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第170回 千代の松原 [2016/05/14 12:58]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年七月二十日、辻と野枝は婚姻届を出した。
七月二十四日朝、野枝と辻と一(まこと)は今宿に出発した。
この帰郷は出産のためで、十二月初旬まで今宿に滞在した。
野枝が次男・流二を出産したのは十一月四日だった。
今月号から日月社の安藤枯山(こざん)氏の御好意で私の留守中丈(だ)け雑務をとつて下さることになりました。
多事ながら面倒なことをお引きうけ下すつた御厚意を深..
第155回 婦人の選挙運動 [2016/05/09 15:44]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。
●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。
そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準備が出来てゐませんから来月にしやうと思つてゐます。
●平塚さんは今長篇執筆中です。
いよ/\発表される日のはやく来るのを待ちます。
●かつちやんは寺島村の白(..
第148回 新貞操論 [2016/05/07 21:03]
文●ツルシカズヒコ
『新公論』四月号が「性欲問題(其壱)新貞操論」を特集したが、大杉は「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」という原稿を書いた。
大杉は貞操に関する持論を展開、生田花世、原田皐月、野枝、らいてうらの貞操論に参入したが、それは野枝に話しかけるスタイルの公開状だった。
野枝さん。
僕はまだ、あなたとお互いに友人とよび得るほどに、少なくとも外的には親しくなっていませぬ。
も..
第147回『三太郎の日記』 [2016/05/07 19:44]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五(大正四)年三月号「編輯室より」が、野枝の『青鞜』二代目編集長としての孤軍奮闘、いや悪戦苦闘を伝えている。
●毎月校正を済ますとほつとしますけれども直ぐ後からいら/\して来ます。何故こう引きしまつたものが出来ないのだらうと情なくなつてしまひます。自分の無能が悲しくなります。でも兎(と)に角(かく)出来る丈よくしたいと努力はしてゐます。二カ月三カ月と進んでゆくにしたがつてだん/\苦しくなつて来ます..
第51回 伊香保 [2016/03/28 15:43]
文●ツルシカズヒコ
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p397)によれば、一九一二(大正元)年十月十七日、『青鞜』一周年記念会が鴬谷の「伊香保」で開かれた。
「伊香保」は当時、文人墨客がよく利用する会席料理屋として知られ、常連だった尾竹竹坡の紹介で会場が「伊香保」に決まった。
らいてう、瀬沼夏葉、生田花世、紅吉、神近市子などが出席した。
らいてうはこの席で女子英学塾三年に在学中の神近市子と初めて会っ..
第41回 同性愛 [2016/03/23 10:00]
文●ツルシカズヒコ
野枝が円窓のあるらいてうの書斎を初めて訪れた日の夜、青鞜社員の西崎花世が友達ふたりを連れてやってきた。
ひとりは西崎が下宿している家の主婦で、もうひとりはやはり社員の小笠原貞だった。
『元始、女性は太陽であった(下)』(p397~402)によれば、らいてうが西崎に初めて会ったのは一九一二(大正元)年十月十七日、「伊香保」で開催した『青鞜』一周年記念の集まりだった。
鴬谷の「伊香保」は当時、会席料理の..
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