本当の幸せに至る三段階を考えました。
1番目は美的実存です。
美的実存とは、要するに欲望を満たして幸せになろうとすることです。
2番目は倫理的実存です。
倫理的実存とは、欲望を抑えてなくして幸せになろうとすることです。
あなたの人生の目的はと聞かれて、お金です、名誉です、という人は偉いと思いません。
自分の欲望を満たすために生きるという人よりも、
人の幸せのために生きるという人のほうが立派だと思います。
ところが、他人の幸せのために善いことをやろうとすればするほど、
醜い心が出てくるのが知らされます。
ケーキ、子供にあげていると、当たり前になる。
そして、今年は去年よりも小さくなっていると思います。
そんなことを言われると、あげたくなくなります。
見返りを期待する心が知らされて来るのです。
やればやるほど、醜い心が見えてきます。
見返りを買うための商売のようなものです。
こういうのを偽善といいます。
欲望を満たすことも無くすこともできないとすれば、幸せになれません。
こうしてキルケゴールは行き詰まってしまいました。
ところが東洋では、この答えが昔から出ています。
では、どうすればいいかというと、そのままで幸せになるしかありません。
欲望があるままで幸せになれる世界があります。
これを煩悩即菩提といいます。
本当にそんな幸せになれるかなあと思います。
私がなれると言っても信じがたいと思いますので、
親鸞聖人はなれるといわれています。
渋柿の渋がそのまま甘みかな
という歌があります。
これは煩悩即菩提を教えるために
昔からいわれている歌です。
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