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2019年02月28日

モスト(二月廿六日)



 チェコ語でモストというと二つの意味がある。一つはカレル橋を「Karlův most」というように一般名詞としての橋で、もう一つは最初の文字を大文字で書くモスト、つまり固有名詞としての地名のモストである。モストという町は、プラハから北西、ドイツとの国境をなすクルシュネー・ホリと呼ばれる山脈の麓にある。隣接するリトビーノフとともに石炭の採掘で知られた工業の町である。

 今、思い返すと、なつかしの『マスター・キートン』の珍しくチェコが舞台になった回で登場したモストフという町が、このモストをモデルにしたものだった。クルシュネー・ホリの山林が酸性雨によって壊滅状態だったとか、大気汚染で呼吸器の病気にかかる人が多いとか。共産主義時代に町を牛耳っていた人物が革命後も権力を握り続けているとか、90年代前半のこの辺りのことがしっかり調べられていた。サーキットがあるってのもあったなあ。
 不思議なのはなんで実際の地名のモストを使わなかったのかということで、モストフのモデルがモストだと気づいたときには、誰か中途半端な知識を持つ人が、チェコの地名は「オフ」で終わるんだとか適当なことを言った結果かと思ったのだが、あまりよくない意味で登場していたから、実際の町の名前を使用するのははばかられたのかもしれない。有名な町であればともかく、モストなんかほとんど誰も知らなかっただろうし。

 モストやリトビーノフの辺りで採掘されているのは、石炭とはいっても燃焼効率のあまり高くない褐炭と呼ばれるもので、採掘の方法は露天掘りである。露天掘りができるから褐炭の採掘が採算が取れているのだろう。ただ、露天掘りをするということは、石炭の鉱脈の上にあるものは採掘のために破壊されなければならないということである。
 このモストという町は、1960年代に共産党政権によって石炭の採掘の拡大が決定された際に、完全に破壊され、少し離れた場所に移転させられたらしい。先日テレビで当時のモストのことを扱った番組をちらっと見たのだが、映画監督にとっては、天国だったと言っている人がいた。すべての建物が破壊されることが決まっていたから、爆破、破壊のし放題で、ソ連やアメリカなどから映画の撮影班が次々にモストを訪れて、建物を破壊していたらしい。具体的にどの映画がモストで撮影されたかについては言及されなかったのが残念である。

 数年前にはモストの近くの小さな町が、石炭の採掘が継続された場合には、モストと同じ運命をたどりそうだということで大きな話題になっていたのだが、現時点では町を破壊してまで採掘することはないだろうという決定で、炭鉱会社の採掘予定地の拡大の求めは政府によって却下されていた。
 モストとリトビーノフの周辺は、一時期は露天掘りで石炭を掘りつくした部分が放置されていたので、火星のようだといわれるような景観を作り出していたのだが、その後炭鉱跡地の緑化が進められ、露天掘りの後の大きな穴が人造湖として整備されたことで、景観が一変している。そういう場所を案内してくれる観光ツアーもあるらしい。

 ではどうしてテレビでモストに関する番組を報道していたかというと、それは「モスト!」という多分いい意味でとんでもないテレビドラマが放送され、チェコ中で話題になっているからである。モストやリトビーノフの辺りに対しては、ロマ人の住み着いた崩壊寸前の団地があって、ロマ人とチェコ人の関係が悪化して、人種差別的な極右勢力が台頭しているなんて固定概念があるのだけど、それを逆手にとって作成されたコメディで、これモストの人嫌がるだろうなあという場面が多い。モストの人でも気に入っている人は多いらしいんだけどね。

 うちのは毎週熱心に見ているのだけど、しばしば「ティ・ボレ」なんて普段は使わない言葉を漏らしているから、とんでもないシーンが多いんだろうなあ。見たいような見たくないような複雑な気分である。
2019年2月26日24時。





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posted by olomoučan at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年02月27日

チェコで日本文学を考える(二月廿五日)



 とりあえず、いきなりこんなテーマで文章を書くことにした理由について触れておこう。アメリカからチェコに流れてきたらしい日本人研究者(何の研究者かは知らない)が、チェコには日本文学研究がないとか何とかこいていたという話を、プラハの知人から漏れ聞いて、むかっ腹を立てたのが動機である。チェコという国が、人口の少ない小国であり、冷戦期には東側陣営に属して日本との交流も限られていたことを考えると、チェコの日本文学研究は盛んだといっていい。研究者の数自体は当然多くないから、どうしてもカバーできる範囲には限りができてしまうけど。

 さて、本題に入る前に、文学作品の翻訳、特に作品の書かれた言語からの翻訳は、作品研究、作家研究の成果であることを確認しておこう。英語の娯楽作品などで、ほぼ機械的に翻訳されて出版されていくものや、英語版からの重訳などはともかく、チェコ語や日本語のような特殊な言葉で書かれた文学作品の翻訳は、研究者が自分の研究さ対象とする作家の作品を研究の一環として翻訳することが多い。
 チェコ文学の日本語訳をその傍証としてもいいだろう。翻訳者の大半は、チェコ語、もしくはチェコ文学の研究者だし、翻訳につけられた訳注も多い。特に日本で最初のチェコ文学の翻訳者と言ってもよさそうな栗栖継氏の翻訳など、本文と変わらないほどの分量があるものもある。訳注に頼りすぎる翻訳も良し悪しだとは思うけれども、作品研究の結果を盛り込みたい訳者の気持ちもわからなくはない。

