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第239回 平塚明子論 [2016/06/04 16:09]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『新日本』四月号には「平塚明子論」を書いた。
らいてうは「最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝある」存在だった。
野枝はまず冒頭に自分とらいてうとの関係を書いた。
私は学校を出た許りの十八歳の秋から三四年の間ずつと氏の周囲にあつた、氏に導かれ教へられて来た、私が今日多少とも物を観、一と通り物の道理を考へる事が出来るやうになつたのも氏に負ふ処が少くない。
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第109回 猫板 [2016/04/22 17:17]
文●ツルシカズヒコ
野枝が訳した『婦人解放の悲劇』に鋭敏に反応したのが大杉だった。
大杉はまず女子参政権運動者とエマ・ゴールドマンとの違いをこう指摘している。
女子参政権運動者等は、在来の男子の所謂政治的仕事を人間必須の仕事と認めて、女子も亦男子と同じく此仕事に与る事を要求する。
然るにゴルドマンは、此在来の男子の所謂政治的仕事を人間の仕事として否認し、従つて男子も女子も共に此の仕事の破壊に与らなければならぬ事を..
第108回 『婦人解放の悲劇』 [2016/04/22 16:07]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。
……実におはづかしいものだ。
私はあのまゝでは発表したくなかつた。
併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎかけたのだけれどもどうしても気持がはぐれてゐて書けないので、胡麻化してしまつた。
(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_..
第104回 サアカスティック [2016/04/20 22:14]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年の秋が深まるにつれ、野上弥生子と野枝の親交も深まりを増していった。
野枝はこう記している。
その頃、私と野上彌生子さんは疎(まばら)な生籬(いけがき)を一重隔てた隣合はせに住んでゐた。
彌生子さんはソニヤ、コヴアレフスキイの自伝を訳してゐる最中であつた。
私達二人は彌生子さんの日当りのいゝ書斎で、又は垣根をへだてゝ朝夕の散歩の道でよく種々なことについて話しあつた。
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