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2019年09月10日

カレル・ブリュックネル健在(九月八日)



 シグマ・オロモウツの創立100周年記念試合は、出場が危ぶまれていたパベル・ネドビェットもイタリアから駆けつけてくれたし、来られなかったペトル・チェフやトマーシュ・ロシツキーはビデオでメッセージを送ってくれたし、盛大な盛り上がりだったようだ。2004年に代表のコーチを務めていた現監督のシルハビーのメッセージもあったというから、土曜日のコソボでの試合に勝っていれば更なる盛り上がりが期待できたのに……。

 たかだか地方都市のチームに過ぎないシグマ・オロモウツの記念試合に、これだけの選手があつまり、メッセージを寄せてくれたのは、元監督のブリュックネルの存在なしには考えられない。日本でも、10年ぐらい前まではチェコの誇る名将、知将なんてことでヨーロッパのサッカーを追いかけている人の間では有名だったけど、オーストリアの代表監督を引いて以後は、アドバイザーを務めるぐらいであまり表に出てきていないから、すでに忘れられた存在になっているだろう。
 しかし、チェコでは今でも、過去最強のチームというとブリュックネルが作り上げた2004年のヨーロッパ選手権のチームであり、そこから2006年のワールドカップぐらいまでが全盛期として、いまだに記憶に強く残っている。だからブリュックネル以後の代表の体たらくがしばしば批判の対象になって、あのころとは時代が違うんだなんて言葉で総括されてしまうこともある。

 ブリュックネルは選手としては、まだ下部リーグにいた頃のオロモウツで活躍し、1974年からは監督兼任の選手という形で指導を始め、チームを初めて3部リーグに昇格させた。その後も断続的にオロモウツの監督を務め、1982年に初めて一部リーグに昇格したときは別の監督だったけど、1年で降格したあと、84年に二度目の昇格を果たしたときの監督だった。それから2014年に二部に降格するまでは、ずっと一部にいつづけたし、オロモウツのサッカーの基礎を築いた監督だといっても過言ではない。
 90年代半ばに最後に復帰したときには。1995/96年のシーズンに一部で準優勝というシグマ100年の歴史の中で最高の成績を残している。その前には、90/91年、91/92年の2シーズンを連続で3位で終え、翌年のUEFAカップでは、91/92年は準々決勝まで進出して、レアル・マドリッド相手にホームで1−1の引き分け、マドリッドで0−1で負けて敗退。92/93年は3回戦で、ユベントスにホームで1−2と健闘したものの、トリノでは0−5で敗退。オロモウツが予選はともかくとして、ヨーロッパのカップ戦の本選で勝ち進んだのは、ブリュックネルに率いられたこの2シーズンしかないのである。

 その後、U21代表の監督に就任し、2000年のヨーロッパ選手権では準優勝、2002年には優勝という結果を出し、2002年のワールドカップ予選で敗退が決まったあと、前任のホバネツの後を受けて、A代表の監督に就任。そして優秀な選手はいるけどチームに成りきっていなかった代表を立て直して、最強チームに育て上げたのである。あの時代は誰が監督をやっても、ブリュックネルと同じぐらいの結果を出せたはずだという人もいるのだけど、ブリュックネル前後の監督の成績を考えると、大間違いである。

 ところで、今回の100周年記念試合には、オロモウツのサッカーの恩人であるブリュックネルが今年の11月に80歳を迎えるお祝いも兼ねていた。これもまた、元代表の選手たちがオロモウツまで来てくれた理由になっている。シグマからのお祝いと感謝の印として、アンドル・スタジアムの観客席の一部にブリュックネルの名前が付けられることになった。
 これに対する反応が、ひねくれ爺のブリュックネルらしくてファンとしては嬉しかった。「誕生日は11月なのに、今から誕生日おめでとうなんて言われてもなあ」とか、「こういう記念ってのは50周年とか100周年とかだけやればいんだよ。80なんて中途半端な数字で」なんてことを、例によって不機嫌そうな口調でコメントしていた。そこで横からシグマの監督を務めたウリチニーが、「こんなこと言ってるけど、俺は目に涙ためてるの見たぞ」とコメント。感情を見せるのを嫌う人だからなあ。

 試合について楽しんだかと質問されたのには、「俺は試合を楽しむというのが嫌いなんだ。俺は勝ちたいんだ。勝つために試合をするんだ」と言って、日本でも信奉者の多い試合を楽しむという考えを切って捨てていた。この負けず嫌いについてはネドビェットも、ハーフタイムのミーティング中に不甲斐ないプレーに対する怒りのあまり、手に持っていたペンを選手たちに向かって投げつることもあったなんて懐かしそうに回想していた。
 試合のほうは、本気で勝ちに行ったブリュックネル率いる代表が、9−2とこの手の記念試合では珍しく大勝。コレルが4点取ったのだけど、試合中にウリチニーがブリュックネルのところに来て、手がつけられないからコレルを引っ込めてくれないかなんて相談したとか、ブリュックネルはそれを拒否して、そんなこと言うからお前は駄目なんだと言い返したとか、この爺さんたち二人、仲がいいんだなあと思わされる話も聞こえてきた。
 監督稼業を振り返って、監督というのは年をとればとるほど、経験を積めば積むほど能力が上がるものだなんて言っていた。60台で監督やってたころもまだまだガキだったというから、もう一回監督やってる雄姿を見たいと思ってしまった。さすがに健康上の問題もあるから難しいだろうけど。

 実はこの100周年記念試合を行なうにあたって、最大の難関がブリュックネルだったらしい。ブリュックネルなしには成り立たない企画なのに、なかなかうんと言ってくれなくてというのは、自らも出場したロゼフナルの証言である。そうなると、次は、本人も記念になると言っている100周年、ブリュックネルの百歳を祝う記念試合だ。こっちがそこまで生きていられるかが不安だけど。
2019年9月8日24時30分。











2019年09月09日

何書こう?(九月七日)



 当初の予定では、サッカーのチェコ代表が、ヨーロッパ選手権の予選で、コソボ代表に勝ったという話を書くつもりだったのだが、予想外の敗戦を喫してしまった。こうなると、次のチェルナー・ホラじゃなくてモンテネグロでの試合もまとめて書いた方がよさそうである。負け試合だと書くことあまりないし。

 スポーツつながりで行けば、中国で行なわれているバスケットの世界選手権では、チェコ代表が頑張っているらしい。一次グループの初戦でアメリカに負けたあと、二試合目で日本代表と試合したときには、一番有名らしい日本選手のインタビューもニュースで流れた。当然チェコが勝って、次のステージへ進む権利のかかった最終戦のトルコにも勝って、二次グループに進出。その初戦でブラジルにも勝って、次のギリシャとの試合に勝てば、準々決勝進出である。決して前評判は高かったといえないのに、格上相手にも勝っているのは大称賛されているのだが、バスケットはよくわからないのである。