 オロモウツに来てパラツキー大学の図書館の日本文学のコーナーで驚いたのは、意外なほど多くの作品がチェコ語に翻訳されていることで、漱石の作品があるのは当然としても、その中には、日本でもすでに忘れられたような作家の作品の翻訳もあった。知り合いに梅崎春生の小説がすばらしいと言われ、感想を求められたときには恥ずかしながらその作家自体を知らないと応えるしかなかった。
 高校大学時代の一番純文学の作品を読んでいた時期に、なくなった作家の作品は読まないなんて縛りで読むべき作品を探していたから、戦後すぐに亡くなったらしい梅崎春生の作品を読んだことがないのは当然としても、情けなかったのはチェコ語にまで翻訳されるような作品を生み出した作家の名前すら知らなかったことである。古典が専門だったとはいえ、文学科にいたんだけどなあ。図書館には日本語の本も結構入っていたのだけど梅崎春生のものは残念ながらなかった。

 それから、確か翻訳者が収録作品を決めたという戦前の作品のアンソロジーに、岩野泡鳴なんかの作品が入っているのにも驚いた。共産主義の国だったわけだから、プロレタリア文学ばかりが称揚されるものだと思っていたし、確かに小林多喜二や徳川直なんかの作品は重要視されていたけれども、戦前の日本文学がプロレタリア文学だけではなかったことがわかっていなければ、共産主義体制の中で岩野泡鳴なんかの作品をわざわざアンソロジーに入れたりはしないだろう。
 泡鳴の作品だったかどうかは正確に覚えていないのだが、アンソロジーに収録された作家の作品が入った日本語の本が図書館にあったので、読んでみてびっくり。現代の小説同様に言文一致が徹底された文体だったのだ。明治期の文学革新運動の中で出てきた言文一致の考え方が、大正から昭和の初めにかけてここまで浸透していたとは思いもしなかった。

 大学時代の畏友が、日本文学の言文一致は、最終的に赤川次郎によって成し遂げられたという説を唱えていて、それに同調していたのだけど、実は一度到達していた高みから戦争の影響で落ちて、言文一致のレベルを再度引き上げたのが赤川次郎だったといったほうがよさそうだ。1970年代だと漫画でも吹き出しの中のせりふが、「したんだ」というような場合でも「したのだ」になっていて、小説の会話文は推して知るべしだったのだが、これでも言文一致が進んだ結果だと思い込んでいた。それが、実は先祖がえりだったわけだ。
 小説の言文一致という点では、赤川次郎が会話文の中で徹底し、一人称小説の字の文でもかなり話し口調に近づけるような工夫をしていたと思うが、それをさらに徹底して一人称の語りまで、完全に話し言葉にしてしまったのが、高千穂遙の「ダーティペア」シリーズと、久美沙織の「丘の家のミッキー」シリーズだった。その良し悪しはともかく、二人ともSF出身の作家であるのがなんとも象徴的である。

 なんてことを、チェコの日本文学研究の成果である翻訳のアンソロジーをきっかけにして考えたのだ。日本にいたら、特に熱心な近現代文学の読者ではなかったから、こんなところまで考えることはなかっただろう。これもまたチェコの日本文学研究の恩恵というべきであろう。
2019年2月27日24時。




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posted by olomoučan at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年02月26日

名字の話女性形(二月廿四日)



 ちょっと時間がおしているので、簡単に書けて短くまとめられそうな話を探していたら、昨日のバーバという名字が男性の名字で、その女性形はバーボバーになるという話を書いたので思い出した。まだ名字の女性形について、正確には男性形の名字から女性形の名字の作り方を書いていなかった。先に例外的なことから書いておくと、チェコの名字の中にも男性形と女性形が同じものもないわけではないのだ。

 最初は、一番多い例だが、男性の名詞が子音、短母音「a」か「o」で終わる場合は、女性形の末尾は「-ová」になる。子音で終わる男性名詞にはそのままつけ、母音で終わるものには、末尾の母音を取り去ってからつける。だから、日本人の名字の場合でも「a」で終わるもには、このルールが適用されることがある。タナカさんの、奥さんと娘さんはタナコバーさんになってしまうのである。
 日本人の名字を扱う上で気をつけなければならないのは、長母音「ó」で終わるものである。かなで書くと「オウ」だけど、発音は「オー」に等しく、ヘボン式のローマ字でも最近は長音記号をつけないことが多いから、ローマ字で書くと「o」になる。その結果、サトーさんがサトさんになり、その奥さんたちはサトバーさんになってしまうのである。

 これで気づいた人がいるかもしれないけど、サトバーさん、「サト婆さん」に聞こえない? チェコ語の名字の中には、いくつか女性形にすると女性の名前に「婆さん」をつけたように聞こえるものがあるのである。耳で聞いて一番びっくりしたのが、つづりも男性形もよくわからないのだけど、「美穂子婆さん」で、チェコ語だと「Michoková」になるのかなあ。男性形は「Michok」か「Michoka」か。ただし、三つともワードの校正機能で赤線が引かれているから、本来はチェコ語の名字ではないのかも知れない。
 そうなると、ちょっと母音の長短はあるけど、ハナークさんの奥さんが「花子婆さん」になるというのが一番いい例だろうか。本当は「Hanáková」だから、「ハナーコ婆さん」なんだけど、ちょっと短くするぐらいは許されるだろう。これは自分で気づいたのではなくて、ある日系企業のかたがたが使っていた冗談である。何でも本人にまで伝わってしまって使えなくなったのだとか。探せば他にも日本人の名前になりそうな「婆さん」がいるとは思うのだけど、誰か探してみない?

