今回は、正規雇用と言う道を捨てて
非正規雇用で生きていくための
ポイントみたいなものを語ります。
僕は30歳で、東京からUターンして
来ました。最初に勤めた大手電機
メーカーの子会社を辞めて。
IT業界でしたが、実質戦力外となり
リストラに近いものでした。
詳しくはカテゴリ「番外編〜僕が
警備員をはじめた理由」をどうぞ。
同じような仕事は地元にわずかばかり
ありましたが、怖くて踏み出せない。
そうするうちに時間だけ経っていきます。
ニートに近い状態になってしまっては
もう正社員の道はありません。どんな
仕事をしたらいいかすら分からない。
そんな時、地場警備会社A社が
緊急雇用対策事業として、地元市の
駐輪場巡回業務を募集していました。
藁にもすがる思いで応募。これが
きっかけとなってA社に入ったのです。
最初は交通誘導警備に従事しました。
A社では、正社員扱いでした。
しかし、日給月給制で当時有給もなし。
ボーナスは寸志程度。
社会保険は付いていたので、アルバイト
よりは上ですが、非正規雇用並みの待遇。
入社して約半年後、念願の施設警備である
地元市役所警備に異動します。
年収は約200万。市役所の非正規職員
より、時給レベルではかなり低い。
それもそうで、僕らが委託されている業務
は、嘱託職員を我々業者に置き換えたもの。
すなわち、僕がUターンしてきてから
ずっと非正規雇用という事になります。
僕が勤めた警備会社は、いずれも建前上
正社員となっていました。
だけれども1年単位の雇用だったり、
年収200万程度だったり、入札に負け
れば、事実上の失業だったり。
雇用の不安定さで言えば、正規雇用に
遠く及ばない。地場警備会社の待遇と
しては標準相場だったでしょう。
警備員を辞めてからも、非正規雇用。
待遇的には警備時代より改善しました。
こうやって20年以上、非正規雇用と
いう稼業をやっていると、要領のような
ものが見えてきます。これがテーマ。
まず、正規雇用に保証はないこと。
これは、最初に勤めた東京のIT企業
で得た知見から始まりました。
もっと言えば、正社員というものは
肩書に過ぎず、安心のパスポートでは
ない。
ブラック企業は正社員の価値を暴落させ
ました。正社員と責任や業務は同じで、
待遇は非正規並みの義務だけ正社員も。
とは言え、非正規雇用はもっと不安定で
弱い立場です。この環境で生きていくには
どうすればいいのでしょうか。
まず、労働法に明るくなり
支援制度をうまく利用すること。
僕が職業訓練を詳しく知ったのは、
警備に就業してからでした。
その他会社都合退職や再就職手当の
条件など、労働者をサポートする
制度に詳しくなる。
カテゴリ「警備員を辞めたい人へ」
も参考に。
そして、警備以外の仕事に就いても
そうなのですが、労働組合のしっかり
した職場で働く事。御用組合ではNG。
非正規雇用のほとんどは、3年や5年
単位で雇止めの危機があります。1年
単位でもあるでしょう。
非正規雇用の悩みの多くは、雇用継続。
労働組合がしっかりしていれば、雇用
の危機に会った時、相談に乗ってくれ
ます。
僕の知っているケースでは、ある職場
から非正規雇用が減らされ雇止めになる
所を、別の職場を受けるよう紹介した。
これは組合員だからこそできるのです。
非組合員からも相談はあるそうですが、
組合員の救済が優先されます。
労働法や制度に詳しくなり、労働組合が
しっかりした職場で働く。最低限の防御
と言えるでしょう。
弱い立場だからこそ、団結する必要が
あります。そこで仲間に恵まれれば
さらに良い。
上司に言えないような事も、組合を
通じて言えるのです。これは大きな
メリットですね。
理不尽な事をされても、相談する相手が
いないのは、精神衛生上よろしくない。
ただ、それでも正規雇用の安定には
及びません。安住の地はないと思った
方がいい。
そんな環境だからこそ、新たな生き方の
実験を続ける。副業や新たな新天地を
見つける旅です。
ある意味、非正規雇用で生きていく
のは、自分探しの旅なのです。
不安定だからこそ、次の食い扶持を
捜す旅を続ける。その過程で得られた
知識や人脈という武器で勝負する。
肝要なのは、お世話になった人や組織
への感謝や義理を忘れない、ということ。
僕も偉そうに言えた口ではありませんが。
弱い立場ほど、人と人との繋がりで
生き延びる術が大事になってきます。
自分の知らないところで誰かが動いて
助かっていた、という恩もあるのです。
こいつは恩を仇で返す人間だ、と
思われてはその後の人生、おぼつかなく
なる可能性があります。
ミイダスで、探す転職から探される転職へ!
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image