 ちょっと前の話だが、柔道のあれは世界選手権だったのかな、日本で開かれた大会で、リオオリンピックで優勝したルカーシュ・クルパーレクが、階級は変わっていたと思うけれども、優勝して大ニュースになっていた。事前に強化合宿を行なった別府の人たちがわざわざ応援に来てくれたなんてちょっといい話もあった。柔道も、JUDOになってしまって、試合見てても判定が理解できないことも多いし、それで一本かけるほどの知識もない。せいぜいチェコテレビで実況する人の技の名前の言い方が、「トモイナーグ」とか、微妙に変だということぐらいしか書けない。

 それで、仕方がないので、昨日の記事で書いた週刊誌的ないい加減さ、怪しさについて書いておく。そうだ、書き落としたことがあったんだった。大学別就職先ランキングの大学が提供する情報はどこまで信じられるのだろう。大学が虚偽の情報を出していたとしても、誰も確認できないんじゃなかろうか。それで、この件で不満を述べていた大学関係者には、でたらめな情報出せば? と言ったことがあるのだけど、なかなか難しいようである。いっそ、不満を持っている大学がいくつか連合して掲載拒否とかやると面白そうなんだけどねえ。

 それはともかく、こんな記事を発見した。教育実習に来た学生のありえない行動をあげつらっているのだが、「職場のモンスター大学生」という近年の大学生の非常識振りを批判するシリーズの一つのようである。「biz SPA! フレッシュ」という「週刊SPA!」が運営しているサイトの記事である。この記事、何も考えずに読む分には十分に面白いし、よくできた記事だと思う。ただ、どうにもこうにも週刊誌的なのである。
 記事では実習に来た私立大学の学生の行動が「あきれた行動」だと批判されているが、自分の教育実習の経験から言うと、この記事の信憑性はかなり怪しい。仮にこの記事に登場する日本史の先生の証言が事実だとしたら、あきれるべきは、この先生に対してである。こんな教育実習の指導教員なんてありえないだろう。

 まず、最初の証言の中にある、「授業の準備もしっかりやっているように見えました」というのが、非常識である。教育実習では、実習生は担当する授業に関して、一回一回指導案というものを書かされる。これは、50分の授業時間のタイムスケジュールのようなもので、何を、どの順番で、どのぐらいの時間をかけて教えるのか、かなり細かく書かなければならない。指導の教員は授業の前にそれをチェックして問題があれば、指摘して修正させなければならない。これが教育実習における授業の準備で、評価の対象の一つとなっている。
 それなのに、「授業の準備もしっかりやっているように見えました」というのでは、指導案のチェックもせずに、授業の様子だけをみて実習生を評価していることになる。これでは指導教員の怠慢を指摘されても仕方があるまい。正直な話、塾などで教えた経験のある学生であれば、教科書出版社がアンチョコを提供していることもあって、準備なんかしなくてもそれなりのレベルの授業はできる。指導案を書かせるのには、そういうスレた実習生達に、準備を強要するという意味もあるのだと、実習を受けた際には感じた。今ではPCで作れるから、手間も減っているだろうけど、二週間ほぼ毎日、指導案を三枚書くだけで数時間時間を取られたものである。

 授業がない時間に実習生がやることについても、「次の授業に向けた準備など」って、一番大事な指導教員との事前の打ち合わせと、授業後の問題点の指摘が書かれていないのはどういうことだろう。特に実習の初めのころは、指導案を元に打ち合わせ、指導が行なわれ、授業後には指導案どおりに授業ができたかや、授業の問題点の指摘のための反省会めいたことをする。場合によっては板書のやり方についての指導があったり、授業前に板書案を見てもらうこともある。
 それに、他の先生たちの授業の見学というのも重要な要素の一つで、実習生の授業を見に行くこともあれば、実習生の始動をしていない先生の授業を見に行くこともあった。実習生同士で問題点の指摘をすることもあったし、現役の先生に質問をしてアドバイスをもらうなんてこともあったから、授業のない時間に、「近所のコンビニへ」行くなんて時間は取れないと思うのだけど。事実だとすれば、自分の授業のない時間に何をするのか指導されていなかったのが問題ではないのか。我々のときは、ほかの先生の授業を見に行くように指導されたのは、最初ではなくて多少慣れて余裕が出てきたころだったと記憶する。

 事実だとして考えると、最悪なのは、最後の学生に対する評価の部分で、記事としては、いい話っぽくうまく落とせているけれども、これは大きな問題である。指導教員が実習生に温情をかけて正しい評価を下さなかったということになるのだから、それを自ら認めてしまう先生ってのもなあ。これもまた記事の信憑性を疑う理由のひとつである。
 ただし、この記事がでたらめだといって非難する気はまったくない。週刊誌の記事なんてのは、内容の正確さよりも読者を楽しませることを目的としているのだから、個人のプライバシーや人権にかかわるもの以外は、こんなんでいいのである。実際に起こったかどうかはどうでもよく、読んでありえると思われるのが大切なのである。
2019年9月7日24時30分。











posted by olomoučan at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年09月08日

こんなもの要らない(九月六日)



 小学館の週刊誌「週刊ポスト」が、「韓国なんて要らない」という記事だか、特集だかを誌面に乗せたせいであちこちから非難を浴びて、謝罪に追い込まれたらしい。こういう騒ぎが起こるたびに思うのだが、たかだか一雑誌の内容に大騒ぎし過ぎじゃないか。仮にたかだか一週刊誌のせいで、日本中に反韓国感情が高まる恐れがあると考えているのなら、それは読者を馬鹿にし過ぎというものである。

 そもそも、雑誌の記事、特に週刊誌の記事を読んで完全に真に受けてしまう人などいるまい。独断と偏見、予断と憶測、我田引水、針小棒大などに満ち満ちているのが週刊誌の記事であって、見出しに惹かれて読んでみたら金と時間の無駄だったという経験のない人は、読まないという人を除けば、皆無であろう。そういう虚と実の境目の虚の部分で、あることないこと書き散らすのが週刊誌で、読者の側もでたらめさの中に、たまに多少の事実が混じっているのまで楽しむというのが、日本の誇る似非ジャーナリズム、週刊誌文化というものだ。
 出版社系であれ新聞社系であれ、週刊誌の「取材」というものがいい加減にすぎることについては、すでに森雅裕が乱歩賞受賞直後に痛烈に批判している。事実誤認を指摘しても修正も謝罪もせず、雑誌に取り上げられたのだから喜べ的な対応だったらしい。その不満を受賞パーティーなどでぶちまけた結果、あちこちの出版社から嫌われて、後に干される原因の一つになったというのは、森雅裕読者ならよく知っている話である。