 閑話休題

 二つ目は、形容詞硬変化形の名詞で、男性形の語尾は「-ý」だが、女性形は「-á」となる。格変化も名詞でありながら形容詞と同じになる。オロモウツの大学に名前が冠されているパラツキーの奥さんはパラツカーさんだったわけだ。コメンスカーとか、ロシツカーとか聞きなれていないせいか、どれも違和感があるのだけど、去年のオリンピックで金メダルを取ったレデツカーはさすがに耳に馴染んできたなあ。

 三つ目は形容詞軟変化型の名字で、これは男性形と女性形が同じになる。ただし、格変化は男性と女性で異なるので注意が必要である。よく聞くこの形の名字としてはクレイチーがある。ただこれは仕立て屋を意味する名詞になってしまっているから、女性の名字としては女性の仕立て屋を意味するクレイチョバーという形を使うことも多い。でも、男性の形が長母音「í」で終わっている場合には、女性も例外的に同じ形になると考えて問題ないはずである。

 最後の一番特別なのが名詞の、特に人名の複数二格が名字になっている場合である。この場合は男性形と女性形が同じであるだけでなく、格変化も全く同じである。男性形も女性形も格変化させようがないからさ。一番有名なのは作曲家のマルティヌーだろうか。これはマルティンの複数二格が名字になったものである。他にもヤンからヤヌー、ヤネクからヤンクーなんて名字ができあがる。

 チェコの女性の名詞というのは「オバー」で終わるのが原則だけど、例外もあるのだということで、今日はお仕舞い。
2019年2月25日23時30分。

















2019年02月25日

baba nebo bába〈私的チェコ語辞典〉(二月廿三日)



 辞典で「ba」のあとに出てくる言葉が、この「baba」もしくは「bába」である。意味は「老婦人」「老婆」というのが上がっている。日本語の印象からすると、きれいな丁寧な言葉で普通に使ってもよさそうな感じだが、チェコでは、モラビアだけかもしれないけど、あまりいい意味では使われていないのだ。
 よく聞くのが「Ta baba」という表現で、意味としては「あの女」なのだろうけど、もともとの言葉の意味から「あのばばあ」的に響く。日本語でも女性に対する悪口として、若い女性に対しても使われるように、チェコ語でも若い女性のことをこの言葉で指すことがある。いわゆる「nadávka」ほど汚い言葉ではないけれどもあまり気軽に使わないほうがいい言葉の一つである。

 女性が、仲間の女性たちに「みんな」という意味で、「baby」なんて呼びかけるのはいいのだろうけど、これを男性がやると起こられそうな気もする。女性がいないところで、男性が「baby」といって女性たちのことを指すことはありそうだけど。男性が、仲間の男たち全員に呼びかけるときには、「kluci」「hoši」というどちらかというと若い男を意味する言葉を使うことが多いのに、女性は若い女の子を指す「děvčata」「holky」だけでなく、老婆を指す「baby」をも使う辺りチェコ語の特徴のひとつなのかなあ。
 ところで、自分の祖母ではなくても、老婆をさして言うときには、「babička」を使うことが多い。考えてみれば、この「babička」は「baba」の指小形ではないのか。ただ、「děd/děda」と指小形の「dědeček」は、使う状況に違いがあるとはいえ、どちらも祖父、お祖父さんの意味で使えるのに対して、「baba/bába」を祖母の意味で使うのは聞いたことがない。これも言葉のイメージが悪いほうに偏っている傍証と言っていいか。

 それに、「Ježibaba」なんて派生した言葉もある。これは昔話に出てくる悪い魔女を指す言葉である。魔法使いを指す言葉なら、「čaroděj(男)」「čarodějnice(女)」という言葉があって、男の場合には悪い魔法使いでも「ježiděda」なんて言葉はなく、「čaroděj」を使うと思うのだけど、女性の魔法使いで特に性格がゆがんでいて見てくれも醜い登場人物を「Ježibaba」と呼ぶ。ちょっと日本語の「ヤマンバ」とイメージの重なる言葉である。「ヤマンジジ」なんて言葉がないのも重なるしって日本のヤマンバは魔法は使えないんだったか。

 この「baba/bába」から造られる形容詞は「babí」で、使用例としては「babí léto」ぐらいしか知らない。これは一般には「小春日和」と訳される表現である。確か坂田靖子の漫画『バジル氏の優雅な生活』に、「貴婦人の夏」とかいうどこぞの言葉で小春日和を意味する表現を題名にした話があった。それは、貴族の夫人が、夫と愛人の間の息子を復讐のために誘惑した挙句に、それをばらして殺させるというなんとも救いのない話だったと記憶する。
 それに対して、チェコの小春日和、「Babí léto」は映画である。「babí」と言いながら、最初のうち目立っているのは老夫婦の夫のほう。いい年して詐欺師まがいのいたずらをするのが唯一の人生の楽しみみたいなとんでもない爺さんで、長年連れ添った奥さんに散々迷惑をかけた結果、愛想をつかされて離婚を切り出されてしまう。もちろんこれですんなり離婚したらチェコの映画にはならないわけで、最後には夫のいたずらのない生活の退屈さに気づいた奥さんが戻ってきて、今度は二人で大きないたずらを仕掛けるというお話。二人でお金持ちのふりをして、お城を買いたいと言って仲介の不動産屋に案内させるのだが、これ冒頭で爺さんが一人でやって失敗したいたずらで、それを最後に二人でやろうとするのである。

