そこには事例を通して全人的医療を考えるということが書かれています。
Yさん22歳の事例です。
20で乳がんになり今22歳という大学4年の女子大生が
余命3ヶ月から6ヶ月と診断されました。
かわいそうです。
家族はお母さんも8年前に乳がん、
お父さんは4年前に肺がんで死んでいます。
弟は20歳で大学2年、
妹が18歳高校3年です。
お母さんも再発する可能性がある、闘病中の身です。
それなのにお母さん1人で大学2人だして1人受験生、
これも大変なことです。
そして長女が余命6ヶ月で医療費もかかります。
ところが、その22歳の女子大生が、
その時に一番問題になったのが、
死にゆく人の感じる4つの痛みの組み合わせの、
「トータルペイン」の中でも
4番目のスピリチュアルペインです。
これが一番深刻な悩みです。
それを非常にわかりやすく表現しています。
「私は何のために生まれてきたのだろう」
「私は何か罪を犯したので、こんな病気になったのだろうか」
「死んだらどうなるのだろうか」
「死んだ父と会うことができるのだろうか」
「何か信仰が必要なのだろうか」
これ以上生きる意味はあるのだろうかという
まさに人生の根源的な悩みです。
絶対死にたくないけど死なねばならないという現実に直面して、
何のために生まれてきたのだろう?
私が生まれてきたことに意味はあったのだろう?
いっそ死んだほうがましじゃないか?
死んだらどうなるのだろう?
死んだ父とあうことができるのか?
死のことばっかりです。
それほど死というのは大問題であり、
このこと1つはっきりさせるのが
人生で最も大事なことです。
いま医学部ではただ肉体だけ治すのでなく
こういう精神的な苦しみに
どう対処するかを学んでいます。
今回の記事は、そういう大きな問題です。
ところが、死にゆくことを自覚できない間は、
そういう大きな問題を大きな問題と思えない妄想をみな持っているぞと
ブッダは2600年前にハッキリ説かれています。
みないつか死なねばならないと知っているといいながら
今日死ぬなんて誰も思っていない。
だから人生結構楽しいよと妄念を持っています。
それを臨終に気づいては手遅れだから、
早く気づきなさい。
ブッダは、私たちの考え方が
ひっくり返っていることに気づかせようとしているのです。
死というと暗いと思いますが、必ず直面する現実です。
逃げることができないものであれば、現実を直視して、
それを乗り越えることが大切です。
乗り越える事ができない人が、
現実逃避していたずらに暗く沈むのです。
この死の問題と向き合って
それを今日乗り越えることができると
いわれている身近な歌に、いろは歌もあります。
有為の奥山今日こえて
浅き夢みし酔いもせず
とあります。
この苦しみ悩みの人生が今晩死んでも後悔はないと
はっきりした人生になるというのがいろは歌です。
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