 大学関係者が、しばしば不満を漏らすのが、どこかの週刊誌が売り物にしている大学別就職状況ランキングとかいうもので、この雑誌の「取材」と称するものは、大学の事務に電話をかけて、場合によってはメールを送って、いついつまでに卒業生の就職先のリストを提出するようにと依頼をするだけ。大学側では毎年毎年くそ忙しい中、大学の名前が雑誌に出るのだから当然協力するよな的な態度での要請に、腹を立てながら資料を作成しなければならないのだとか。
 それだけのことをさせておきながら謝礼を出さないどころか、掲載誌を送って来もしないと言うのだから、森雅裕の時代から進歩していないようである。仮に一回だけなら大学側の厚意に甘えるのも、それが実質的には強要だったとしても、企画自体が海のものとも山のものとも付かないのだから、わからなくもない。だけどそれが毎年ということになったら、相手にかける負担というのが普通だと思うのだが、ここにも日本のマスコミの思い上がりというのが現れているのだろう。

 そういえば、昔、「こんなものいらない」なんて連載をしていたのは、「週刊朝日」だっただろうか。いろいろなものや習慣、ルールなどを不要だと批判して切って捨てるという内容だった。週刊誌らしい企画で、週刊誌らしいいい意味でいい加減な面白い記事が多かったと記憶する。それでも、読んでいて、それはないだろうと言いたくなるような独断と偏見に満ちたものもけっこうあったけど、それを批判するというのは野暮というものである。

 今回の「週刊ポスト」の件は、そういう世界で生きていて、事情もよく分かった人たちからの執筆拒否宣言が相次いだこともあって、謝罪に至ったようだが、執筆拒否って天に唾するようなものじゃないか。自分たちもその一部として作り上げてきた週刊誌の世界のやり口を否定しているのだから。自分だけは関係ないと、責任逃れに逃げを打ったようにも見える。不満があるのなら、「週刊ポスト」なんていらないという記事を、あることのないこと混ぜ合わせて書けばよかったのだ。
 もし、記事が「アメリカなんか要らない」とか、「トランプ大統領なんか要らない」だったら、抗議して執筆拒否なんて言い出す人はいなかったんだろうなあ。国の悪口をいうより、個人攻撃の方が、人権侵害の観点から言えばたちが悪いと思うんだけど。公人についての記事なら、ある程度は仕方がない部分があるにしても、例えば殺人事件の被害者を貶め、遺族をさらに追いめるような記事に対しての執筆拒否だったら、納得もいき尊敬の気持ちにもなるのだけど……。
 迷走、迷走、また迷走の結果、書くべきことが見えなくなってしまった。
2019年9月6日24時30分。








posted by olomoučan at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年09月07日

シグマオロモウツ創立百周年記念試合続報(九月五日)



 いよいよ明々後日になった、とは言っても自分で見に行くつもりはないけど、百周年記念試合に出場する選手がほぼ確定したようだ。一応紹介しておこう。まずは2004年のヨーロッパ選手権に出場した選手たちを中心としたブリュックネル率いる代表チームから、順不同で名前を挙げる。

 ヤン・コレル(Jan Koller)
 ダビット・ロセフナル(David Rozehnal)※
 トマーシュ・ウイファルシ(Tomáš Ujfaluši)※
 トマーシュ・ヒュプシュマン(Tomáš Hübschman)
 マレク・ハインツ(Marek Heinz)※
 マルティン・イラーネク(Martin Jiránek)
 ズデニェク・グリゲラ(Zdeněk Grygera)
 シュテパーン・バホウシェク(Štěpán Vachoušek)
 レネー・ボルフ(René Bolf)
 ブラディミール・シュミツル(Vladimír Šmicer)
 ヤロミール・ブラジェク(Jaromír Blažek)
 ブラティスラフ・ロクベンツ(Vratislav Lokvenc)
 カレル・ポボルスキー(Karel Poborský)
 ロマン・ティーツェ(Roman Týce)
 パベル・マレシュ(Pavel Mareš)
 マレク・ヤンクロフスキ(Marek Jankulovski)
 ヤン・ポラーク(Jan Polák)
 ラドスラフ・コバーチ( Radoslav Kováč)※

 何とも懐かしい名前が並んだものである。表記は微妙に違うかもしれないけど、日本でも知られた名前もいくつかあるんじゃないかな。全員知っているという人もいるかもしれない。とは言え、いまだにプロとして現役を続けているのは、ヤブロネツで中心選手として活躍しているヒュプシュマンと、外国からブルノに帰って来た後、監督やチームともめて同じ二部のプロスチェヨフに移籍したポラークの二人だけだから、時の流れというのは速いものである。
 この中で、コバーチだけはヨーロッパ選手権には出場していないが、当時から代表に呼ばれていたし、2002年のU21のヨーロッパ選手権でブリュックネルの指揮の元優勝したときの中心選手だから代表側で呼ばれたのだろう。元の数が少ないから、数人来られないだけで数が足りなくなりそうだし、これだけの数で90分もつか不安である。ちなみに名前の後の※はオロモウツ育ちの選手であることを示している。

 現時点で来られないのが確定しているのが、ペトル・チェフとアントニーン・キンスキーのキーパー二人に、トマーシュ・ガラーセクとラロスラフ・プラシルの計4人。まだ可能性が残っているのが、パベル・ネドビェット、トマーシュ・ロシツキー、ミラン・バロシュの三人。バロシュはバニークから移籍するしないでもめていたのが、残留で決まったから何とかなるかな。ネドビェッとはユベントスで急がしそうだし、ロシツキーはスパルタの成績が上がらないから、週末もシグマとの試合で勝つべき試合を引き分けに持ち込まれていたし、難しいかな。


