アフィリエイト広告を利用しています
プロフィール
陽葵さんの画像
陽葵
陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
プロフィール
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
記事ランキング
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ

2018年03月18日

阿弥陀仏の心を知る方法

阿弥陀仏の本願を読んでわからない点が4つあります。

 

@どうすれば助かるのかわからぬ
A自力か他力かわからぬ
B信心か念仏かわからぬ
C若不生者の生れるの意味がわからぬ

 

これらのものが本願成就文に腰をすえてよむとみんなわかります。

 

親鸞聖人の教えは
本願成就文に腰を据えています。

教行信証は成就文の解説書です。

 

親鸞聖人の教えは成就文以外にはありません。
蓮如上人の御文章も本願成就文以外にありません。

 

仏教の教えは本願成就文におさまります。
その本願成就文の教えが浄土真宗です。

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年03月17日

仏教を伝えるすばらしさ

正信偈
「遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」正信偈
とあります。

 

「煩悩の林に遊びて神通を現じ、

 生死の薗に入りて応化を示す」

と読みます。

 

天親菩薩のみ教えをおっしゃっているところです。
ここにで「功徳の大宝海に……応化を示す」と
「」がついており、いえりとあります。
天親菩薩が仰っているということです。

 

まず、「煩悩の林」とあります。
煩悩とは、怒り愚痴、このほか105あり全部で108.
一人一人に108の煩悩があります。
15人いれば、108の煩悩が15あると言うことです。
煩悩の林ですね。

苦しみ悩みの人々のことです。

 

その煩悩の林で、遊びて、とおっしゃっています。
ここでいう「遊ぶ」とはどういう意味でしょうか。

 

カラオケで遊ぶとか、
遊園地で遊ぶという意味ではありません。

 

「遊ぶ」とは、自由自在の活躍をするとか、
縦横無尽とか、痛快至極、

とにかく楽しくて仕方ないという意味です。

 

では、なにが、そんなに楽しくて仕方がないのかといいますと

「仏法を伝える」、
「破邪顕正する」、
「法施」が楽しくて仕方がないとおっしゃっています。

 

神通を現ずる」というのは、五神通の力で。
宿命通、天眼通、天耳通、他心通、神足通のこと、
神通力をもって、苦しみ悩みの人々の中に飛び込まれて、
法施する、痛快至極だ。


生死の園に入りて」も同じ意味です。

生死とは、苦悩のこと、生きているおのにとって、
死ぬことほど苦しいことはありませんから、
苦悩のことを、仏教では、生死といいます。

「応化を示す」も「神通を現じ」と同じ意味です。

続きを読む...
タグ:正信偈
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年03月16日

自殺してはならない生きる意味とは?

立場ある人ほど自殺するということをよく聞きます。
ノーベル賞の川端康成も自殺しています。
芥川龍之介も自殺です。

 

それはどんなに材料があっても
それを生かせなかった人といえるのではないでしょうか。

 

逆に、そんなに立場のない、
体も強くない人でも毎日満足して、
楽しいときを過ごしている人いますね。

 

だから、人生を生かすも殺すもその人の心の持ちようです。

 

金や地位や名誉、これらは材料、これは人生を生かす手段です。
手段とは目的あっての手段です。
だから生きる目的あっての生きる手段なんです。

 

どうしたら、毎日明るい人生となるでしょうか。
ここに心が定まってはじめて材料が材料として生かされます。

 

生きてゆく生活に目的が定まれば、手段の生かし方がわかります。
材料も大切だけどもっと大切なのが目的です。

 

この生きる目的生きる意味が教えられているのが仏教です。

今から進んでいく未来が本当に生きる、
そういう大切なものを扱っているのが仏教なのです。

続きを読む...
タグ:生きる意味

2018年03月15日

忍耐と精進で後悔のない人生をつかむ

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
と天下が転がり込むのを待った徳川家康は忍耐の人といわれます。

 

虎視眈々と天下を狙った家康。
かつて眠れる獅子といわれた中国において、
人格者とは、泰然自若として、
悠悠自適に、耐える、待つ人といわれます。

 

ところが今日はスピードの時代です。

 

眠れる獅子では目覚めるチャンスを失して、
永眠に入ってしまうのが、今の世界です。

 

中国はしたたかです。

待っていたら、時代はもっと早く流れて、取り残されます。

 

チャンスは待つものではなく、つかむもの。
無限にあふれる情報の中から、早すぎてもだめ、
遅すぎてもまた駄目、ジャストフイットでそれをつかんで、
波に乗ったものの勝ちです。

 

さしずめ

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス
の秀吉型の積極的、ポジテイブな生き方が望まれますが、
現実は

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

の信長のように、
思い通りにならぬとムカついて、キレて、チャンスをつぶし、
人生もつぶしてしまう人がなんと多いことでしょうか。

 

後悔のない人生は待っていちゃこないし、

来ないからといって、キレていてもなおそれはありません。

 

忍耐と努力精進で自分の人生を切り開いてゆきたいですね。

 

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年03月14日

生きる目的は死ぬまで果たせない?