 なんだか、変な方向に話が向かってしまったので、最後にもう一度「bába」に戻ろう。実はこの言葉は名字になっていて、ヤロスラフ・バーバなんて人がいるわけだ。女性形は「Bábová」になるので、「bába」が名字になるのは男性だけ。チェコ語はやっぱりちょっと変な言葉である。
 ここ二日更新が遅れているのは土曜日の酒のせい。そろそろ平常運転に戻りたいところである。
style="text-align:right;">2019年2月24日24時。





バジル氏の優雅な生活4【電子書籍】[ 坂田靖子 ]














2019年02月24日

ba〈私的チェコ語辞典〉(二月廿二日)



 京都産業大学出版会から1995年に刊行された『チェコ語=日本語辞典』には、この言葉の意味は、「(ba iという形でよく使われ、強意を表す)」という説明のあとに、「それどころか、いやそればかりか、しかも」という語意が記されている。用例として上がっているのは、「mladí, ba i staří」で、その意味は「若い人たちばかりか年寄りまでもが」となっている。
 日本語訳から考えるとこのチェコ語の用例は、「nejen mladí, ale i staří」と同じような意味を持つようである。だからといって、「ale」つまり、日本語の「しかし」と同じような意味の言葉だとは言い切れないようである。とはいえ、この言葉に関しては、辞書上の意味はそれほど重要ではない。ここまで書いたような意味使い方で「ba」使うのは、見たこともなければ聞いたこともない。ということは必然的に、違った意味用法で自分でも使うということになる。

 では、自分ではどんな意味で使うかというと、チェコ語の「samozřejmě」、つまり「もちろん」「当然だよ」の意味で使うのだ。ただ「samozřejmě」が、文中で副詞的にも使うのに対して、この「ba」を使うのは、質問に対する返事に限定される。いや他の場面でも使えるのかもしれないけど、チェコ人ならぬ身にはそこまでは難しいのである。
 何か質問されて、「もちろん」と答えたいときに、「ba」と一語で返してやればいい。ただし、日本語で「バ」と一音節だけ発音するときより、少し長めに音を出したほうがいいかな。これでは短すぎるという人には、「ba že」「ba že jo」というバージョンも存在する。問題は、チェコ人に判ってもらえないことがあるということである。この使い方はどうもスロバキア語の影響を受けたものらしく、スロバキアに近いモラビアの方言かもしれないという話もある。

 以前、ある日系企業で通訳をしたときに、簡単でチェコ人に受けるチェコ語を教えてほしいと頼まれたことがある。そのときに、この「ba že」を教えて、使ってもらった。そうしたらチェコ人、笑うどころか、何の反応もせずに話を続けやがった。それで、二人して話を止めて、何で反応してくれなかったんだと問い詰めたら、二つ理由を挙げた。
 一つは日本人の「že」の発音が微妙に、チェコ人にとっては明らかに違うこと。どうも日本人の発音するジャジジュジェジョの子音は、チェコ人の耳には「ž」ではなく、前に「d」のついた「dž」に聞こえるらしいのだ。「že」が「dže」に聞こえたとか言われても、日本人の耳には同じにしか聞こえない。ここは、素直に「ba」だけにしておけばよかったぜ、畜生。
 もう一つの理由は、外国人の口から、しかもチェコはそれほど上手ではない人の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったというものだった。普段からチェコでペラペラ、場合によっては方言も交えて話している人ならともかく、普段の仕事では英語を使っている人の口から出してもらうには極端すぎる言葉だったか。うーん。方言なら「chcu(chci)」「nésú(nejsem)」辺りから始めるべきだったか。でもこの辺の言葉だと普通過ぎて笑ってもらえない可能性も……。

 ということで、「samozřejmě」の代わりに使う受けるチェコ語としては、「javor」を推薦しておこう。とある映画で、たしかリプスキーの子供向けの映画で登場した冗談なのである。チェコ人には面白いのかもしれないけど、こっちは説明してもらっても全く笑えなかった。とりあえずどんな冗談か説明しておこう。話し言葉では質問に「もちろん」と返すときに、「jasně」を使うことが多い。それを音の響きの似ている「jasan」で代用するというのが第一段階。その「jasan」は広まって普通に使われる言葉になってしまったので、さらに「javor」を使うというのがこの映画内での冗談の落ちめいたものである(冗談ではなかったかも)。
 冗談として成立するのは、「jasně」と「jasan」は音の響きが似ているだけだが、「jasan」と「javor」には「ja」で始まるという以外にもう一つ共通点がある。それはどちらも気の名前だという点においてある。「jasan」は辞書によればトネリコの木、「javor」は楓の木、つまり、新しい表現の「jasan」を覚えようとして、「ja」で始まる気の名前、「javor」だ勘違いしたということになるのである。木の名前としての「javor」はよく見かけるし、耳にすることも多いけど、「jasan」は、「jasně」の代用以外には聞いたことがないから間違いやすそうだといえば言える。