 ペトル・ウリチニー率いるシグマ・オロモウツ側は選手数も多いし、全く知らない選手、名前しか知らない選手もいるので、ちょっと分類して名前を挙げる。

@シグマでの活躍を見たことのある選手
 マルティン・バニアク(Martin Vaniak)
 ズデニェク・ズラーマル(Zdeněk Zlámal)
 トマーシュ・ロバーシク(Tomáš Lovásik)
 トマーシュ・ヤノトカ(Tomáš Janotka)
 マルティン・フデツ(Martin Hudec)
 アレシュ・シュケルレ(Aleš Škerle)
 ロマン・フブニーク(Roman Hubník)
 ミハル・フブニーク(Michal Hubník)
 ラディスラフ・オノフレイ(Ladislav Onofrej)
 ヨゼフ・ムハ(Josef Mucha)
 ラドスラフ・ラータル(Radoslav Látal)
 ミハル・オルドシュ(Michal Ordoš)
 スタニスラフ・ブルチェク(Stanislav Vlček)
 ルボミール・ライテル(Lubomír Reiter)
 ダニエル・ロッシ(Daniel Rossi)
 メリーニョ(Melinho)
 ダビット・コビリーク(David Kobylík)
 オルドジフ・マハラ(Oldřich Machala)
 ダルコ・シュシュカフチェビチ(Darko Šuškavčevič)

 こちらがテレビであれ見たことのある選手たちなので、2000年ごろよりも後にシグマでプレーした選手ということになる。現役なのはスコットランドにいるらしいズラーマルと、最近出場していないけどプルゼニュのロマン・フブニークの二人だろうか。最近シグマを巣立った現役の選手を呼ぶまでもなく人数は確保できたということなのだろう。代表の試合のある時期の開催なので、さすがにスロバキア代表監督のハパルは参加できないようだ。

Aシグマにいたことは知っている選手
 ミロスラフ・バラネク(Miroslav Baranek)
 レオシュ・カリボダ(Leoš Kalvoda)

 カテゴリーを作ったはいいけど二人だけ。カリボダは選手としてではなく、監督としてなら見たことがある。代表側のウイファルシもぎりぎりでシグマでのプレーは見ていないと思う。同じくハインツも一度目のチェコ復帰のオストラバでの活躍の方が、二度目にオロモウツに戻ってきたときの印象よりはるかに大きい。

B知らなかった選手
 ルボシュ・プシクリル(Luboš Přibyl)
 イジー・ビート(Jiří Vít)
 ミハル・コバーシュ(Michal Kovář)
 マルティン・コトゥーレク(Martin Kotůlek)
 トマーシュ・ランダ(Tomáš Randa)
 カレル・ラダ(Karel Rada)
 パトリック・シーグル(Patrik Siegl)
 ヤン・マロシ(Jan Maroši)
 ラデク・ドルラーク(Radek Drulák)
 イジー・バルツァーレク(Jiří Balcárek)
 ロマン・セドラーチェク(Roman Sedláček)
 ラデク・オンデルカ(Radek Onderka)
 ブラディスラフ・ラウダ(Vladislav Lauda,)
 ロベルト・ツァハ(Robert Caha)
 イジー・ナブラーティル(Jiří Navrátil)
 ラデク・シンデラーシュ(Radek Šindelář)
 ペトル・ムラーゼク(Petr Mrázek,)
 ラディスラフ・クチェルニャーク(Ladislav Kučerňák)
 アレクサンデル・ボキイ(Alexander Bokij)
 スタニスラフ・スクシーチェク(Stanislav Skříček)
 イジー・マリーク(Jiří Malík)
 ミラン・ケルブル( Milan Kerbr)

 中には他のチームの選手としてのイメージが強くて、シグマでプレーした選手であることに気づけていない場合もあるかもしれない。それに名字の中に、シグマ育ちの選手と同じものがいくつかあるので、親子二代でシグマでプレーした選手という場合もありそうだ。.

 さて、大晦日のスパルタとスラビアのOB戦は、毎年チェコテレビで放送されるのだが、このシグマ・オロモウツ創立百周年記念試合は、テレビで見られるのだろうか。
2019年9月5日24時。










2019年09月06日

コウノトリの巣事件その後(九月四日)



 実業界から、政界に飛び込んで、チェコの政治に、クライアント主義に代わるクライアント=政治家という新たな潮流を生み出すのに成功したバビシュ氏に関して、最初に大きく取り上げられた疑惑が、この「コウノトリの巣」と名付けられた「農場」につぎ込まれた助成金が、詐取にあたるのではないかというものだった。

 このバビシュ氏が政界に入る前の詐欺的な経済活動に関する疑惑への対応に失敗した社会民主党のソボトカ内閣は、支持率を急速に落とし、その後の下院の総選挙で社会民主党は壊滅的は敗北を喫したのだった。その結果、バビシュ政権が誕生したのだから、「コウノトリの巣」疑惑を報道したマスコミの思惑は外れたと言ってもいいのかもしれない。マスコミと既存の政党が寄ってたかって袋叩きにしようとしたおかげで、バビシュ氏は弾圧される立場を手に入れることができたのである。
 しかし、その後、警察の捜査が行われ、警察が立件して起訴するべきだという結論を検察に送ったのは、バビシュ氏にとってはうれしいことではなかっただろう。起訴されても有罪になっても首相を辞めることはないと主張するバビシュ氏だけど、そんな厄介ごとはないほうがいいに決まっている。それが、今年の春ぐらいのことで、ようやく検察の担当者が結論を出した。

 その結論が、立件するには当たらないという警察の捜査結果を否定するものだったことが、さらなる騒ぎを呼んだ。この件に振り回されて疲れ果てた感のある社会民主党は、どんな形であれ結論が出たことを喜び、チェコでは政治家の圧力や金の力で無罪の人を起訴に持ち込んだり、有罪の人の起訴を取りやめさせることはできないと信じているというコメントを、確か党首のハマーチェク氏が残していた。バビシュ氏が起訴されなかったとしても批判はしないということなのだろう。
 他の政党も、共産党とオカムラ党を除けば、この結論にふまんたらたらなのは見え見えだが、現時点で検察の担当者を直接非難することは避けているようだ。ただ警察の決定を否定した理由、根拠を説明する責任があると主張している。その説明に不備があれば批判するということなのだろう。

 検察側でも、予想外の結論だったからか、この担当者の結論が正しいのかどうか、上司にあたる人物が確認するとか言い出した。この手続きに関してはANOが就任させた法務大臣のベネショバー氏が、理解できないと批判している。それは、担当者が結論を出す際には、検察の長官も含めた上司たちとも相談をしたうえで、出しているはずなのに、それを相談された人物が再チェックするのはおかしくないかということらしい。普通の事件であればそんなことしないのになんてことも言っていたかな。

 この事件は普通の事件ではなく、現職の首相の関わる重大な事件だから、検察側が慎重になろうとするのはよくわかるのだが、そのやり口があからさまに反ベネショバー、反バビシュだったりすると、最終的に起訴されることになったとしても手順の不備を批判されることになりかねない。すでに以前から、決定が起訴であれ、不起訴であれ、政治的な決定だと批判されるのは明らかだったから、担当者も大変だっただろう。
 ちなみに、担当者が決定とともに提出した証拠などの書類は、全部で20万ページにも上り、チェックする訳の人が期限までに読み通すのは不可能な分量らしい。チェックする人も大変である。どっちの結論を出すにしても、批判されるのは決まっているし。とまれ、現時点では有罪判決を受けた首相が刑務所で執務するという、ちょっと見てみたい状況は遠くなった。

