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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年10月27日

桐島洋子の死の恐怖

作家の桐島洋子さんという人があります。
今は料理研究家もやっています。
その娘が俳優の桐島かれんです。
息子さんも有名な人です。

今はカナダだったか、外国におられるそうです。
若いときからいい文章を書くことで有名です。

そして、死を見つめている人はやっぱりこういうことを考えてるんだなという文章があります。

例えば「死、この恐怖」には、
「私は恐ろしさと寂しさに胸を衝かれる。
これは悪夢ではない。あらゆる場所で着々と信仰し、百年以内に必ず100パーセント現実になる冷厳なスケジュールなのだ。
百人百様の人生のそれぞれに、確実に保証される唯一のものが死の訪れである。生きるということは死をゴールにしたマラソンにほかならないのだ。しかしこの最も確実なものが、また最も確かめ難い謎にとざされた不気味な暗闇であるということは、なんという皮肉だろうか。多くの人はゴールの向こうになにがあるのかわからぬままに、ともかくひたすらに走り続けなければならない」
とあります。

この中に
「最も確実なものが、また最も確かめがたい謎にとざされた」
と言っています。

これはおっしゃる通りで、
たとえば壁、見えるから頭から突っ込んでいく人はいません。
カーテンになっていて向こうが見えません。
なのに突っ込んでいけるかというとできません。
何もないかもしれません。
そこに向かっては不安で走れないのです。

ディズニーランドのアトラクション(ジェットコースター)で、
明るい外から建物の中に入るとなると怖くなります。
暗くて何も見えません。
思わず頭を引っ込めてしまいます。
暗いということは不安です。
先が見えないというのは不安なことです。
それが苦しみの根本原因なんだ、と仏教で教えられています。

人生というゴールという最後が〜不気味な暗闇である。
真っ暗闇の中に頭から突っ込んでいかないといけない、それは悲劇です。
短いけど深い文章。

「この人ここまで悩んでいてよく生きていけるな」と思います。
調べてみると、案の定、世界中のいろんなものを調べています。
オウムの話も聞きに行っています。
いろんな宗教に迷ってきた感じがあります。

タグ:不安 宗教 仏教
posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2019年10月24日

自覚なく造っている苦しみのたね

仏教では、すべての人は、恐ろしい病にかかっていることを教えられています。
しかし、みんな自分が病気と分かりません。
どんなに科学が進歩しても、幸せになれずに苦しんでいます。
それは、自分の心が作りだした結果です。

限りない欲望で、
色々な悪いたねまきをして、苦しみを生みだしているのです。
欲の代表としては、食欲で造るがあります。

毎日たくさんの生き物を殺して生きています。
浦島太郎も結局は魚を殺して生きている人です。
最後はそれであっという間に人生が終わっておじいさんになってしまいました。
殺生罪だけみても、恐ろしいことをしていると分かります。



菜食主義者はどうかといっても、
農薬を作って野菜を作っています。
無農薬でも、合鴨農法といっても、虫を食べさせています。

虫も生き物です。
虫の立場からいえば、ヤクザを雇われているようなものです。


名誉欲で言えば、
法律家でも、名誉欲のために、冤罪事件を起こすこともあります。
自分達の名誉、出世のために、犯人を造ることもあります。
死刑反対の人は、冤罪もあるからというのが一つの大きな理由です。

冤罪でも10年、20年、家族が離散して、刑務所からでてきても、人生が終わっています。
物凄い無念です。
私達は冤罪で殺している。

欲のために、やっているのです。

その結果、作り出された苦しみの世界が、地獄です。
こんな世界に落ちるんだぞと教えられています。
自覚もなく、数え切れないほどやってきた悪の結果を自分が受けるのです。

地球のどこにあるのか地球の下かという話ではありません。
私たちの生み出す世界です。
それが後生の一大事です。

その後生の一大事の解決を教えられたのが仏教です。

2019年10月21日

幸せになれない心の病

仏教では、すべての人は病人だと教えられています。
病人といっても、肉体の病ではありません。
心の病です。

その心の病の病名を、
蓮如上人は、「無明業障の恐ろしき病
といわれています。

無明業障」とはどんな意味かといいますいと、
無明」は煩悩のことです。

「恐ろしい」というのは、おろそしいという自覚がない。
癌は自覚がない。
早く発見すれば治るのに、気づかないので、手遅れになります。
気づいたときには末期で、あとは死を待つばかりです。

無明業障の恐ろしき病も同じで自覚がありません。

煩悩で患いなやんでいるのは分かるが、
を作っているというのは、自覚ないのです。

魚食べてどうして悪いのか、みんな食べているでしょ。
活造りとかは、悪いでしょうが、
私が殺しているのでなく、魚屋で殺しているでしょ。
しかし人に頼んで殺してもらっても殺生罪と仏教で教えられています。