 ところで「jasně」の代用の「jasan」も最近聞かないなあと思っていたら、ズボンを買いに行ったお店のおっちゃんが連発していたのだった。ものすごく自然に使っているので、最初は気づかなかったのだけど、よく聞いたら「jasan」だった。自分でも使ってみようかなと一瞬だけ思った。でも無理だった。
2019年2月23日18時30分。






現代チェコ語日本語辞典













2019年02月23日

ホテル・アリゴネ(二月廿一日)





 オロモウツに現存するホテルの中で、一番最初に中に入ったのがこのホテルである。中に入ったとは言っても、フロントの前を通って、奥の中庭に屋根をかけて屋内にして営業しているホテル付属のレストランに入ったのが最初だけど。あれは、初めてサマースクールに参加して、受付を済ませた同曜日だったか、日曜日だったかに、オープニングの夕食会がここで行われたのである。サマースクールの食券が使える指定のレストランにもなっていたから、しばしばここで食事をしたのだけど、あんまりよく覚えていない。
 このアリゴネは、位置的にはオロモウツで最も町の中心にあるホテルだと言ってもいいかもしれない。共和国広場から、市庁舎のほうに向かってすぐのところにある左にそれていく道を、パラツキー大学のコンビクト沿いに登って行って、正面に見えてくる神学部の建物と道を挟んで右側にある。だから中心にあるのと同時に、市内では一番高いところにあるホテルだと言うこともできるか。そのため大きな荷物を抱えて宿泊する場合には、タクシーを使ったほうがいい。細い道を入り込んだところにあるけど、車一台なら通り抜けられるだけの幅はある。

 以前はレストランの入っている建物だけで営業していたと思うのだが、この辺りは古くからある小さめの建物が立ち並んでいるところなので、キャパシティの問題があったのか、現在では同じ通りののいくつかの並びの建物も改修されてホテルの一部になっている。本館には一度入ったことがあって、二階、三回に登る階段が、螺旋階段で趣があるのはよかったのだが、狭いのには閉口させられた。一人で登っていても壁に肩をぶつけてしまい、すれ違うなんてとんでもないという状態だった。
 何でこのときホテルの中に入ったんだったけとしばし考えて思い出した。オロモウツ市長の知り合いとかいう日本人が、日本で芸事をやっている人たちを連れて来て、公演を行ったんだ。そのときに頼まれて、ホテルまで案内して、年配の方が多かったから荷物を上の階の部屋まで運んだんだった。荷物持ってあの階段を上り下りするのは結構厄介だったから、さすがに改修したんじゃないかと思う。ただ、歴史的な建築物として保護されているはずなので、どこまでの改築が許されているのかが問題である。

 10年以上前の話になるけれども、日本から来た知り合いがこのホテルに泊まったことがある。当時はまだ日本からネット上で予約できるホテルが多くなく、そのうちの一つがアリゴネで、町の中心にあるから選んだと言っていた。この知人は本館ではなく、隣の隣の建物にある別館の二階に泊まったのだが、階段はまっすぐで幅広く上り下りがらくで、こちらの方が滞在には快適ではないかと思ったものである。
 ホテルの評判は、利用した知人は特に文句も言っていなかったから、値段相応には満足したのかな。ただ、あのときは、オロモウツに到着するまでに問題がいくつも発生して、予約がちゃんと取れていて泊まれただけでも大満足という状態だったからなあ。今でも覚えているのは、チェコには珍しい日本人の感覚でも土砂降りの雨に降られて、ホテルまで行くが大変だったことと、ホテルのレストランで食事中雨音がうるさくてろくに話もできなかったことである。

 そう言えば、昨年末のある日の夕方、この辺りを通ったら、新しくホテルの一部となった建物の改修工事が終わってオープニングのセレモニーをやっていた。その建物では単なるホテルでなく、流行のウェルネス設備(具体的に何を指すのかは知らない)があるらしく、開店記念に無料体験していきませんかと声をかけられた。自分の住んでいる町のホテルでウェルネストかいわれてもぴんとこないのだけど、顧客としてはオロモウツの住民を想定しているのだろうか。
2019年2月22日24時。














タグ:ホテル

2019年02月22日

左翼政権の行方(二月廿日)



 チェコの首相はいわずと知れたバビシュ氏で、バビシュ氏の所属政党は自ら結成したANOである。政党としてのANOは、一部の党員が左翼政党だと主張することはあるが、バビシュ氏自身は作用句政党であることを否定して、左翼でも右翼でもない、つまりは全方位的な政党だと主張している。しばしば「みんなのための党」という形容を使うことがあって、日本を代表する珍名政党の一つ「みんなの党」を思い出して笑ってしまう。

 市民民主党などの中道から右よりの政党は、しばしばANOに左翼政党のレッテルを貼りつけようとしているが、これは左翼だと批判することによって、2013年の下院選挙でANOに奪われた右よりの有権者の支持を取り戻すための努力の一環としての主張にしか聞こえないので、あまり説得力はない。むしろANOを批判するなら、右翼と左翼の主張のいいとこ取りで、言い方は悪いけれどもぬえのような存在になっているところであろう。
 ANOやバビシュ氏のことをポピュリズムの権化だと批判しているのだから、右と左の政党の主張の有権者に聞こえのいい部分だけを集めて自らの主張にしていることを、ポピュリズムの証拠として提示すれば面白いのに、そんなことはしない。それは恐らくANOに取り込まれた自党の主張が実はポピュリズムの発露でしかないことを、無自覚かもしれないが理解しているからであろう。ANOの主張の具体的な部分をポピュリズムだと批判することは天に唾する好意なのである。