 ただし、不起訴が決定したとしても、「コウノトリの巣」に関するバビシュ首相の疑惑は、これでお仕舞ではない。以前も紹介した「バビシュ息子誘拐事件」は、警察の話では現在スイスの警察の捜査結果待ちらしいので、今後また大事になる可能性もなくはない。それに今回知ったのだが、バビシュ氏が経営していたアグロフェルト社に、「コウノトリの巣」社に膨大な額の実態のない広告費を支払うことで、脱税したのではないかという疑惑があるらしい。

 それから、EUも「コウノトリの巣」事件に関しては独自に調査をして結論を出すと言っているので、チェコでは不起訴で終わっても、EUからクレームがつく可能性はかなり高い。その場合、チェコ側がどういう対処をしなければならないのかはよくわからない。いずれにしてもバビシュ首相の助成金をめぐる疑惑が、EU内でのチェコの立場を悪くしているのは間違いない。
 だから、反バビシュの動きもわからなくはないのだけど、問題はバビシュ後を任せられそうな、汚職と関係のない有能な政治家がほとんど存在しないことである。個人的には海賊党が政界の荒波にもまれて、本来の意味で政権担当能力を得るまでのつなぎとしてはバビシュ首相でいいんじゃないかとも思う。意外とまともな海賊党に対する不満は、まとも過ぎることで、海賊党ってアナーキーじゃなかったのと言いたくなる。このままだと既存政党の悪影響を受けてつまんない政党に堕してしまう危惧もなくはないんだよなあ。

 やっぱ、俳優のスビェラークに、ヤーラ・ツィムルマンの名前で、ツィムルマン的な思想の許に首相をやってもらうのが一番のような気がしてきた。以前は大統領で何とかなりそうだったけど、現状だと首相じゃないとどうにもならなさそうである。なんかまた迷走してしまった。
2019年9月4日22時30分。









2019年09月05日

コーネフ像続報(九月三日)



 先日話題にしたプラハのコーネフの像についてだが、プラハ6区のロシア大使館との交渉は失敗に終わった。銅像の引取りに関しては拒否され(回答なしかもしれない)、ペンキを除去しないままにすると主張したのに対しては、外交筋から正式に抗議が入った結果、ペンキの除去を余儀なくされた。ロシア側としては、ソ連時代のものであっても国に対する功労者、しかもその後粛清にもあわなかった「英雄」を冒涜されるのは許せないのだろう。
 チェコ側は、1968年のプラハの春など、旧東側諸国で起こった民主化運動の弾圧を直接指揮した人物であることを問題にしているが、ロシアではいまだに、同盟国の要請を受けて反乱勢力を鎮圧するために出兵しただけだというソ連時代の公式見解を変えていないので、コーネフが非難の対象になるようないわれはないのである。個々の国が誰を功労者、英雄とみなすのかは、それぞれの国の事情もあるし、他国がとやかく言うのは内政干渉に当たりそうだからとやかくは言わない。ただ、その英雄の銅像が他国にある場合には、その国の国民感情にも配慮するべきだとは思う。

 さて、ペンキを除去しても、再度かけられる可能性は高く、いたちごっこになって経費だけがかさみ続けるのを嫌がったプラハ6区では、周囲に足場を組んで、ビニールシートで像を覆い隠してしまうという手に出た。意外だったのは、これに反対する主体がロシアではなく、チェコ人のグループだったことだ。
 最初はロシアシンパのチェコ人が、ビニールシートを勝手に除去して、像が見える状態にしただけだったのだが、それが公共物破損かなんかで警察沙汰になって、プラハ6区が再度覆い隠そうとしたところ、そんなに数は多くなかったとはいえ、銅像の周りに集まった人たちで抗議集会が開かれた。ニュースでは抗議の中心人物の一人として社会民主党の国会議員が登場して、「第二次世界大戦末期にプラハを開放してチェコ人を救ってくれた恩人なんだ。その像を隠してしまうなんてありえない」というようなことを主張していた。
 最近の流行なのか、「歴史的な事実は書き換えられないんだ」なんてことも言っていたけど、多くのチェコ人が問題にしている1968年のできごとについて、歴史的な事実をどうとらえているのかはコメントしなかった。今でもロシアとつながっている共産党の人が言うならともかく、おそらく左派だろうけど社会民主党の議員の口からこんな言葉が出てくるのは意外で、だからこそニュースでも取り上げられたのだろう。でもこの前も何かで問題発言して党内でもめていた人のような気もする。

 プラハ6区では結局覆いも足場も撤去して、銅像を隠すのは諦め、ペンキをかけられても直ぐに落とせるように、銅像の表面に特殊な処置を施すことでこの一件を収めることにしたようである。区長に対して脅迫の手紙やメールが届いていて、警察の護衛がつくことになったというからこれ以上の無理はできないということかもしれない。
 最初にこの抗議のニュースを聞いたときには、銅像を撤去するのではなく、覆い隠すという、抜本的な解決にはならないちょっと姑息な手法を選んだことに対する抗議なのだろうと思ってしまった。それが像を隠すことに対する抗議が起こるとは思わなかった。隠すだけでこれなのだから、撤去なんてことになったら、さらに大きな抗議集会が起こりそうである。チェコ人にとって、8月21日のワルシャワ条約機構軍による侵攻は、日本人にとっての広島、長崎への原爆投下と同じような意味を持っていると思い込んでいただけに意外だった。

 ところで、チェコスロバキアは、1968年の「プラハの春」の弾圧と、駐屯ソ連軍によるその後の被害に関して、ソ連と後継国家のロシアに対して謝罪や賠償の請求をしていないという話を聞いたことがある。確か師匠が言っていたのだと思うのだが、ビロード革命後に民主化が進む中、ソ連軍が駐屯したままだと、また武力でひっくり返される恐れがあると考えたときの政府が、謝罪や賠償を求めないというのを条件の一つにして、ソ連軍を可及的速やかに撤退させることで合意に達したのだと言っていた。
 正式に両国間で合意して結ばれた協定に記されているので、チェコではロシアに対して歴史認識を改めるような内政干渉もどきの要求をすることはないし、賠償などの請求もできないのだとか。この件に関してチェコがロシアを非難するとしたら、プーチン大統領が「プラハの春」の弾圧に抗議した人たちをテロリスト扱いしたときぐらいじゃなかったか。日本もアメリカに対して原爆を落としたことを、政府として公式に非難はしていないはずだから、それと同じなのかな。
2019年9月3日24時30分。