無明業障の「業障」とうのは、業は行い、障は苦しむということです。

分からないのは煩悩が分からないからです。
煩悩で悪を作って苦しんでいる悪人です。

すべての人は、病人という自覚がない。
どんな恐ろしい行いをしてどんな結果を受けているのか
分からないと恐ろしいというのも分からない。

だから仏教を聞こうともせず、幸せにもなれないのです。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2019年10月17日

スピリチュアル・ペインの本質

死んで行く人の苦しみを分析した全人的痛みというものがあります。
4つの要素に分けられています。
肉体的な痛み、
精神的な痛み、
社会的な痛み、
スピリチュアル・ペインです。

肉体的な苦しみ、痒いとか、色々ありますが、
やがて痛くなります。

精神的な痛みとは、
孤独感不安感です。

社会的な痛みとは、主にお金の問題で、家族関係に亀裂が入ります。

最後のスピリチャルペインとは、
自分の人生は何だったんだ、何のために生まれてきたのか。
生きる意味の苦しみです。

また、死んだらどうなるかという疑問もあります。

大学の医学部の教科書では、
根元的な問題
と書いてあります。

死んだらどうなるか分からない心の闇です。

目隠しして家に入るようなものです。
大変怖いです。
死の恐怖も起きてきます。


日本人は今、死んだら無になるという人が多くあります
しかし、戦争中はになると思っていました。
何を聞くかによって変わるのです。

posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2019年10月14日

死を見つめて大きな成功をおさめたスティーブ・ジョブズ

人は必ず死ぬというと、
そんなこと分かっているよと
こみんないいます。

しかし、実は死ぬと思っていないのです。
その証拠に必ず死ぬといっても、
明日死ぬとは思っていません。

明日死なないとなると、
明日になるとまた
明日死なないと思います。

今日死ななくて、明日も死なないなると、
ずっと死なないということになります。

明日は死ぬかも知れないという人もいるかもしれませんが、
明日死ぬと思ったら今ブログを読んでいるでしょうか?

お金使って遊びまくっているか、
遺書を書いているか、
何か別のことをするはずです。

だからいろは歌
「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず」

と言う歌ですが、
あえて
「どんな満開の桜も散るときがあるぞと、
 そしてあなたもいつまでも生きていないぞ、
 こういう事実ををよく見つめなさい」
という事実を書かれています。

自分が死んで行くということを直視すると、
生き方が見えてきます。

スティーブジョブズがガンになって、いつ死ぬか分からない。
そんな中、ある大学の卒業式で言っていました。

「今日が人生最後の日となったらそれをやるか」
これが判断基準。

今日死ぬまでいかなくても、80、90歳まで生きられるか分からない。
だとしたら何をすべきか、こういうことをいろは歌は教え、
ジョブズさんも言っています。

死を見つめることが生きる意味を知る上でとても重要なことなのです。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2019年10月11日

女子大生の体験したスピリチュアル・ペイン

大学の医学部で使われているいい資料を大学の先生から頂きました。

そこには事例を通して全人的医療を考えるということが書かれています。

Yさん22歳の事例です。
20で乳がんになり今22歳という大学4年の女子大生が
余命3ヶ月から6ヶ月と診断されました。

かわいそうです。

家族はお母さんも8年前に乳がん、
お父さんは4年前に肺がんで死んでいます。
弟は20歳で大学2年、
妹が18歳高校3年です。

お母さんも再発する可能性がある、闘病中の身です。
それなのにお母さん1人で大学2人だして1人受験生、
これも大変なことです。

そして長女が余命6ヶ月で医療費もかかります。
ところが、その22歳の女子大生が、
その時に一番問題になったのが、
死にゆく人の感じる4つの痛みの組み合わせの、
「トータルペイン」の中でも
4番目のスピリチュアルペインです。

これが一番深刻な悩みです。
それを非常にわかりやすく表現しています。


私は何のために生まれてきたのだろう
「私は何か罪を犯したので、こんな病気になったのだろうか」
死んだらどうなるのだろうか
「死んだ父と会うことができるのだろうか」
「何か信仰が必要なのだろうか」

これ以上生きる意味はあるのだろうかという
まさに人生の根源的な悩みです。

絶対死にたくないけど死なねばならないという現実に直面して、
何のために生まれてきたのだろう?
私が生まれてきたことに意味はあったのだろう?
いっそ死んだほうがましじゃないか?
死んだらどうなるのだろう?
死んだ父とあうことができるのか?
死のことばっかりです。

