アフィリエイト広告を利用しています
<< 2019年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年09月29日

カレル・シープ(九月廿七日)



 チェコの芸能界には、共産党政権の時代から、ビロード革命を経て、現在に至るまで、変わらぬ人気を誇る人たちが何人もいる。その筆頭が黒田龍之助師が『チェコ語の時間』で、「チェコのサブちゃん」と評した神のカーヤことカレル・ゴットである。そのゴットに、歌の歌詞を提供するなど作詞家として「も」活躍しているのが、カレル・シープである。
 ただし、シープの本業は作詞家ではなく、何だろう? テレビ番組の司会者というのが一番いいだろうか。80年代から作曲家のヤロスラフ・ウフリーシュと組んで音楽番組の司会をしたり、大晦日恒例の特別番組(日本の紅白と同じで伝統的らしいのだけどそのよさがいまだにわからない)の司会をしたりしてきたようだ。現在はチェコテレビで「フシェフノパールティ」というトーク番組を持っている。たまたまそれを見たから、書くことにしたのである。

 シープが最初にテレビに出たのは、子どものころらしいけれども、最初に仕事としてテレビにかかわったのは、番組の制作側としてで60年代前半のことだったようだ。その後70年代の初めに、ウフリーシュと組んでファラオンというグループで音楽界にデビューした。ウフリーシュとの作詞家と作曲家のコンビは73年にグループが解散した後も続き、さまざまなチェコの歌手達に歌を提供してきた。

 テレビの司会者として活躍をしていたシープが音楽界に戻ってきたのは、82年のことで、ウフリーシュとのコンビに、歌手のペトラ・ヤヌーを加えて「トリキ・ア・ポビェリ」というグループを結成したのである。ただし、普通の音楽グループではなく、当時チェコスロバキアで流行っていたらしい、イタリアのディスコ音楽のパロディだった。
 グループ名は、「Ricchi e Poveri」というイタリアのグループから取ったらしい。「リキ・エ・ポベリ」と読むのかな。この名称はどんな意味になるのか知らないが、チェコ語のほうは、「トリックと迷信」という意味になる。そして「トリックと迷信」の代表的な歌の歌詞がなんとも妙な迷信っぽい内容なのである。

 全文引用するのはあれなので、一番有名な部分、何度か繰り返される部分だけ上げておく。

Ital nezná ten zázrak,
イタリア人はその奇跡を知らない。
a tak mu chátrá těéééélo .
だから体がぼろぼろになっていく。
Ital nezná ten zázrak,
イタリア人はその奇跡を知らない。
Vepřo knedlo zelo.
ベプショ・クネドロ・ゼロ


 最後の行はチェコの伝統料理で、豚肉とクネドリーキに酸っぱいキャベツをあわせたもの。レストランによっては三つの言葉の順番が変わることもある。チェコの伝統料理の例に漏れず、脂っこくて健康にいいとは思えないのだが、イタリア人はこれを知らないから、体が壊れていくんだ、つまり不健康なんだと言っているようだ。続きの部分では、マカロニとかスパゲッティにケチャップばっかり食べているなんてイタリア人の食生活を揶揄している。
 この歌のもとになったのは、トト・クトゥーニョ(Toto Cutugno)という歌手の歌らしい。イタリア語の題名まではわからんかった。でも、ブロード革命後だと思うけど、この人、チェコにやってきて、シープたちと共演したことがある。チェコ語の歌詞の意味がわかっていたのかどうか、嬉しそうに一緒に歌っていたのだという。

 一体に、共産党支配時代のチェコスロバキアでは、西側のヒット曲のカバーが盛んだった。歌詞だけチェコ語に訳したり、新たにチェコ語の詞が書かれたようなものが横行していて、外国の曲のカバーだということを知らない人も多かったのだとか。そうなるとカバーの許可も取っていないだろうし、著作権料も払っていないだろうなあ。
2019年9月27日24時。










タグ:テレビ番組
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。