日本のお正月とは違う!ウズベキスタンの新年の迎え方
ウズベキスタンの新年のお祝いは12月31日からはじまる。18時半頃、客間にお正月料理を運んで夕食がはじまった。
まずはウォッカで乾杯。ウズベキスタンはムスリムが多いが、男性はお酒を良く飲む。ただ、お酒を飲む女性は見たことがなかったが、カルシの家の母親は、「ちょっとだけね」と言いながら、ワインやウォッカを何杯もおかわりしていた。後で別のウズベク人女性に聞いた話によると、ウズベキスタンでは若い女性はお酒を飲まないが、中年の女性の中には飲む人がいるそうだ。ただ、お酒を飲むことは罪だとされているので、飲むのはお祝い事がある時や、人目につかない家にいる時だけのようだ。しかし最近は、人前でもたくさんお酒を飲んだり、たばこを吸う女性がどんどん増えてきているらしい。
10歳の娘が「私もビール飲むー」と言って、コップに半分入ったビールを飲んでいた。「ウズベキスタンでは何歳からお酒を飲んでいいの?」と聞いたら、「特に法律で決まってないよー、皆好きに飲んでる」と言われた。かなりゆるいようだ。
「アサルホンもちょっとだけウォッカ飲もうよ」と勧められ、本当はウォッカの味があまり好きじゃないのだが付き合いのため、「じゃあ、ちょっとだけ」と言うと、ドボドボとかなりの量を注がれた。乾杯してから飲みほすと、有無を言わずまた追加で注がれた。ただ飲むだけならいいのだが、乾杯の度に「私たちの幸せを願って乾杯!」とか「私たちの友情に乾杯!」とか、何か言葉を添えなくてはいけないから、それが少し面倒臭い。「今度はアサルホンが言う番だよ」と言うので、何か気の利いた言葉を考えようとしたが、何度も乾杯しているうちに自分のレパートリーがなくなってきていたので、「新年に乾杯!」と言ってウォッカを飲んだ。
カルシの正月料理は肉ばかりだった。とりあえずサラダから食べたいところだが、「シャシリクは冷めたらおいしくないから」と言われたため、前菜にシャシリク(ケバブ)を食べる。炭火で焼いた肉はやっぱり格別においしい。焼いた羊の脂肪の部分は、ぶよぶよしているのかなぁ、油っこいのかなぁ、と思ったが全く想像とは違う食感で、油っこさがなく、まるで柔らかい肉を食べているかのようだった。
その後、母親が七面鳥を切り分けはじめた。すごい量の肉をお皿に盛られ、肉を食べ疲れた私は口直しにサラダを食べると、オリヴィエ・サラダもフランス・サラダもマヨネーズと燻製チーズが入っているから、とても重い。あまり口直しにはならなかった。ノン(ナンブレッド)とウォッカで口直しをした。カルシの家族は肉をむしゃむしゃ食べ続けていた。
もう何も食べられない程お腹いっぱいになったところで、家族がフルーツを切りはじめた。「オリン(取って下さい)」とフルーツを勧められたので、「もう食べられません」と言うと、「フルーツは消化を助けるから、食べた方がいいよ」と言われて、フルーツをつまんだら、不思議なことに、お腹が苦しい感じがなくなっていった。
皆お腹いっぱいになると、年末のテレビ番組を見始めた。リモコンでチャンネルを回すと、2014年の優秀アーティストの受賞式、コメディー番組、音楽番組などが放送されていたが、父親がコメディー番組でリモコンをとめた。ウズベク語でなにやら漫才が行われているようだったが、何を言っているのか分からない。家族みんなが「わはは!」と笑ったが、何がおかしいのか分からず、完全にアウェーの状況に陥った。私にとって拷問のような時間だった。
「あ、サンタさんが来たー」と言って、一番下の娘が外に駆け出して行ったかと思ったら、サンタクロースではなく、次女のクラスメートがお客として遊びに来た。ウズベキスタンでは、友達や親戚などが12月31日に遊びに来るのが普通みたいだ。これはロシアとも共通している。ウズベク語でなにやら世間話をした後、12時前にはそそくさと帰って行った。
しばらくすると父親がチャンネルを変えた。ウズベキスタンの大統領の新年の挨拶がロシア語で流れていた。助かった。これでようやく意味の分からない言語を聞き続けることから解放される!その後すぐに、ウズベク語版の挨拶が流れた。
ロシアでも大統領の新年の挨拶が31日の夜に放送されるが、ウズベキスタンと違うのは、大統領本人が演説するところ。ウズベキスタンではアナウンサーが大統領の挨拶文を代読していた。
ロシアでは大統領の挨拶が終わって、12時の鐘と同時にシャンパンを開けるのだが、ウズベキスタンも同じ祝い方をするようだ。ロシアの影響でお正月を祝うようになっただけあって、共通する部分が多い。ただ、12時まで待ちきれなかった父親が「ちょっとだけ、ちょっとだけ」と言って、シャンパンの栓をゆるめはじめた。
すると、ポン!シュワシュワシュワ…12時前にシャンパンが開いてしまった。母親と娘たちから大ブーイングがおこった。
仕方がないので、コップにシャンパンを注いで12時まで待つことにした。あまりにも大統領の挨拶文が長いので、子供たちがまだー?早くー!としびれをきらしている。挨拶が終わると、11時59分。12時までの1分間をカウントする時計が表示される。
あと30秒くらい。
そして、12時!
乾杯!あけましておめでとう!Yangi Yilingiz Bilan!!
この後、私はすぐに寝たが、子供たちは夜遅くまで起きていた。この日だけはどんなに遅くまで起きてても、親から怒られない特別な日だからだ。
今回カルシの家族と年越をすることができて、一生の思い出となる貴重な経験をすることができた。カルシの家族は本当に温かくて、「アサルホンは私たちの6番目の娘だよ。またいつでも来てね。」と言ってくれたのが、心にじーんときた。
来週はウズベキスタンの新年の街並み、バザールについて紹介予定。
【関連記事】
ウズベキスタンのお正月料理ってどんなの?
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3180761
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。