2019年09月03日
ところ変われば品変わる(九月一日)
たまには気の利いた題名で文章を書いてみようと思いついて、こんな題名をつけたところまではいいのだが、書き始めの時点ですでに失敗が予想されてならない。いいわけついでにこんな書き出しにしてみた。
そもそも、この題名を思いついたのは、9月1日が、第二次世界大戦が始まった日だとして、ポーランドで式典が行われたというニュースを見たのがきっかけである。9月1日といえば、日本なら関東大震災が起こった日で、二学期の始業式で学校に行くと、避難訓練が行われるというイメージだが、ヨーロッパでは第二次世界大戦と結びついている。
今年は、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まってから80年ということで、例年よりもはるかに大きな式典が、ドイツ軍が最初に攻撃を仕掛けた北ポーランドの町と、ワルシャワの二箇所で開催された。北ポーランドの町での式典は、ドイツ軍が攻撃を仕掛けた時間に合わせて、午前5時ぐらいだったか、かなりの早朝に行われていて、驚かされた。
午後からは会場をワルシャワに移しての式典だったが、世界中から40カ国以上の大統領や首相などが参列したらしい。チェコからはゼマン大統領が出かけた。アメリカのトランプ大統領も出席する予定だったが、巨大なハリケーンがアメリカに近づいており、その対策のために国に残り、副大統領が代理で出席していた。
第二次世界大戦を引き起こしたドイツからは、ことの重大さを反映してか、メルケル首相だけでなく、大統領も参列していた。演説をしたのは大統領で、謝罪というよりは許しを求めるような部分がニュースで放送された。これをもとにドイツは第二次世界大戦の戦争犯罪を重大に受け止めていて云々と評価するのは、簡単だけど、その理解は恐らく表層的に過ぎる。なぜ、政治の実権を持つ首相ではなく、政治的には実権を持たない大統領の口からこのような言葉が出てくるのかということを考えると、その謝罪を政府の方針や政策に反映させないようにではないかと思われる。
同じ大統領であっても、アメリカやフランスの大統領の言葉のような重さを持たないのがドイツの大統領なのだ。そう考えると、日本の天皇やイギリスの国王のような象徴的な存在だとも言えるのだが、国民に与える影響力や存在感では比較できるものではない。その首相と大統領の立場の違いをうまく活用してきたのがドイツなのだろう。例のバイツゼッカー大統領の感動的な演説も、首相の口からは出せなかったはずである。
チェコの大統領もどちらかというとドイツの大統領に近いはずだったのだけど、ゼマン大統領が直接選挙で選ばれた大統領であることを理由に、しきりに政府に影響力を及ぼそうとしていて、憲法の規定に違反していると批判されることが多い。今から考えると、大統領選挙の方法が変わった時点で議論しておくべきだったと言いたくなるのだが、当時は選挙制度が変わったから権限も変わるなんてことを考える人はいなかったような気もする。
さて、話を戻そう。日本で第二次世界大戦が始まった日というと、ヨーロッパですでに先端が開かれていたことはわかっていても、どうしても太平洋戦線の12月の日本軍によるハワイの真珠湾攻撃の日が思い浮かんでしまう。この日に日本で式典が行われるなんて話は寡聞にして知らないが、ハワイでは何かやっていそうである。疑問は日本の代表が出席するのかということなのだけど、どうだろうか。
大戦の終わりのほうは、こちらでは5月8日のドイツが降伏した日が重視されて、日本で終戦記念日とされる8月15日なんて、全く話題にも上らない。こちらも重要視されていないとはいえ、ヨーロッパの人にとって太平洋戦争が終わったのは9月2日なのである。
2019年9月1日24時30分。
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