 ANO自体は。いやバビシュ氏自身は、政治的なプログラムを策定しているから、党が右翼政党だとか左翼政党だとかいうのはどうでもいいことだと主張している。同じようなことはオカムラ氏も言っていたかな。政党を右と左に分けるのは、今の時代にはそぐわないとか何とか。個人的には、皆で本家本元争いをしてわけがわからないことになっている自由とか民主主義的なんて言葉を規準に、政党を分類するよりは、便宜的であっても左右に分けたほうがいいと思うんだけどね。

 バビシュ氏の言葉を信じてANOは全面政党だということにしても、バビシュ政権が左翼政党であることは否定できない。連立与党を組んでいるのは社会民主党だし、連立与党ではたりない下院の表を確保するために共産党と協力関係にあるのである。共産党とはANOが閣外協力に関する協定みたいなものを結んでいるのかな。そして現在その左翼政権が揺れているのである。

 権力の掌握のためには汚い手を使うことも辞さない、場合によっては暴力革命も辞さない共産党が、この政局のキャスティングボードを握った状況でおとなしくしているわけがなく、どの大臣が気に入らないとか、この大臣は無能だとか、批判し、首相に対しては解任を求める発言をして、政権に揺さぶりをかけている。バビシュ政権への影響力を高めるための駆け引きにしか見えず、相変わらずの共産党である。
 共産党が批判しているのは、一人は運輸大臣のテョク氏で、これはプラハとブルノを結ぶ高速道路の改修工事が予定通りに進まず、連日第渋滞を引き起こしていたことによるもの。テョク氏の首をもとめているのは共産党だけではないのだけど。それはともかく、運輸大臣って、誰が就任しても問題連発のポストになってしまっているから、大臣の首を挿げ替えても大差はないと思うのだけどね。

 もう一つの問題にされているポストは、外務大臣である。社会民主党が最初にノミネートしたEU議会議員のポヘ氏は、あまりにヨーロッパべったりだとしてゼマン大統領にまで忌避されて任命されることはなかったのだが、現在の外相も、共産党の主張によれば全体主義的なウクライナを支持してロシアを一方的に悪者にするという誤った外交上の立場を取っているらしい。親EU過ぎることも批判していたかな。
 ということで、特に二人目の外務大臣を交替しなければ、閣外協力の協定を破棄するといって、どこまで本気かは知らんけど、脅しをかけている。大統領や首相と直接話をして交渉したいなんてことを共産党の書記長が主張していたかな。今のところバビシュ氏は静観して、社会民主党と共産党の交渉に任せるみたいだけど。その結果次第で倒閣から内閣不在になりかねないのは楽しい状況といえるのだけど、単に倒閣に終わらず課員の解散総選挙につなげてほしいのだけど、なあなあでバビシュ政権が続くのだろうなあ。

 問題は、共産党も社会民主党も、市民民主党も世論調査の結果を恐れて、政府批判、バビシュ批判はしても解散総選挙は求めないところである。個人的には、だから、ANOに奪われた支持者を取り戻せないんだよと言いたいところである。最低あと二年は、バビシュ=ゼマン体制が続くことになるのか。うーんだなあ。
2019年2月21日24時。











2019年02月21日

事件か?(二月十九日)



 いつものように午前中を無駄に過ごして、お昼頃に職場に向かった。鉄道の踏切を越えて、植物園の入り口の前を通って、公園の中に入ると、いつもとは違った異様な(大したことはないけど)雰囲気だった。入ってすぐのところに警察の車が二台、ライトバン型の救急車が一台停まっていたのだ。救急車があるということは、病人かけが人が出たということかと思ったのだが、医者なのかなんなのか男の人が一人手持無沙汰に車の脇に立っているだけだった。
 入り口の正面の芝生が植えられたところの奥の方にある潅木の茂みに、赤と白のテープが張り巡らされていて立ち入り禁止になっているようだった。その近くに制服の警察官が二人立っていたが、この二人も、何もすることがないのか、どこか手持無沙汰にしていた。別にクリップボードを手にした私服の人もいたが、特に何か書いているという様子はなかった。警察関係者だったのか、報道関係者だったのか。
 潅木の茂みが横から見えるところまで足を進めて振り返ると、茂みの下の空間に、人間らしいものが横たわっているのが見えた。ちらっと見た限りでは、全く動いていなかったし、救急車の人も何もしていなかったから、誰かがそこで亡くなったのかなと考えて足を速めた。野次馬も集まっておらず、大騒ぎになっていないところを見ると、事件性は少なそうである。

 というような話を、うちのにしたら、「olomouc.cz」ニュースが上がっていることを教えてくれた。それによると、発見されたのは11時半ごろだというから、その少しあとにそばを通ったことになる。発見されたときにはすでに亡くなっていて、警察ではよく知っている人物だったらしい。ということは公園をねぐらにしていたホームレスのうちの一人ということになるのかな。
 冬の寒さが厳しい時期には、ニュースでもホームレスの窮状や、支援団体が様々な支援をしてる様子が報道されるが、その厳しい寒さを乗り越えて、暖かくなり始めてから亡くなったというのは、本人にとっては残念なことだろう。殺されたわけではないようなので、寒さで亡くなったのかもしれない。最初一瞬、何かの事件かと思ったときには、職場への行き帰りにここを通るのはやめようかと思ったのだけど、亡くなった方には悪いけど一安心である。

