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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年05月19日

欲望を満たせないのが苦しみの元?

みんな欲望を満たすことができないから苦しんでいると

思っています。

 

では今より毎月1万円収入が増えたら

どうなるでしょうか?

 

仏教に使えば幸せになれますが、

仏教知らなかったら、趣味や生活費に使います。

 

生活水準があがります。
下から上がるのが幸せです。

 

食事代が300円から400円になると嬉しいてす。
400円が当たり前になると幸せに思えません。
300円になるとつらい、あがるときは幸せ、
あがったら当たり前になります。

 

毎食3万円の食事している人がいます。
当たり前と思っています。
1日300円の食事しなさいといわれたら生きていけません。

 

当たり前だと思ってしまいます。

何があっても維持しなければならないから
無い人よりある人の方が苦しみ多くなります。

 

欲望は無限です。

満たしても満たしても幸せになれません。

欲望はそのときは喜べますが、

欲望を満たした喜びは一時的で

何も残りません。

 

それだけで人生終わったら最後に後悔します。

 

そんなみんな欲望を満たすことだけで生きている中で、

あなたの苦悩の根源は
心の闇であると明らかにされたのが仏教です。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年05月17日

ミッドライフクライシスを迎えた人は臨終にスピリチュアルペイン

すい臓癌で亡くなった知人があります。

膵臓癌はわかりにくい癌です。

 

その人も、なかなか分かりませんでした。

レントゲンにうつりません。

 

異常なしだったのにどうもおかしい。
突然かたがあがらなくなります。

すい臓悪いと分からないから整形外科へ。
そして少しよくなりました。

 

しばらくすると今度は耳鳴りがします。
耳鼻科で飲み薬をもらうとちょっとよくなりました。

 

今度は視界の中心がぼやけるので

眼科に行きます。
視神経がやられています。

 

もう一度検査をといわれて検査したらすい臓と分かります。

癌が転移していた、もう手遅れです。


正しい原因がわかっていないから救われないのです。

 

人生が孤独寂しいのはなぜでしょうか?

死ぬのが怖いのはどうしてなのでしょうか?

 

若い頃から働く目的がわからず

やがてミッドライフクライシスを迎え、

臨終になるとスピリチュアルペインが起きます。

 


それはなぜでしょうか。

その正しい原因は心の闇仏教では教えられています。

 

原因を正しく知り解決してこそ
本当に人間に生まれてきてよかったという身になれます。
これを教えられたのが仏教です。

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2018年05月15日

阿弥陀仏が約束された信楽とは?

阿弥陀仏の本願はすべての人を信楽にするというお約束です。

 

信楽とはどういう心でしょうか?

 

人間に生まれてきて本当によかったという心です。

私たち日々の生活で生きていてよかったと思うことたまにあります。
例えば感動する本や映画を見たとき
「エクソシスト」とか?
「ライフイズビューティフル」
おいしいものを食べたとき、
味噌汁が上手くできたとき
よかったと思うことは多くあります。

 

ところが生きていてよかったと思うのは瞬間のことで、
次からはそうは思いません。

虚無感におそわれます。

 

夏の暑い日、仕事が終わった後のビールの一口、
生きていてよかったと思うが
次からは思いません。

そんなことのために働いているとすれば、

働く意味がわからなくなります。

 

そんな瞬間的なものではなく、

ずっと続く生命の歓喜、

これを信楽といわれています。

 

難思といわれるように、
信楽になる前に考えているものと
本当に信楽になったときの喜びとはまったく違います。
心の闇が破れた心です。

それは煩悩即菩提の世界です。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年05月13日

虚無感に襲われる寂しい人生を充実させる方法

このあいだセンター試験がありましたが
大学受験の頃が一番勉強していたように思います。

今となっては、

あの時一生懸命勉強した事も遠い昔のような気がします。

 

20歳になるとそこまでの人生を振り返ると夢のように思います。
30歳になってそこまでの人生を振り返ってみると
また夢のように思います。

 