昨夜は停電でネットに接続できなかったため、朝になって更新。







タグ:プラハ
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2019年09月04日

夏の終わり(九月二日)



 4月だったか、5月だったかに、すでに書いたが、今年は例年以上に気温の上下変動の幅が大きい。6月の終わりから7月初めにかけての連日30度を超える日々が終わり、最高気温が20度ちょっとの日が続いたときには、このまま涼しくなって秋が来るのだろうと、期待したのだが、それから何度も暑さのぶり返しに期待を裏切られ、9月に入って昨日までは、30度を超える真夏日だった。

 7月の後半だっただろうか、以前ズボンを何本か買ったEショップから、割引のクーポンが届いていて、しかも麻の夏物のズボンがあったから、暑い日が続いた時期には、このままでは洗濯とアイロンで履くものがなくなるから、買ってしまおうと思っていたのだが、涼しい日が続いてこれなら今年は乗り切れるかもと迷っているうちに、クーポンの有効期限が切れてしまった。
 切れてしまった後に、またまた暑い日がやってきて、OPプロスチェヨフの夏物のズボンも、10年以上の時を経て、そろそろ寿命が近づいているし、買っておくべきだったと後悔させられた。やっぱ、買い物苦手だし下手なのである。

 休暇中はともかく、半ズボンで職場に出るのは避けたいのだが、節を曲げて来客の予定のない日は半ズボンを履くことで、何とかごまかしていたら、今日突然気温が下がって、最高気温が20度ほどになるという。これなら夏物ではない長ズボンでも何とかなりそうである。上をどうするか考えて長袖のワイシャツを着て出たら、大失敗だった。
 気温は大きく下がっても、体感温度はそれほど下がっていなかったのだ。これは7月にあちこち出かけたときにも感じたことだが、気温は低くても、直射日光を浴びると暑いし、風が吹かないと地面や建物から放出される熱で空気が暖められて、涼しさが感じられないのである。特に夜の間に窓を閉め切ってあった部屋の中は、熱がこもっていて、換気をして涼しくなっても、窓を閉めるとまた暑く感じられるようになる。それでも昼間強い雨が降り、夕方風が吹き始めたことで、職場を出て帰宅するころには、長袖のシャツで快適な状態になっていた。願わくはこんな日ができるだけ長く続かんことを。

 チェコの夏は、本来は日本だと秋だといいたくなるような涼しい日々が続くはずなのだけど、近年は30度を越える日が増えている。それについて、単に暑いだけでなく、蒸し暑い日も増えていることもあって、チェコは亜熱帯性気候になりつつあるなんてことを言う人もいる。個人的には、全く賛成できず、暑いといってもせいぜい日本と同じぐらいなのだから、もともと亜寒帯だったのが、温帯の気候になろうとしているというほうが正しいような気がする。
 8月の半ばに、オロモウツで柔道を教えている知人から、同郷の九州の人が来ているからと誘われて、一緒の夕食を食べに言ったのだが、久しぶりに九州のローカルな話題で盛り上がれて楽しかった。印象に残っているのが、その方が、チェコの夏は昼間は暑くなるけど、朝晩は冷え込むから、「秋んごたる」と仰ったことだ。チェコに来たばかりだったら両手を挙げて、賛成できたのだろうし気持ちはよくわかるのだけど、チェコに慣れてしまった身には、完全には賛成できなかった。

 それよりも、久しぶりに田舎の方言、アクセントではなく言葉の違う方言を聞いて、懐かしさのあまり啄木の気持ちがよくわかってしまった。

 ふるさとの言葉なつかし
 ホスポダの喧騒の中に
 そを耳にせり
              偽たくほく

 「ごたる」は、古語の「如し」がからできた「如くある」が約まった形で、九州全域で使われている方言である。オロモウツの知人も九州の人とはいえ、ふるさとを離れて長いので、二人で話すときでも、方言はなかなかでてこないのである。

 さて、天気予報を見ると、これからしばらく最高気温が20度ちょっとの日が続きそうである。さすがに9月の半ばを過ぎて暑さがぶり返すということはないだろうから、夏は終わったと考えたい。そうなると、心配は快適な秋が直ぐに終わって冬がやってこないかということである。9月に雪が降った年もあったしなあ。秋分の日から始まるチェコで言う秋が、「冬んごたる」なんてことにならなければいいのだけど。備えはあまりないから愁えばかりだぞ。
2019年9月2日24時45分。










タグ:暑い 愚痴 方言

2019年09月03日

ところ変われば品変わる(九月一日)



 たまには気の利いた題名で文章を書いてみようと思いついて、こんな題名をつけたところまではいいのだが、書き始めの時点ですでに失敗が予想されてならない。いいわけついでにこんな書き出しにしてみた。
 そもそも、この題名を思いついたのは、9月1日が、第二次世界大戦が始まった日だとして、ポーランドで式典が行われたというニュースを見たのがきっかけである。9月1日といえば、日本なら関東大震災が起こった日で、二学期の始業式で学校に行くと、避難訓練が行われるというイメージだが、ヨーロッパでは第二次世界大戦と結びついている。

 今年は、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まってから80年ということで、例年よりもはるかに大きな式典が、ドイツ軍が最初に攻撃を仕掛けた北ポーランドの町と、ワルシャワの二箇所で開催された。北ポーランドの町での式典は、ドイツ軍が攻撃を仕掛けた時間に合わせて、午前5時ぐらいだったか、かなりの早朝に行われていて、驚かされた。
 午後からは会場をワルシャワに移しての式典だったが、世界中から40カ国以上の大統領や首相などが参列したらしい。チェコからはゼマン大統領が出かけた。アメリカのトランプ大統領も出席する予定だったが、巨大なハリケーンがアメリカに近づいており、その対策のために国に残り、副大統領が代理で出席していた。