 安心していたら、「olomouc.cz」の次のニュースは、二月初めに同じ公園で、17歳の少年が男女の二人組に襲われてナイフで刺されたという事件が起こったことに関してだった。この事件については知らなかったのだが、警察では犯人を見つけられていないので、犯人が写った防犯カメラの映像を公開して、一般の人々の協力を求めることにしたということのようである。こういうのを公開捜査というんだったっけ?
 事件が起こったのは二月二日の午後十時半過ぎらしい。土曜日だから一日うちに引きこもっていたなあ。ということで証人にはなれそうもない。もしオロモウツに住んでいる方で、しかもこの記事を読んでいて、この時間帯に「スメタノビ・サディ」を通ったという人がいたら、こちらをご覧いただきたい。
https://www.olomouc.cz/zpravy/clanek/Mladika-v-parku-na-zacatku-unora-pobodali-cizinci-Policiste-prosi-o-pomoc-svedky-29731?utm_source=otvirak
 警察への情報提供は個人の信条に任せるということで。

 とりあえずは、刺された17歳の少年が怪我だけで済んだとおもわれることを喜んでおこう。問題は、こんな事件のあった公園を、通るべきか通らざるべきかである。春が来ると、モルモン教を布教に来た人たちや、神様について大声で演説をする人が現れるようになるから、避けることが多いんだけどね。まあ街灯もあるし、夜中じゃなければいいか。
2019年2月20日20時30分。











2019年02月20日

覆面作家としゃべくり探偵(二月十八日)



 森雅裕のファンだということは、推理小説が好きだということでもある。とはいえ、作者と犯人当てやトリックの解明なんかで知恵をきそうほどの頭はなく、事件発生から解決までの経過を楽しむというのがせいぜいで、探偵役の謎解きも、へえそうだったんだと疑いなく受け入れるのが関の山である。読んでいる途中に犯人を考えるなんてことをしたことがないとは言わないけど、当たったためしはない。
 だから、という接続詞が適切かどうかはわからないが、推理小説を評価するのは、推理とは直接関係のない、ストーリーの展開だったり、キャラクタノーの設定だったり、人間関係の描き出し方だったりすることが多い。少説の読者としては真っ当な読み方だと思うが、推理小説の読者としては、どうなんだろうと思わなくもない。
 推理小説にはつき物のトリックについても、特にこだわりはない。ただ、ちょっとそれはないだろうと思ったのが、所謂叙述トリックというやつで、クリスティの『アクロイド殺し』も、筒井康隆の『ロートレック荘事件』も、世評の高さにひかれて読んでみたけど、買ってまで読むほどのことはなかったと後悔することになった。推理小説の叙述の叙述の仕掛けという点で感動を覚えたのは、むしろ叙述のあり方が謎解きとはまったく関係のない二つの作品、いやシリーズだった。

 一つは、覆面作家としてデビューした北村薫の「覆面作家」シリーズである。このシリーズは角川書店から、1991年に『覆面作家は二人いる』、1995年に『覆面作家の愛の家』、1997年に『覆面作家と夢の家』の三冊が刊行され、それぞれ三篇の中篇が収められている。実際に読んだのは単行本ではなく、文庫本だったけど。

覆面作家の愛の歌 (角川文庫) [ 北村 薫 ]




 新人作家の新妻千秋が探偵役で、編集者の岡部が謎を持ち込む役なのだが、正直、どんな事件が起こったかという部分はどうでもいい。この作品が視点人物の編集者岡部の一人称で語られる一人称小説だというのは、読めばわかるはずである。それにもかかわらず、地の文に「私」「俺」などの一人称の人称代名詞は出てこないのである。そして、何より凄いのは一人称の人称代名詞を使わない一人称小説だというのに、ほぼ全編違和感なく読めてしまうところである。チェコ語に訳すのに「já」になりそうな言葉は、「こちら」ぐらいしか出てこないという徹底振りだった(と思う)。
 この小説を読んだのは、どこかで北村薫が森雅裕の小説をほめていたという話を読んで、これは読まずばなるまいと思ったからだった。同じ理由で松浦理英子にまで手を出してしまったのはできれば忘れたい過去である。とまれ、「覆面作家」シリーズは気に入って何度も再読したけれども、他にはあまり食指の動く作品はなく、北村薫といえば「覆面作家」なのである。

 もう一つは、黒崎緑の「しゃべくり探偵」シリーズである。こちらは東京創元社から二冊刊行されている。1991年に「創元クライム・クラブ」の一冊として刊行された『しゃべくり探偵』には、「ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの冒険」という副題がつけられているように、全編漫才のような関西弁のやり取りに満ちている。しかし、一番凄いのは、厳密な意味での地の文が存在しないところである。

【中古】しゃべくり探偵―ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの冒険 (創元推理文庫) [Jan 01, 1997] 黒崎 緑



 第一章は保住と和戸の会話文だけで成り立っており、第二章は手紙でのやり取りと、その中に入れられた日記、第三章はファックスと電話でのやり取り、第四章では最初から最後まで保住が謎解きのために喋り続ける。いや、途中で関係者の証言も入ったかな。でもその状況を説明する地の文は存在しないのである。