それほど死というのは大問題であり、
このこと1つはっきりさせるのが
人生で最も大事なことです。

いま医学部ではただ肉体だけ治すのでなく
こういう精神的な苦しみに
どう対処するかを学んでいます。
今回の記事は、そういう大きな問題です。

ところが、死にゆくことを自覚できない間は、
そういう大きな問題を大きな問題と思えない妄想をみな持っているぞと
ブッダは2600年前にハッキリ説かれています。

みないつか死なねばならないと知っているといいながら
今日死ぬなんて誰も思っていない。
だから人生結構楽しいよと妄念を持っています。

それを臨終に気づいては手遅れだから、
早く気づきなさい。
ブッダは、私たちの考え方が
ひっくり返っていることに気づかせようとしているのです。

死というと暗いと思いますが、必ず直面する現実です。
逃げることができないものであれば、現実を直視して、
それを乗り越えることが大切です。

乗り越える事ができない人が、
現実逃避していたずらに暗く沈むのです。

この死の問題と向き合って
それを今日乗り越えることができると
いわれている身近な歌に、いろは歌もあります。

有為の奥山今日こえて
浅き夢みし酔いもせず

とあります。

この苦しみ悩みの人生が今晩死んでも後悔はないと
はっきりした人生になるというのがいろは歌です。

2019年10月07日

「人生結構楽しいよ」という人の見落としているもの

「人生結構楽しいよ」という人があります。
それは、諸行無常ということが分かっていないからです。


諸行とはすべてのもの、
無常というのは、続かないということです。
この世のすべては続かないということですが、その最たるものが自分の命です。
命が続かないということは思っていないから、
人生結構楽しいと錯覚するのです。


人生楽しいよと思っているのは、実は「楽」という妄念です。
妄念というのは妄想です。

人生は本当は苦。
これが真実です。

人生楽しいと思っているのは妄想。

人生で一番楽しいのは大学時代だといわれています。
働きもしないで、好きなことができます。

テーマパークのように、サークルをしたり、
バイトをしたり、
どんちゃん騒ぎをすることもできます。

昔ある非常にお金持ちの子供が、
大学の一年生になりました。

昔は大学生の下宿といったら、
曲がりして、トイレは共同で、風呂はないので銭湯に行っていました。

ところがそんな時代なのに、その大学生は、
お祖母さんがお金持ちで、孫がかわいいので、
マンションを借りることができました。

さらに、親に内緒で銀行のキャッシュカードをくれました。
「ばあちゃん有難う」といって、
地方から東京に出てきました。
口座の残高は100万円でした。

4月に新入生で、色々とお金が必要になって
5万円下ろしました。

次に見たら、95万円ではなくて、
また残高100万円ありました。

おばあさんが通帳と印鑑もっていて孫にカードわたしてましたから
減ったの見たらちゃんと100万になるように補充してくれるのです。

常に小遣い100万もっている学生っているでしょうか?
お祖母さんが生きている限り、お金は無限です。
これはお金には困りません。

マンションで友達をよんでパーティもできます。
しかもイケメンでした。

その彼が仏教の話を聞いて、
「本当の生きる意味は今まで考えてこなかったけど大事な問題ですね」
と話を聞くようになりました。

ところが、地方から東京に出てきて、
色々楽しいことがあるので、1カ月くらいで
仏教を聞くのはやめて、遊び始めました。

最近どうなったのかなと心配して家に訪ねていくと、
彼がでてきて
「僕もういいです、楽しいですから」
といってもう聞かないと言っていました。

ところが半年後にひょっこりとまた仏教講座に来ました。

真っ暗な深刻な顔して
あのときの続きを聞かせて下さいと言います。
どうしたの?
と尋ねると白血病にかかってしまったそうです。

今から30何年前の白血病ならまず治りませんでした。
骨髄移植の技術が産まれたのは平成になってからです。
昭和の時代はまだほとんど治療法がありませんでした。

だから白血病宣告=死

まだまだ死なないという前提が崩れた。

もう死んでいかねばならないと思うと
楽しいことは1つもなかったことが
知らされたのです。

結構楽しいよというのは、妄想だった。
馬鹿だった。聞かせて下さい
とまた聞きはじめました。

それから彼は仏教講座の一番前で身じろぎせずに真剣に聞いていました。

友達と遊んでいた時には楽しいよと思っていました。
それが白血病にかかりました。
それによって妄念が破られたのです。

こんなことしている場合じゃない、
いつ死ぬかわからんとつきつけられて、
本当の生きる意味を知りたくなったのです。
大学1年ですよ。

死を目の前にして白血病になった
今までは自分はまだまだ死なないという
「常」というのが前提でした。
死なないなら友達と酒のんで旅行に行っても、
それが楽しく感じられました。
つかっても減らない金100万が
それまでは楽しかったのですが。