私達にとって一番大事な人生の目的を知らなかったならば
夢幻のように終わってしまうのが人生です。

邯鄲の夢と一緒です。

 

寂しいものです。

そういう人生に絶望して、

自分の事を「ガラクタ」にたとえている歌がありますが、

それは、自分に価値が感じられない

ということです。

 

それは、人生に価値が感じられないのです。
結局一生懸命やった事も振り帰ってみれば
すべて夢のようになってしまう人生です。
そんな人生を何の為に生きるのか。

 

それが、本当の生きる意味です。

それは仏教に教えられています。

生きる意味を知らなければ虚無感の人生になってしまいます。

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タグ:生きる意味
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2018年05月11日

仏教を聞く心構え

求法太子の話で教えられている大切なことの一つは、
仏教の教えを正しく説かれる先生に対して
どれだけの気持ちをもって聞こうとしているのか
ということです。

 

修行者は財産・地位や名誉に用事はない、
聞きたいのは私の指示にしたがうかどうかだ。

といわれ、求法太子は、
もちろんどんな仰せにもしたがいます、
といわれました。
大変な信順姿勢です。

 

これについて蓮如上人は

御一代記聞書におっしゃっています。

 

善知識の仰せなりとも、「成るまじき」なんど思うは、大なる浅間しき事なり。
成らざることなりとも、仰せならば「成るべき」と存ずべし。
この凡夫の身が仏になる上は、さて「成るまじき」と存ずることあるべきか。
然れば「道宗、近江の湖を一人して埋めよ」と仰せ候とも、
「畏まりたる」と申すべく候。
「仰せにて候わば成らぬことあるべきか」と申され候。
(御一代記聞書192)

 

善知識とは、仏教の教えを正しく説かれる先生のことです。

善知識の仰せに対してどうあるべきか。
善知識がやりなさいとおっしゃっている事に対して、
できませんということは大なる浅ましい事だと
教えられています。

 

とてもできないということであってでも

善知識がおっしゃることなら

必ずできるんだと思ってやりなさい。

 

わたしたちは自分が正しいと、はからってできませんと思う。
しかしここで求法太子はできませんなどと言っているでしょうか?
そんなことはいっていません。

 

会社なんかでは、上司から指示を受けると、

「え、私ですか?」
と聞く人があります。

 

言いかえれば、紙があってこれリソかけてくれませんか?
玄関きたないので掃除してくれませんか?
「え、私ですか…」
このように聞いているのは、私は嫌ですという

反発心のようなものです。

 

善知識の仰せに対して、

「はい、分りました」という心がけが大事だと

蓮如上人は教えられています。

 

ここで道宗は蓮如上人たいして…。
蓮如上人が道宗に対して琵琶湖の湖を一人でうめよ。
といわれたのに対してはい、かしこまりました。
そのへんの池らしきものをうめるだけでも大変です。

 

それを琵琶湖をうめるとは想像を絶します。
それなのに、はい、かしこまりました。
実際できるかどうかは分らない。
しかし、他の誰の指示を聞いても、本当の幸せにはなれません。

虚しい人生で終わります。

 

善知識のおっしゃることにできないことはない、

とうけとめていく心がけが

仏教を聞いて本当の幸せになる上で

大事ということです。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2018年05月09日

欲望で失敗する

このあいだ誘拐事件がありましたが
誘拐をして男の気を引こうとしたわけですが
結局その男と一緒になる事はできずに
つかまってしまったわけですから
色欲で身を滅ぼしているわけです。

 

あなたにも無関係な話ではなくて
大事な試験があって、勉強しなくてはならないとなると、

何だか部屋の掃除がしたくなります。

 

そして掃除をしていると懐かしい本が出てきます。
キン肉マンとかコロコロコミックとかが出てきて
読んでいるうちに時間がたって全然勉強ができません。

 

