、心、口、身という順番で私たちの種まきについて説かれています。
これは仏教では心を重くみるということなんです。

 

ちょうど、火の元と火の粉の関係です。

心は火の元のようなものです。

それに対して、口や身は火の粉のようなものなのです。

 

火が出たと言ったら、
それを消そうとする時、火の元をまず消しますね。

火の粉の方に向って、水をかける人はありません。
火の粉をどれだけ消したって、火の元が消されなければ、
どれだけでも勢いよく火が出てきます。

 

口や身の行いをどれだけよくしようとしても、

心が元ですから、
それが最も恐ろしいのです。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年03月21日

仏教は真実の自己の姿をうつす鏡

ブッダは亡くなられる時に、
「汝らに法鏡を授けるであろう」
と言われました。

 

法鏡」とは、「」とはダルマ、
真実ということです。

 

ですから、法鏡で、
私たちの真実の姿をうつす真実の鏡
という事です。

 

仏教を聞いていても、私の姿、
本当の姿が知らされてこなければ、
全く聞いていないのと同じです。

 

まるで、鏡の前に座っていながら、
目を閉じているか、その鏡はどういう形をしているのだろうとか、
素材は何できているのか、
そんなことばかり気にしていて、
全く、その鏡に映っている自分の姿を見ていない、
そういう人と同じです。

 

何十年仏教を聞いていても、
真実の姿が知らされていない人は、
全く仏教が分かっていない、
ということです。

 

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posted by 陽葵 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年03月20日

ブッダの真の弟子とは

「愚禿釈の鸞」、親鸞聖人のことです。
親鸞聖人が大事なことを言われる時はよく
ご自分のお名前を出されます。

 

 

愚禿とは親鸞聖人が阿弥陀如来に御自身の本当の姿を照らされて、
「なんて愚か、馬鹿な親鸞、
そしてそんな親鸞を目当てに阿弥陀如来は本願を建てられたのか」
そして阿弥陀如来に救われた人は、ブッダは、
私の親友だといわれています。

 

親鸞聖人は、親友などともったいない、
ですが、せめてお弟子にしていただきますと、
お釈迦さまの釈の字を頂かれて、
愚禿釈といわれています。
釈とは釈尊の真のお弟子ということです。

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年03月19日

絶対の幸福になるにはどの位かかる?

絶対の幸福になるには、どの位かかるでしょうか。

 

絶対の幸福をあらわされた

蓮華五徳の中ではどういわれているでしょうか?

 

「花果同時の徳」

といわれています。


果か同時の徳というのははじめての人には、

説明しきれません。

 

花というのは信心のこと、

果というのは利益のことです。

 

南無阿弥陀仏を獲得したときに

大宇宙の万善万行と一体になって限りない利益を頂きます。

 

蓮の花はばさっと開きます。
だんだんひらくのではありません。

 

信心獲得は一念です。

同時に数限りない利益を頂きます。

 

他の宗教というのは
「僕の今度の試験助けてください。もうだめです。
どうかこの窮地を助けてください」
困ったときにお願いしますというもの。

 

や仏を信じてどのくらいの利益があるのか、
これははなはだ疑問です。

 

もしあらわれても結果があらわれてくるまで
時間が相当かかります。
死ぬまであらわれないといえます。

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