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2019年02月04日

チェコスロバキア(二月二日)



 この前書いた「チェコスロバキア」の用例を探す話で、用例の古さとともに気になったのが、あのページに引用されていた『日国』こと、『日本国語大辞典』の「チェコスロバキア」の説明である。たいして長いものではないし、ジャパンナレッジの引用元挿入機能も使ってみたいので全文引用する。

第一次世界大戦後の一九一八年、チェコとスロバキアが合併しオーストリア‐ハンガリー帝国から独立して建設された共和国。三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが第二次世界大戦末期にソ連軍により解放され、四八年に社会主義共和国となる。九三年、チェコ共和国とスロバキア共和国に分離。
"チェコスロバキア", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 先ず気になるのが、冒頭の「チェコとスロバキアが合併し」という部分である。これでは二つの国が一つになったようなイメージを持ってしまう。その後の記述を考えれば二つの独立国が一つになったのではないことは明らかなので、ここに使われた「合併」という言葉が引っかかるようだ。ということで、「合併」を『日国』で引いてみる。

(2)二つ以上の町と町、国と国などが、一つになって、新しい町や市、国などをつくること。
"がっ‐ぺい【合併】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 適用できそうなのはこの二番目の意味なのだが、「国と国など」の「など」の部分に、チェコという地域とスロバキアという地域が含まれると解釈するのだろうか。町と町が合併して市になるのは、行政単位としてのレベルがひとつ上がると考えればいいから、それほど違和感はないのだけど、国の中の地域、特に行政区画ではない地名の場合に合併と言うのか。
 例えば、「四国と九州が合併して日本から独立した」というのは、どうだろうか。まだ、「福岡県と大分県が合併して日本から独立した」のほうが違和感が小さい。これは県なら、県知事、県庁という行政の主体が存在するから、その二つ主体の決定で一つになったと考えられるのに対して、九州、四国の場合には、地域として一くくりにはなっているけれども、全体を管轄する行政の主体が存在しないので、合弁の主体がはっきりしない。これがしっくり来ない原因なのだろう。

 では、チェコとスロバキアの場合はどうだろうか。現在のチェコの領域は、歴史的にはボヘミア(チェヒ)、モラビア、シレジア(一部のみ)の三つの部分から成り立っている。オーストリア=ハンガリー時代には、オーストリア側の一部のチェコ人居住地域として三つの地域を一まとまりに扱うことも多かったのではないかと思う。プラハに現在のチェコの領域を管轄する役所があったはずだし(このへんちょっとあいまい)。
 スロバキアのほうは、ハンガリー側の一部として、「上部ハンガリー」と呼ばれていたという話もあるのだが、行政単位として成立していたのかどうかは知らない。オスマントルコに攻められていた時期には、ハンガリーの首都が現在ブラチスラバに移されたこともあるし、「上部ハンガリー」というのは、ドナウ川が東流する部分より北の地域を指す言葉として使われていたのではないかと推測する。

 仮に、チェコ側とスロバキア側に行政機構があったとしても、チェコスロバキアの場合には、その行政機構の決定で一つになったのではなく、それに反抗するいわば独立派が手を握って一つの国にすることを決めたのだから、合併という言葉は使いにくい。それにチェコスロバキアの独立自体が、独立を目指す組織が何年にもわたって国内で独立運動を続けていたというようなものではない。むしろ国外でのマサリク大統領やチェコスロバキア軍団の活動のおかげで、第一次世界大戦の連合国側として認められたことが独立につながったといったほうがいい。そこに合併できるような実態があったのかどうか。

 こんなことを書いたからといって『日国』の記述を批判するつもりはない。辞書にはそれぞれ得意分野と苦手分野があるモノだし、外国の地名なんて『日国』にとって一番弱い部分だろう。そもそも辞書に事典的な記述を求めるのも無理な話である。それに、チェコとスロバキアが分離してそれぞれ独立国となった現在から見れば、チェコとスロバキアが合併してという記述に違和感を持つ人も少ないのかもしれない。
 ということで、他の辞書はどう説明しているか確認してみる。同じくジャパンナレッジに入っている『デジタル大辞泉』にも『日国』とほぼ同様の以下の記述がある。

チェコとスロバキアが合併して、1918年にオーストリアハンガリー帝国から独立し、建設された共和国
"チェコスロバキア【Czechoslovakia】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03)



 ちなみに百科事典には、「チェコとスロバキアが合併して」という記述はないが、『日本大百科全書』の総論の部分では、「第一次世界大戦後、両国は独立国チェコスロバキアを形成」("チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03))と、これも今日の二つの独立国の存在を前提にした記述がなされている。
 こうなると、チェコスロバキアが分離する以前の記述を見て見たいものである。辞書がデジタル化されて検索などが便利になったのはいいのだけど、過去の版の記述を見られるような機能はついていないからなあ。

 もう一つの気になる点については稿を改める。
2019年2月2日22時55分。










posted by olomoučan at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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