そういう、本を読みたいとかゲームをしたいというのは

欲の心ですが、試験で殺される事はありませんが
その欲望のために試験を失敗する事が

あったかもしれません。

 

善因善果 悪因悪果 自因自果

は宇宙の真理です。

 

そういうことは不幸や災難を引き起こすので、

なのです。

 

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年05月07日

仏教を求める心がけ

蓮如上人は仏法を聞くのは心がけ一つと教えられています。


遠きは近き道理、近きは遠き道理なり。
灯台もと暗しとて仏法を不断聴聞申す身は、御用を厚く蒙りて、
「いつものこと」と思い、法義におろそかなり。
遠く候人は、仏法を聞きたく、大切に求むる心あるなり。
仏法は大切に求むるより聞くものなり。
(御一代記聞書129)

 

遠いとは、仏法のために苦労している人のこと。
お金、時間、体力、神経を使います。

 

とかく、多くの人は、いかにして楽して単位を取るか、
楽して金をもうけるか。

楽して金が儲かる方法はないものかと考えています。


パチンコ屋に朝から行列。

宝くじを買う。

 

現代の合理主義は、仏法とは無縁です。

仏法の為に苦労をするままが、光に向かう道です。
教えの通り実行していく道です。

心がけ一つで24時間光に向かって進めます。

 

夜休んでいるときも、休むことで
より光に向かって進めるのなら、善いことです。

夜中遅くまで起きていることが光に向かうことではありません。

 

限られた時間をいかに工夫して、善い種をまくか。
心がけ一つです。

本当の生きる目的に向かうなら

君たちはどう生きるか』も有益です。

 

逆にくだらない欲望怒りのために、
貴重な時間を使ってはいないでしょうか。

 

遇い難い仏法にあわせていただき、
善知識との御縁がある今こそ、

雑念をはらって、光に向かって進む絶好のチャンスです。

 

どんなに頑張っても、しばらくしか生きておれません。
あの時もっとやっておけばと後悔する前に、
一日一日の種まきを大切にしましょう。

 

「恐ろしやたゆまぬ歩みかたつむり」

信一念で、罪悪の固まりが私と知らされるところまで、
徹底して浄土真宗の法話を聴聞し、

光に向かって進ませていただきましょう。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法

2018年05月05日

本当の幸せまでの3つの門

本当の幸せになるために、
通らなければならない門が3つあると言われます。

 

1.人界受生の門
2.値遇仏法の門
3.極楽の東門

 

人界受生というのは、人間に生まれるということです。

人間に生まれるということはたいへん難しいことです。

 

その中で、仏法に出会うのは、値遇仏法の門です。

値というのは、一生涯に一回しかない「あう」ということです。
遇というのは、たまたま会う、ということです。

 

極楽の東門とは、
極楽は西にあるので、西に向かっていけば、

東の門にぶつかります。

 

ブッダは、

「この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん」
と言われています。

 

あなた、生きている今ですよ、と言われている。
度というのは、さんずいをつけたら渡るということですが、
本当の生きる目的を達成するということです。

 

せっかく三門の中の一番二番を突破しているのに、
今生きている時に生きる目的を達成しなかったら、
一体いつ、生きる目的を達成するんですか、今ですよ、
ということです。

そのために、君たちはどう生きるか

ということがあります。

 

千載一遇という言葉があります。

千年に一度、万年に一度、ということです。

 

生きる目的を知らず、虚無感に襲われる人生で、

本当の生きる目的を知らされたのですから、

その達成に向かってどれだけがんばっても、

がんばりすぎるということはありません。
これ一つやらなかったら、

人間に生まれてきた甲斐がないということです。

 

 

これ以上大事なことはありません。
二つの門を越えてきたあなたですから、

いつ死んでも極楽参り間違いない、

というところまで聞き抜かせて頂かねばならない、

ということです。

 

必ず聞き抜いて、後悔のない人生にしなければなりません。

 