 二冊目の『しゃべくり探偵の四季』が同じシリーズから刊行されたのは4年後の1995年のことで、こちらも様々な語りの手法を用いた短編が収められている。個人的に一番気に入ったのは、床屋のおっちゃんが、刑事の髪を切りながら、殺人事件についての保住の推理を脱線しながら話して聞かせるという体裁の「注文の多い理髪店」かな。

【中古】しゃべくり探偵の四季―ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険 (創元推理文庫) 黒崎 緑




 二冊目の刊行時点で、単行本に収録されなかった、雑誌に発表された短編があるという話だったから、三冊目の刊行も近いと期待したのだが、あれから二十年以上の月日を経た現在まで刊行されていない。こういう凝りに凝った語り方を採用した作品を書くのは、普通の作品の何倍も労力を要するのだろうなあ。

 どちらのシリーズも、森雅裕の新作ほどではないけれども、次の作品の刊行を首を長くして待っている。その希望はかなえられそうもない。ちなみにこのテーマで文章を書いた理由は、昨日取り上げた『推理小説常習犯』に、北村薫を指すものかどうかはわからないが「覆面作家」が登場したことによる。忘れないうちに書いてしまえと思ったのである。
2019年2月19日23時50分。







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2019年02月19日

森雅裕『推理小説常習犯』(二月十七日)



 自転車操業の影響か、最近文章が荒い。昨日のなんか書き出しに工夫したつもりで、意味不明な書き出しになっている。うぎゃっである。あえて恥はさらし続けるが、久しぶりに書きやすいねたで書いて、文章の立て直しを図りたい。ということで久しぶりの森雅裕である。ただ思い入れも読んだ回数も少ない新しい本に関しては、あまり書けることがなく、書くのに時間がかかり、結果として文章がぐちゃぐちゃになってしまうし、『歩くと星がこわれる』については、最後の最後に書きたいということで、小説ではないという理由で、これも後回しにしてきた『推理小説常習犯』である。

 ネット上で森雅裕について書いている奇特な方々が、しばしば本書が理由となって森雅裕は出版業界からつまはじきに遭ったというようなことを書かれているが、それはちょっと違う。1996年8月に本書が刊行された時点で、すでに森雅裕はほぼ干されていた。角川、中公、新潮との関係が切れ、乱歩賞の縁で講談社との関係が細々と続いていた時期に出されたのが本書なのである。講談社とのつながり具合については、本書のあちこちに示唆されるわけだけど。
 そして、この『推理小説常習犯』を機に、KKベストセラーズが、「森雅裕幻コレクション」の刊行に踏み切ってくれ、代表作三冊と私家版一冊を刊行してくれたのだから、森雅裕にとっては復活ののろしとなり得る一冊だったと言ってもいい。同年の12月には、新たに集英社から新境地を開く時代小説を刊行しているし、その時代小説の売れ行きが悪くて3冊でおしまいになって以後小説を刊行してくれる出版社が現れなかったのが悲しすぎる。

 本書が森雅裕が干された原因だと誤解された理由は、その内容にある。前半は「オーパス」という雑誌に1991年から92年にかけて連載された「推理作家への道」をまとめたという体裁で、本文と変わらない、回によっては本文より長い後補がつけられている。後半は「ミステリー作家風俗事典」と称してミステリー作家業界のあれこれを紹介している。とこう書くとどこに問題があるのかということになるのだが、特に連載の後半部分に、雑誌、出版社、編集者などに対する抗議の文章、実態暴露、怨みつらみの文章が続出するのである。事典の中にも、こんなこと書いていいのかと思ってしまうようなものがいくつもある。
 時期的に言うと、デビュー直後に発表したという文章の再録もあるから、森雅裕はデビュー直後から、出版業界にたてついて干されかねない原因を生産し続けていたことがわかる。こういう発言は本が売れている間は、あまり問題にされないのだろうが、売れなくなると仕事を与えない理由にされてしまう。だから、本書は干された原因そのものではなく、干された結果、その原因となった文章をまとめて刊行することのなったものと言った方がいい。KKベストセラーズも思い切ったものである。いや、一番思い切ったのは森雅裕か。これで干されている状況に、ある意味止めを刺したのだから。

 理解しづらいのは、講談社、講談社の編集者の悪口万歳の本書が、後に講談社文庫、とはいっても普通の文庫ではなく講談社+α文庫に入ったことである。推理小説を管轄する文芸部門と、+α文庫を担当する部署の間の勢力争いでもあったのかなと想像してしまう。勢力争いの結果でもいいから、森雅裕の小説を刊行してくれんもんかね。復刊でもいいけど、ほとんどすべて所持している人間には変えないから新刊がいいなあ。いろいろな出版社の、森雅裕と悪しき因縁のあった偉い人たちも、そろそろいなくなっているはずだから、若手の編集者が怖いもの知らずで森雅裕に声をかけるとか、ないだろうな。森雅裕が強く批判していた頃に比してさえ、花形職業の一つに成り下がった編集者の能力は落ちているというし。

 森雅裕の小説は大好きだし、一生ファンであり続けるとは思う。ただ、事典の「折句」の最後に、「うそつきの やすうけあいを まにうけて しごと失い ねがう復習」なんて歌を詠んでしまう森雅裕も、どこか人間として間違っていると思う。同時にそんな森雅裕の書いた小説だからこそ、ファンをやめられないという面があるのも確かなんだけど。

 うーん、もう少しましなことが書けると思ったのだが。本書に関しては、機を見て折を見て改めて何か書くことになるかもしれない。
2019年2月18日23時55分。





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