2012年07月15日
イジメは楽しい
まぁ、完全に釣りの題名ですね(笑)。イジメられっ子として、そして自覚の無いままイジメをしていると言われた事のある人間として、それなりにマジメに考えているつもりです(笑)。
まずイジメは無くなるか?と聞かれれば「No!」と即答しますね。だって「イジメ」は人の楽しみでもありますから。
ただ、誤解がないように書いておきますが、これは程度の問題。つまりはどこからがイジメとするかのラインで、この基準がぶっ壊れたバカが他人を自殺に追い込むほどのイジメをしますが、そこまでいかず、自分がイジメをしている事に気付いていない場合すらあります。
そして、なんでそんな事をするのか?といえば、「楽しいから」です。これ、「やる側」からすれば、例外が無いと言っても過言ではありません。事実としてあるこのことを見ないフリをする偽善者ばかりでは、イジメは減らせません。
もし「イジメは楽しい」「これはほぼ全員に言える」に反論する人がいたとしたらおたずねします。あなたは今までに「いたずら」をしたことがありませんか?他人を「ひやかし」たり「茶化す」「からかう」「おちょくる」などの経験はありませんか?これらは程度が違いますが、形はイジメとまったく同じです。
(立場や経験、権力やそのもの腕力などなどの)力を持った人間が持っていない人間を何らかの手段により困った状況に追い込むことで困惑する様子を見て楽しむ。しかし、やった方が「からかい」「おちょくり」などのつもりでも、される方にしてみれば「イジメ」ってパターンはいくらでもあります。
あらためて自分はイジメをしないし、不快にしか思わないという人。現在のテレビのバラエティ番組をご覧ください。まず例外なく「力を持った人間が…困惑する様子を見る」パターンばかり。あなたが不快に思っても、多くの人、そして番組を作る人がそれを面白いと思ってるからこそ、こんな状況になっています。
こう言う人間の内面にある「嗜虐性」を根絶することは不可能。これを目指すってのは単なる理想論で、まったく建設的ではありません。それに本気でこれをやると、逆に人権を侵害することにもなりかねない。だからこそ、冒頭で書いた「基準がぶっ壊れたバカ」を作らないようにするしかない。そして誤解を恐れず書くと、基準を下げさせることにより、これに達しない「イジメ未満」を容認するしかない。
子供のころ、親や年上の兄弟から大事にしているオモチャを隠されたり、ちょっとした言い間違いをはやし立てられたりした覚えは誰にでもあるはず。もちろん、これらは「いたずら」や「からかい」の範疇ですが、やられた方には、そして心の傷として残っているものなどは「虐待」以外の何ものでもありません。
かと言って、これを何らかの強制力を持ってやめさせるか、となると無理な話。
子供のころなら体力などで差がつくのは仕方ありませんが、この基準(この範囲を超えたらイジメとの判断)を共有することが私の頭で考え付く唯一の方法。これはイジメられる側にも「この程度はイジメとは言えないからガマンしろ」と言う厳しい要求をする事にもなりかねませんが、もちろんその数百倍「そこまで行ったらイジメだ!」といじめる側に警告することが前提。
イジメに対する耐性が低い人間がいたとして、周りの悪ふざけがイジメと受け取られれば「アイツ相手に何やってもイジメって取られる(笑)」って言われ始めたら、今度は「無視」と言うイジメが始まるのは火を見るより明らか。
最後にもう一度、現時点の私の考えをまとめると…理想論やキレイ事でイジメを無くすと言うよりも、誰もがイジメを楽しむ要素を持ち合わせているんで根絶は不可能、ただし減らす努力をすべきと認識すべきでは?と言うモノ。
次はイジメられる側について書きたいと思いますが、これもデリケートな問題なのでちょっと時間をもらうかも。
{a8.net http://books.livedoor.com/item/1905270}
まずイジメは無くなるか?と聞かれれば「No!」と即答しますね。だって「イジメ」は人の楽しみでもありますから。
ただ、誤解がないように書いておきますが、これは程度の問題。つまりはどこからがイジメとするかのラインで、この基準がぶっ壊れたバカが他人を自殺に追い込むほどのイジメをしますが、そこまでいかず、自分がイジメをしている事に気付いていない場合すらあります。
そして、なんでそんな事をするのか?といえば、「楽しいから」です。これ、「やる側」からすれば、例外が無いと言っても過言ではありません。事実としてあるこのことを見ないフリをする偽善者ばかりでは、イジメは減らせません。
もし「イジメは楽しい」「これはほぼ全員に言える」に反論する人がいたとしたらおたずねします。あなたは今までに「いたずら」をしたことがありませんか?他人を「ひやかし」たり「茶化す」「からかう」「おちょくる」などの経験はありませんか?これらは程度が違いますが、形はイジメとまったく同じです。
(立場や経験、権力やそのもの腕力などなどの)力を持った人間が持っていない人間を何らかの手段により困った状況に追い込むことで困惑する様子を見て楽しむ。しかし、やった方が「からかい」「おちょくり」などのつもりでも、される方にしてみれば「イジメ」ってパターンはいくらでもあります。
あらためて自分はイジメをしないし、不快にしか思わないという人。現在のテレビのバラエティ番組をご覧ください。まず例外なく「力を持った人間が…困惑する様子を見る」パターンばかり。あなたが不快に思っても、多くの人、そして番組を作る人がそれを面白いと思ってるからこそ、こんな状況になっています。
こう言う人間の内面にある「嗜虐性」を根絶することは不可能。これを目指すってのは単なる理想論で、まったく建設的ではありません。それに本気でこれをやると、逆に人権を侵害することにもなりかねない。だからこそ、冒頭で書いた「基準がぶっ壊れたバカ」を作らないようにするしかない。そして誤解を恐れず書くと、基準を下げさせることにより、これに達しない「イジメ未満」を容認するしかない。
子供のころ、親や年上の兄弟から大事にしているオモチャを隠されたり、ちょっとした言い間違いをはやし立てられたりした覚えは誰にでもあるはず。もちろん、これらは「いたずら」や「からかい」の範疇ですが、やられた方には、そして心の傷として残っているものなどは「虐待」以外の何ものでもありません。
かと言って、これを何らかの強制力を持ってやめさせるか、となると無理な話。
子供のころなら体力などで差がつくのは仕方ありませんが、この基準(この範囲を超えたらイジメとの判断)を共有することが私の頭で考え付く唯一の方法。これはイジメられる側にも「この程度はイジメとは言えないからガマンしろ」と言う厳しい要求をする事にもなりかねませんが、もちろんその数百倍「そこまで行ったらイジメだ!」といじめる側に警告することが前提。
イジメに対する耐性が低い人間がいたとして、周りの悪ふざけがイジメと受け取られれば「アイツ相手に何やってもイジメって取られる(笑)」って言われ始めたら、今度は「無視」と言うイジメが始まるのは火を見るより明らか。
最後にもう一度、現時点の私の考えをまとめると…理想論やキレイ事でイジメを無くすと言うよりも、誰もがイジメを楽しむ要素を持ち合わせているんで根絶は不可能、ただし減らす努力をすべきと認識すべきでは?と言うモノ。
次はイジメられる側について書きたいと思いますが、これもデリケートな問題なのでちょっと時間をもらうかも。
{a8.net http://books.livedoor.com/item/1905270}
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