 第二次世界大戦を引き起こしたドイツからは、ことの重大さを反映してか、メルケル首相だけでなく、大統領も参列していた。演説をしたのは大統領で、謝罪というよりは許しを求めるような部分がニュースで放送された。これをもとにドイツは第二次世界大戦の戦争犯罪を重大に受け止めていて云々と評価するのは、簡単だけど、その理解は恐らく表層的に過ぎる。なぜ、政治の実権を持つ首相ではなく、政治的には実権を持たない大統領の口からこのような言葉が出てくるのかということを考えると、その謝罪を政府の方針や政策に反映させないようにではないかと思われる。
 同じ大統領であっても、アメリカやフランスの大統領の言葉のような重さを持たないのがドイツの大統領なのだ。そう考えると、日本の天皇やイギリスの国王のような象徴的な存在だとも言えるのだが、国民に与える影響力や存在感では比較できるものではない。その首相と大統領の立場の違いをうまく活用してきたのがドイツなのだろう。例のバイツゼッカー大統領の感動的な演説も、首相の口からは出せなかったはずである。
 チェコの大統領もどちらかというとドイツの大統領に近いはずだったのだけど、ゼマン大統領が直接選挙で選ばれた大統領であることを理由に、しきりに政府に影響力を及ぼそうとしていて、憲法の規定に違反していると批判されることが多い。今から考えると、大統領選挙の方法が変わった時点で議論しておくべきだったと言いたくなるのだが、当時は選挙制度が変わったから権限も変わるなんてことを考える人はいなかったような気もする。

 さて、話を戻そう。日本で第二次世界大戦が始まった日というと、ヨーロッパですでに先端が開かれていたことはわかっていても、どうしても太平洋戦線の12月の日本軍によるハワイの真珠湾攻撃の日が思い浮かんでしまう。この日に日本で式典が行われるなんて話は寡聞にして知らないが、ハワイでは何かやっていそうである。疑問は日本の代表が出席するのかということなのだけど、どうだろうか。
 大戦の終わりのほうは、こちらでは5月8日のドイツが降伏した日が重視されて、日本で終戦記念日とされる8月15日なんて、全く話題にも上らない。こちらも重要視されていないとはいえ、ヨーロッパの人にとって太平洋戦争が終わったのは9月2日なのである。
2019年9月1日24時30分。













2019年09月02日

勉強しない高校生?(八月卅一日)



 またまた日本の話で申し訳ないのだが、「高2生、3割が勉強時間ゼロ」というかなり衝撃的な記事を見つけた。見出しを見たときには、日本では大学だけでなく高校も勉強しなくてもいい場所になったのかと愕然としたのだが、記事を読んだら、見だしに騙されただけだということがわかった。

 見出しだけからは、高校二年生の3割は全く勉強していないと理解するのが普通、いや、この見出しの掲げ方だと、学校での授業も含めて全く勉強していないと理解する可能性だってなくはないと思うのだが、そうではなかった。こんな見出しのつけ方でいいのか、共同通信。
 実際は「宿題を除く1日の勉強時間がゼロ」だということで、これなら特に驚くにはあたらない。少なくとも我々の時代田舎の公立の自称進学校では、朝の7時半から夕方5時まで、課外とか補習とか言われる強制された希望者が参加する追加の授業を含めて、学校で勉強させられていたし、宿題も山のように出ていたから、宿題以外の勉強を自宅でする時間などないに等しかった。

 さらに読み進めていくと、「休日に授業の予習や復習などを全くしていなかった」とあって、授業のある平日ではなく、休日の勉強時間に関する調査であるらしいことがわかってくる。わかってくるのだが、記事を読んだだけでは、別の調査項目の可能性も否定できない。付載の表に「高校2年生の休日の勉強時間」とあるのだが、希望進路別のデータはあっても、全体を総計したデータがないので、3割が勉強時間ゼロというのが、休日だけを対象にしているという確証は持ちきれない。
 最後にこのデータが「2001年の特定日に生まれた子どもを毎年調査する「21世紀出生児縦断調査」の結果」だということと、回答者数が「約3万人」であることが明らかにされるんだけど、何とも読みにくく、わかりにくい記事の書き方である。長いあれこれ説明の出てくる記事であれば、最初に最も重要な結論を書いておいて、それを細かく説明していくような書き方でもいいのだろうけど、こんな短い記事でそれをやるとこの記事のように、読者が理解したのかどうか確信の持てないものが出来上がってしまう。新聞記者なら記事のタイプによってスタイルを使い分けるぐらいの芸を見せろよというのは、今の日本のマスコミの惨状を考えるとないものねだりなのだろうか。

 調査から明らかになったとされる結論が、「望む進路によって、学習時間に差がついている状況が浮かんだ」って、こんなの調査するまでもなく、予想できることである。就職志望の場合には、進学希望の学生と比べると高校での授業時間からして少ないのが普通なのだから。しかも休日の、しかも宿題以外の勉強時間の調査では、「学習時間に差がついている」という結論を導き出すのに無理がありすぎる。
 仮に、「学習時間に差がついている」という結論を、それが単に予測の確認に過ぎないとしても、導き出すとしたら、必要なのは、平日も含めた授業以外の勉強時間の統計である。当然そこには宿題にかける時間も含まれるべきで、宿題さえしない、もしくは課されない高校生がどのぐらいいるのかの方が、休日どれぐらい勉強しているかよりも重要な情報である。その結果、ありえるとは思うけど、3割の高校生が宿題すらしないという状態であれば、大学進学率が50パーセントなんてことになっている現在、大学教育の無償化がいかに税金の無駄遣いであるかが明らかになる。

 そして、気に入らないのは、「宿題以外の」といういやらしい設問のしかたである。ここに調査を行なった文部省の、高校生が自主的な勉強ができていないのはよくないという一見もっともらしい結論を導くための意図が読み取れてしまう。「休日に授業の予習や復習などを全くしていなかった」というのだが、予習が宿題になっている授業も多いはずだし、復習は宿題で出されたことだけで十分な場合だって多い。宿題以上に復習をするのはテスト勉強ぐらいというのが普通の高校生の姿じゃないのか。テストが終わった後に間違えたところを徹底的に復習するという勉強の仕方もあると思うけど、それを休日にやらなければならないいわれはない。
 そもそも、宿題以外の勉強が指すものがはっきりしないのに、「予習や復習など」云々という結論につながるのがよくわからない。宿題の中に予習、復習が含まれている可能性も高いのである。学校の宿題以外の勉強といわれたら、模擬試験のための勉強、資格試験のための勉強、塾や予備校の宿題ぐらいしか思いつかない。そんなのの有無を元に、高校教育のあり方を評価されても、説得力はまったくない。
 むしろ、休日に学校の勉強をしないで、自分の趣味にかかわる勉強、就職後のことを考えてアルバイトをしているのであれば、逆に高く評価できることになる。例えば歴史好きの高校生が、学校の授業や受験とはまったく関係のない歴史書を読むことを勉強だと認識しているとも思えないしさ。憶測になってしまうのでこの辺でやめるけど、この記事に上がっているデータからは、ほとんど何も読み取れないというのが正しい。