君たちはどう生きるか』という本が
250万部突破のベストセラーになっています。


どう生きるかというのは、生きる手段です。

では、生きる目的は何でしょうか。

 

つきつめていくと、究極的な生きる目的は、

変わらない幸せになることです。

 

歎異抄の言葉でいえば「無碍の一道」です。

無碍の一道とは、死もさわりとならない世界です。

 

しかしそれが死ぬのが恐くなくなるということではありません。

それは不適切です。

 

その根底にあるのは往生の得否は平生の一念で定まる

平生業成ということです。

 

死の恐怖の有無は、往生と関係あまりせん。

弥陀の名号を聞信した一念で助かります。


そういうことが分からないと死ぬまでいかないと
救われているか否か分からないと迷ったことを思います。

こういう自力の信心を破られて、
他力の信心を教えられたのが
本当の仏教です。

続きを読む...
タグ:往生

2018年03月13日

仏縁を深めるには

仏法の話をすると
理解を深めます。
仏縁を深めます。
そして聞法にあらわれます。

 

二度目に聞く話にたちまち興味を失うのは、
語らないからです。

 

語るときに教学が問題になります。

 

教学というのは親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を出すときに
そのお言葉が出てこないと話が始まりません。

 

親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を正確に覚えようという意欲、
関心ががらっと変わります。

 

相手の仏縁を深め、自分の仏縁も深まります。

仏教を語る習慣で相当変わります。

続きを読む...
タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年03月12日

正しい仏教の先生にあうことは難しい

浄土真宗を明らかにされた

親鸞聖人の御和讃に

 

善知識にあうことも
おしうることもまた難し
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし

 

とあります。

善知識とは、正しい仏教の先生です。

そんな正しい仏教の先生にめぐりあうことは

難しいことです。

 

善知識としても、教うることも難しいことです。

 

不可思議不可称不可説の世界を教えようとしても
それは言葉にかからない世界でせす。

言葉にかからない世界を
まだ経験してない人に教えるのが難しいことです。

 

善知識の言うことを正確に、

よく聞いて決勝点に行くことも難しいことです。

また経験してない人が聞きぬくことも難しいことです。

続きを読む...
タグ:浄土真宗
posted by 陽葵 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 善知識

2018年03月11日

キリスト教の神と仏教の自業自得

運命は何によって決まるのかって言う事について
たいていの宗教で教えてるだろうけど、
世界の二大宗教ではまったく違います。

 

キリスト教では、運命はが創って与えたものです。

っていうのは自分以外の何かです。

親のせい、あいつのせい、というのと、
他因自果っていう点で共通しています。

 

交通事故でなぜ、とか、
なぜひどい親のもとに生まれなけらばならなかったのか
それは自業自得だと仏教では教えられています。

 

種まきは本人さんにあったのです。

教学的に言うと業力であり、カルマです。

わかる人は仏縁のある人です。

 

これ一つ言うだけでも、

「すごいな仏教は」

ってなると思います。

続きを読む...

2018年03月10日

キリスト教も仏教も宗教?

昔の人は

「まけば生えまかねば生えぬ善し悪しの

 人はしらねど種は正直」

と歌っています。

 

全く仏教とキリスト教では違います。

キリスト教では、運命はが創って与えたものです。

 

仏教は自業自得で、

自分の行いが自分の運命を生み出しますから、

根本的に違います。

 

同じ宗教というカテゴリーの中に

入れることもできないほどです。

 

仏教を説かれたブッダ

私達が最も関心を持っている、

運命は何によって決まるのかということについて、

神ではありません。

 

あなたの種まきが決めるのです。

自業自得と教えられ、キリスト教とは全く違います。

もっと言えば世にいう宗教は、

要するに教祖が、が運命をあたえる、

そういうものを拝み倒すものです。

 

そういうことから言えば仏教は宗教ではありません。

 

みんなわかっていない、

要するにが与える運命なのか

自業自得の違いなんですけど、

これ知ってるだけでもすごいです。

続きを読む...

2018年03月09日

生きる目的に向かう団結

世間でも金やものによる団結は容易です。
しかし本当の生きる目的に向かっての団結はそう簡単ではありません。
時間もかかるし、辛抱強い、忍耐力も必要となります。

 

しかし金や物目あての団結などと違って、
本当の生きる目的を中心とした団結ほど、
強くて堅い麗しい団結はありません。

仏教の教えのもとに集まる団結は
金やもの目当ての団結とは桁が違う素晴らしい団結です。

 

お互い相手のことを思いやる麗しい団結となっていかなければなりません。

 

西郷隆盛は、

「金も名誉も命もいらぬ者ほど始末におえぬものはない」

と言いました。

 

「そんな者でなければ大事業はできぬ」

とも言っています。

 

本当の仏教の教えを伝える集まりは、こうありたいものです。

仏教の教えを聞く目的は
金を得るためでもなければ名誉を得るためでもありません
本当の生きる目的を果たすためです。

 

命もいらぬ者ほど始末におえないものはありませんが
命を捨てても悔いなしというものが、
本当の生きる目的です。

続きを読む...