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2018年05月03日

天上天下唯我独尊の真意

ブッダがお生まれになられますと、

東西南北7歩ずつ歩かれました。


そして右の手で天を指されて、

左の手で地を指されていわれました。

 

天上天下唯我独尊

 

わずか8文字ですが、大変大事なことを教えて下さっています。

 

天上天下」とは、天の上にも天の下にも、ということで、

この広い大宇宙でということです。

 

唯我独尊」というのは誤解されています。

ただ自分一人尊いんだ、オレ一人が偉いんだ、
と威張って言われた言葉のように思われています。

 

自分が一番偉いんだという、
独善的な人が使う言葉のように思われていますが、

そうではありません。

 

この誤解がどこから生まれているのかというと、
」という字からです。

我というのは、ブッダお一人というのではなくて、
私たち人間」ということです。

 

ブッダお一人を表すのは「」という字で書かれています。

 

ですから唯我独尊とは、

私たち人間だけが、ただ一つの尊い使命を持っている、

果たすことができる、ということです。

使命というのは、命の使いどころということです。

 

私たちは何かに命を使わねばなりません。

新聞やニュースを見ると、
お金の為に命を捨てる人、
名誉のために命を捨てる人、色々あります。

登山家や、冒険家という人があります。
高い山に一人で冬に登ります。

 

成功すると

「あの人はすごい登山家だ」

と言ってくれる人があります。

そのために、命がけです。

 

成功すると大変な名誉を得ることができますが、
遭難して命を落とす人があります。

その人は、名誉のために命を使ったと言うことです。

 

私たちが人間に生まれてきた命というのは、

お金や名誉に使うためのものでしょうか。

 

ブッダは、

天上天下唯我独尊によって

万人共通の、たった一つの尊い使命があるんだ、

と教えられています。

 

本当の生きる目的があるんだ、と言われています。
人によって違うものは本当の生きる目的とは言いません。

趣味とか生きがいとか言われるものは人によって違います。
私は野球を見るのが好きだ、とか、サッカーの方が好きだ、とか、
趣味や生きがいは違います。

生きる目的は違います。

 

髪の色、肌の色が違っても、全人類共通の、
たった一つの生きる目的があるんだ、

ブッダが教えておられます。

 

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2018年05月01日

浄土真宗の法話では何が聞けるの?

浄土真宗の法話に行くと、

浄土真宗の教えを聞くことができます。

 

浄土真宗親鸞聖人の教えですが、
何のために聞かせていただくのでしょうか。

 

親鸞聖人は浄土真宗の開祖と言うことで有名ですが、
どういうことを教えていかれたのでしょうか。

 

親鸞聖人は常に
「さらに親鸞珍しき法をも弘めず、
如来の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」

といわれていました。

 

珍しい教え」というのは、

今まで誰も説いたことがないような教えをあみだして
教えているのではありません。

 

如来の教法

お釈迦さまの教えられたことを教えているだけです、
ということです。

ですから親鸞聖人の教えと言いましても、
仏教以外にはありません。

仏教とは、仏様のみ教え、
仏様の説かれたみ教えということです。

 

仏とは、お釈迦さまのことです。
2600年前、インドで活躍されたお釈迦さま
35才で仏の覚を開かれて、80才でお亡くなりになっています。
45年間仏として説かれたみ教えが仏教です。

 

お釈迦さまが45年間説かれたみ教えを一切経、
お経が残っています。

仏教を説くときにはお経を根拠として説かねばなりません。
たくさんのお経があり、難しい内容ですから、
すぐにわかるというものではありません。

この一切経を正しく読まれて、仏教を教えて下さった方が、
親鸞聖人です。

親鸞聖人は仏教を教えられたのです。

ですから浄土真宗イコール仏教です。

 

浄土真宗の法話では、仏教の教えが聞けるのです。

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タグ:浄土真宗
posted by 陽葵 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教