ところが、無常が知らされたのです。

今日死ぬか明日死ぬかわからんとなると楽しくない。
苦しい
この心境の変化で苦しみました。

だけど幸い彼は本当の生きる意味が仏教に教えられていることを
知っていました。

それが死の問題の解決ということも知っていたので、
思い出すことができました。
大変な幸せなことです。

2019年10月04日

無常と頭で分かっていても心では思えない件

人間には、ありのままのものが見られません。
これは、現代ではバイアスといわれていますが、
昔から分かっていることです。

例えば仏教では、すべての人は迷った考え方をしていると
教えられていますが、その最初にあげられるのが
ものごとがいつまでも続くと思っている、ということです。
これは妄念であり、
本当はこの世のすべては無常だと教えられています。

これを諸行無常といいます。

それを私たちは、常がある、変わらないものがある、
と思っています。

これは、現代物理学でも、この世を構成している
素粒子にさえも寿命があると
分かっていますので、間違いありません。

それにもかかわらず、自分の大切なものは壊れないし、
自分の大切な人とはずっと一緒にいられると思っています。
本当は無常なのに、常があると迷っているのです。

無常は日本人は平家物語で有名で親しまれています。
冒頭にこのようにあります。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

諸行無常の諸行とはすべてのものです。
無常は常がない。
この世の一切は必ず崩れるのだ、壊れるのだ
ということです。

ところがみな常がある、変わらないと思っています。
人間の命でいえば死なないと思っています。

「そんなこと思ってませんよ。
 いつか死ぬぐらい知ってますよ」
と思うかも知れません。

では明日死ぬと思えるでしょうか?

明日は死なないだろう。
死ぬと思ったらとても平気ではいられません。

じゃあ明日になったら?
また明日は死なないと思います。

じゃあその次は?
といっても明日も死なないと思います。
数学的帰納法から言って、永遠に死なないと思っています。

しかし必ず明日死ぬという日がやってきます。

明日死なないと思っている人が
明日死んだということが100%きます。

だから実はいつまでも死なないと思っています。

「この世は無常だ。
 いつか死ななねばならないと」いわれて
「分かってますよ」と言っていても、
心では全く反対の事を思っているのが私たちなのです。

タグ:無常 仏教
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2019年10月01日

13歳で白血病になりました。

今回は人生で最も大事な話となります。

あるところで
13歳の中学1年生が白血病になり、
余命あとわずかとなりました。
あと長く持っても約1週間の命です。

本人に余命は伝えていなかったが、本人ももうだめだと思っていました。
その中学生が何を訴えたかというと、
「僕死んだらどこ行くの?僕死んだらどこ行くの?暗い暗い」
と言い始めました。

これは非常に大事なことです。
それは、この子だけの問題でしょうか?
この子だけではありません。

これが人間の最後に直面する最大の問題です。
「僕死んだら〜暗い暗い」
これしかないと言っても言い過ぎではありません。

臨終に
「友達と鬼ごっこする予定だったけど」
「試験あるけど」
など問題になりません。
この暗い心を解決しないと絶対に幸福になれないのです。

この13歳の子供は、私たちの苦しみ悩みの根本原因を教えています。


西洋でもメメントモリと言われて死を見つめよといわれます。
仏教でも生死一如といわれますが、
死を見つめると、必ず死んだらどうなるか問題になります。

なぜなら、未来が暗いと今から暗いからです。

100%確実な未来である、死が暗かったら、
常にそこに近づいている人生も不安、取り除けません。
これを苦悩の根元です。

未来が暗いのに、今日だけ明るくなれ、というのは無理です。

仏教ブッダが45年間説かれて
一切経七千余巻がありますが、すべてこれに収まるのです。

2019年09月27日

自業自得と因果応報

不幸や災難が起きるのは、自分の行いの結果です。
行いといっても、3通りあります。
心と口と身体の行いです。
仏教では身口意の三業といいます。

体の行いとは、体で何かすることです。
今、ウェブを閲覧しているとかです。

口の行いは何かを話すことです。

心の行いとは、引き寄せの法則というのがありますが、
何かを思うことも、私達に運命となってきます。

心でどれだけのことを思っているか分かりません。
ちぇっとか、可哀想とか、いろいろなことを思っています。
それすべて運命を生み出すもとです。

どうしたら、部下がよくなってもらいたいと思っているのと
どうして、部下はこうなんだと思っているのと
職場の雰囲気は変わってきます。

自分のやった行いが、自分に運命となって返ってくることを
自業自得とか
因果応報といいます。

これは全部100%そうです。
自業自得ということとそうでないことがあるのではありません。
をついて信用を失うのは自業自得です。

あの人があんなことをいうからというのは
他因自果
と思っています。

みんな自分のせいでと思うことはほとんどなくて、
他人のせいだと思っています。

あれに関しては自業自得だけど、
これは違うなどと思っています。

ところが仏教を説かれたブッダは、
他因自果は絶対にないといわれています。

すべて自業自得であり、因果応報なのです。