 文部省嫌いのひねくれものが読み取るとすれば、考える能力という本来数値化して評価できるはずのないものを評価するとか言っている新しい大学入試の導入に関連して、今の指示待ち勉強はだめなんだという風潮を盛り上げるためのデータとして使おうとしているのではないかということだ。それにしても中途半端すぎて失敗しているけど。
 このデータについてのコメントで、文部省の担当者が「皆が前向きに勉強に取り組めるよう、授業などの改善に向けた検討を続けたい」と言っているようだが、文部省は検討なんかしないで、何もしないのが、日本の教育には一番役に立つと思う。
2019年8月31日24時。











タグ:日本 文部省
posted by olomoučan at 05:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年09月01日

NHK問題(八月卅日)



 先日の参議院議員選挙で、NHKから国民を守る党とかいう政党から立候補して、議員となった人があれこれ物議を醸すような言動を繰り返しているらしい。大半はどうでもいいというか、ニュースにする価値があるのかと言いたくなるような、話題になることで知名度を上げようとする党の戦略に乗せられているようなものだったが、一つだけ納得できなかったのが、結局受信料を支払うことにしたというニュースで、その払い方が支払っている人の割合にあわせて、正規の受信料の何十パーセントかを払うというものだった。
 これには、正直がっかりしたのだけど、NHKをぶっ壊すとか言うのなら、自分の規準でNHKの番組を評価して払う価値のあるのはこれだけだと算出した額を公表して、それだけ払えばよかったのに。そうすればNHKと受信料闘争をしている人たちにとっての基準になったはずである。そもそも、NHKの受信料高すぎないか。チェコはテレビとラジオ合わせて180コルナである。日本円に換算すると900円ぐらいなのかな。このぐらいならしぶしぶながら払ってもいいと言う人も多いんじゃなかろうか。

 高校を卒業してから10年ほど一人暮らしをしていたのだが、受信料を払ったことは一度もない。当時すでにNHKも含めた日本のテレビ番組に見たいと思うものはほとんど存在しなかったので、テレビなんか持っていなかったのだ。一年だけ先輩に押し付けられたテレビが部屋にあった時期があるけど、一度受信料の徴収にきた失礼極まりない男に部屋の中まで見せて追い返した後は、徴収に来なかったから払う必要もなかった。
 テレビがあったといっても。タイマー機能を目覚ましの代わりに使うのがメインで、あとは教育実習で徹夜して指導案を書いていたときに、眠気覚ましに国会中継を流していたぐらいである。何かの法案の審議で野党の牛歩戦術という頭の出来を疑いたくなるようなやり口のせいで深夜まで審議が続いていたんだったかな。時間と労力の無駄ではあるけれども、眠らずに指導案を書く助けにはなったから、この国会中継の分ぐらいは受信料払ってもいいかなとは思った。

 略称N国党が主張しているのは、デジタル化したNHKの放送のスクランブル化で、それに反対する側は公共放送なのだからという理由で、スクランブル化は認められないと言っているようだ。この議論にも不満があって、何故に現在のNHKが公共放送に値するのかという根本的な問題を議論の対象にしないのだろうか。しばしばNHKの番組の質が下がったという話を聞くし、バラエティー番組、お笑い番組ばかりになって見るものが少なすぎると嘆いている人もいる。
 NHKがこれまで様々ないい番組を制作してきたのは認めるし、過去の民放の発達しない、特に田舎では民放の放送が見られなかったような時代であれば、公共放送のNHKが何でもやる必要があったのだろうが、現在の民放が多くていくつあるのかも分からない、ど田舎の県でも二つはある、衛星放送も、有料放送も発達した現在においては、公共放送たるNHKの役割を再検討する必要があろう。

 90年代にビロード革命後に改革中だったチェコテレビの人が、日本まで出かけてNHKの見学をしたという話を聞いたことがある。そのとき、案内をしたNHKの人が金の話しかせず、本来の目的だった公共放送のあり方については何の参考にもならなかったらしい。何でもNHKでは金を湯水のように使えることを自慢し、旧共産圏で資金的に苦しんでいたチェコテレビを見下すように金ないと何もできないだろうなんてことをわめいていたのだとか。それでチェコテレビではNHKの評判は最低だったなんてこともいっていたかな。
 この話は知り合いの関係者から聞いた話なのでどこまで本当かは知らんけど、NHKが民放よりもはるかに社員の給料がよくて、出演者に対しての報酬もずっと高いという話もあるわけで、考え合わせると、無駄遣いを減らして受信料を大幅に値下げしろよと言いたくなる。本当に「公共」であるのなら、最低限の料金を徴収して、それでできる範囲で番組を制作して放送するのが正しいはずである。使える予算を増やすために受信料を上げるとか本末転倒もいいところである。だいたい民放と同レベルで視聴率争いをする時点で公共放送であることを自ら否定しているだろう。

 仮に、公共放送であることを理由に受信料の徴収を正当化するなら、24時間放送のニュース専門チャンネル、教育番組の専門チャンネル、スポーツ中継の専門チャンネル(ただし民放では採算が取れないで中継できないマイナースポーツ中心)、それにせいぜいドキュメンタリー番組専門チャンネルの四つのチャンネルを作って、その分だけ義務的な受信料にしてしまえばいい。この四つなら民放にはできないという意味で公共放送の果たす役割に含まれるだろう。受信料の値下げは当然のことである。
 そして視聴率稼ぎをするドラマやお笑い番組は、別料金を払った人だけが見られるチャンネルにすれば、民放と同レベルで争うことになって公平性も保てるというものである。別会社にして民営化してもよさそうだ。ドラマに公共性を持たせるなんてアホなことを言う人はいないだろうしさ。

 最後に潤沢な資金を使えるNHKの貧乏なチェコテレビを越えるセコさを指摘しておけば、チェコテレビがネット上で提供しているテレビ番組は、チェコで受信料を払っているかどうかにかかわらず見ることができる。日本からでも、例えばチェコテレビの制作したニュース番組やドラマを普通に視聴することができるのである。それに対してNHKは、ネット上にニュースとして上げられているビデオはチェコからも見られるが、番組を最初から最後まで通して見ることはできない。日本でも受信料を払っていないと見られないのかもしれないけど。
 ということで、日本にいたとしたら受信料の支払いは拒否するだろうなあ。10年前の日本では、ホテルに滞在していて毎日テレビをつけることはつけたけれども、最後まで見ていられる番組が一つもなかったから、わざわざテレビを買おうとも思わないだろうけどさ。スポーツ中継でさえ過度にショー化されて、見ていると恥ずかしくなるような日本のテレビ放送に不満を持つ人はいないのかね。
2019年8月30日24時。











タグ:テレビ NHK
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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