千葉大学の永井均教授が、日経に書いたコラムがあります。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
この問いを多くの人は道徳的水準で受け止めていると言っています。
つまり、人を殺すことがよいか悪いか。
それは当然悪いことだろうと、こうなるわけです。
ほとんどの人がこういう立場ですね。
だから、あの若者がそういう発言をするまで、問題にもなりませんでした。
「何で悪いの?」
と聞かれて、道徳的水準では答えられなくなってきたわけです。
ここまで突っ込むのがさすが教授ですね。
次に社会科学的水準。
なんのことだかわかりません。
ですが、先を読んでみると、人を殺してはいけないと言う規範が存在していて、
それに従わないと、自分が損をすると。
だからそういう規範に従って、人殺しをしてはいけないと。
こうなるわけですね。
要は、損得勘定です。
ところが、これで話が終るなら事は簡単なんです。
つまり、人を殺して捕まってしまっても、別にいいと。
そんなに生きていたいわけではないし。
そういうふうに言われてしまったら、
それを納得させる理由がどこにも見つからないんですね。
ニヒリズムって言うのは、殺してどうなるかわかっていても、
別にそれでいいですよと言う状態ですね。
損をしてもいいよ別にっていう状態です。
だから、殺人も自殺も、中身が違うだけで、
本質的に同じになってしまうんですね。
そして、その先にある問いというのは、
「なぜ自殺をしてはいけないのか」
「なぜ命は尊いのか」
「なぜ生きるのか」
という問いです。
そして、
「この問いに答える書物は全く存在しない」
と最後に言い切ってるんですね。
教授だから、相当本を読んでるでしょうが、
どこを見ても、なぜ生きなければならないかということに、
一つも答えていないと自信を持っているんでしょうね。
この人が「生きる意味109」を読んだら
どういう反応をするか楽しみですね。
今こそ本当の仏教の教え、生きる意味が求められている時代という気がします。
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