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2019年09月05日

コーネフ像続報(九月三日)



 先日話題にしたプラハのコーネフの像についてだが、プラハ6区のロシア大使館との交渉は失敗に終わった。銅像の引取りに関しては拒否され(回答なしかもしれない)、ペンキを除去しないままにすると主張したのに対しては、外交筋から正式に抗議が入った結果、ペンキの除去を余儀なくされた。ロシア側としては、ソ連時代のものであっても国に対する功労者、しかもその後粛清にもあわなかった「英雄」を冒涜されるのは許せないのだろう。
 チェコ側は、1968年のプラハの春など、旧東側諸国で起こった民主化運動の弾圧を直接指揮した人物であることを問題にしているが、ロシアではいまだに、同盟国の要請を受けて反乱勢力を鎮圧するために出兵しただけだというソ連時代の公式見解を変えていないので、コーネフが非難の対象になるようないわれはないのである。個々の国が誰を功労者、英雄とみなすのかは、それぞれの国の事情もあるし、他国がとやかく言うのは内政干渉に当たりそうだからとやかくは言わない。ただ、その英雄の銅像が他国にある場合には、その国の国民感情にも配慮するべきだとは思う。

 さて、ペンキを除去しても、再度かけられる可能性は高く、いたちごっこになって経費だけがかさみ続けるのを嫌がったプラハ6区では、周囲に足場を組んで、ビニールシートで像を覆い隠してしまうという手に出た。意外だったのは、これに反対する主体がロシアではなく、チェコ人のグループだったことだ。
 最初はロシアシンパのチェコ人が、ビニールシートを勝手に除去して、像が見える状態にしただけだったのだが、それが公共物破損かなんかで警察沙汰になって、プラハ6区が再度覆い隠そうとしたところ、そんなに数は多くなかったとはいえ、銅像の周りに集まった人たちで抗議集会が開かれた。ニュースでは抗議の中心人物の一人として社会民主党の国会議員が登場して、「第二次世界大戦末期にプラハを開放してチェコ人を救ってくれた恩人なんだ。その像を隠してしまうなんてありえない」というようなことを主張していた。
 最近の流行なのか、「歴史的な事実は書き換えられないんだ」なんてことも言っていたけど、多くのチェコ人が問題にしている1968年のできごとについて、歴史的な事実をどうとらえているのかはコメントしなかった。今でもロシアとつながっている共産党の人が言うならともかく、おそらく左派だろうけど社会民主党の議員の口からこんな言葉が出てくるのは意外で、だからこそニュースでも取り上げられたのだろう。でもこの前も何かで問題発言して党内でもめていた人のような気もする。

 プラハ6区では結局覆いも足場も撤去して、銅像を隠すのは諦め、ペンキをかけられても直ぐに落とせるように、銅像の表面に特殊な処置を施すことでこの一件を収めることにしたようである。区長に対して脅迫の手紙やメールが届いていて、警察の護衛がつくことになったというからこれ以上の無理はできないということかもしれない。
 最初にこの抗議のニュースを聞いたときには、銅像を撤去するのではなく、覆い隠すという、抜本的な解決にはならないちょっと姑息な手法を選んだことに対する抗議なのだろうと思ってしまった。それが像を隠すことに対する抗議が起こるとは思わなかった。隠すだけでこれなのだから、撤去なんてことになったら、さらに大きな抗議集会が起こりそうである。チェコ人にとって、8月21日のワルシャワ条約機構軍による侵攻は、日本人にとっての広島、長崎への原爆投下と同じような意味を持っていると思い込んでいただけに意外だった。

 ところで、チェコスロバキアは、1968年の「プラハの春」の弾圧と、駐屯ソ連軍によるその後の被害に関して、ソ連と後継国家のロシアに対して謝罪や賠償の請求をしていないという話を聞いたことがある。確か師匠が言っていたのだと思うのだが、ビロード革命後に民主化が進む中、ソ連軍が駐屯したままだと、また武力でひっくり返される恐れがあると考えたときの政府が、謝罪や賠償を求めないというのを条件の一つにして、ソ連軍を可及的速やかに撤退させることで合意に達したのだと言っていた。
 正式に両国間で合意して結ばれた協定に記されているので、チェコではロシアに対して歴史認識を改めるような内政干渉もどきの要求をすることはないし、賠償などの請求もできないのだとか。この件に関してチェコがロシアを非難するとしたら、プーチン大統領が「プラハの春」の弾圧に抗議した人たちをテロリスト扱いしたときぐらいじゃなかったか。日本もアメリカに対して原爆を落としたことを、政府として公式に非難はしていないはずだから、それと同じなのかな。
2019年9月3日24時30分。



昨夜は停電でネットに接続できなかったため、朝になって更新。







タグ:プラハ
posted by olomoučan at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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