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2019年02月16日
「朝の読書」運動(二月十四日)
最近知ったのだが、日本では小学校から高校まで「朝の読書」という活動が広がっているらしい。取次大手のトーハンのサイトの一角に置かれた公式ページによれば、「毎朝、ホームルームや授業の始まる前の10分間、生徒と教師がそれぞれに、自分の読みたい本を読む」という活動だという。これをうらやましいと思うか、10分では足りないと思うかは、人それぞれだろうが、「読みたい本を読む」というところが素晴らしい。
思い返せば毎年の夏休みに、文部省推薦とかいう課題図書を与えられて読書感想文を書くことを宿題として課されていた。あの課題図書のすべてがつまらなかったというつもりも、読んで損したというつもりもないが、読書感想文には閉口した。あれの繰り返しで作文を書くこと自体が嫌いになって、高校まで国語の課題の作文は、無難すぎる内容の誰が書いても同じになるようなものしか書かなかった。提出を拒否したこともあるかもしれない。
嫌いになったのは作文だけで、読書自体は子供の頃から好きで、課題図書にも読書感想文にもめげずに続けたのだが、中にはあれで読書自体が嫌いになってしまったという人もいるんじゃなかろうか。本を読むというのは、自分の読みたい本を読むから楽しく、繰り返し読みたいと思えるのであって、強制されたのではどんなに面白い本でも、面白さは多少減る。
そう考えると、この「朝の読書」運動のただ読むだけで、読書に何の課題も付随しないというのは素晴らしいし、何で我々の時代にもなかったんだろうと不満に思ってしまう。活動が始まったのが1988年、千葉県でのことだというから、もう何年か遅く生まれていたら、この運動が九州にまで到達していたかもしれないのか。ちょっと残念である。我が読書の癖から考えると10分では到底足りず、授業が始まってからも読み続けて先生に怒られるというのを繰り返していたかな。
問題は、この朝の10分の読書が何をもたらすかである。すでに1980年代には若者の活字離れというものが問題になっていて、本を読まずに漫画しか読まないと批判されていた。最近は漫画すら読まないと言って嘆いている人がいるけれども、「朝の読書」運動のおかげで現状で済んでいると見るべきなのか、「朝の読書」運動は読書の習慣を定着させるのに役立っていないと見るべきなのか。
そもそも活字離れ、漫画離れというのは事実なのだろうか。昔から本を読まない人は読まなかったはずである。本の売り上げが落ちたことを活字離れに直結させているだけではないのだろうか。かつては買っても読んでいない本が多々あり、現在はネット上で読書をする人がいることを考えれば、読書量自体はそんなに変わっていないような気もする。本を所有することにこだわらない人も増えていそうである。特にアパートなんかに一人暮らししていると本の置き場というのは大きな問題になるし。
仮に活字離れを嘆くのであれば、大学に進学するような層の読書量の少なさを嘆くべきであろう。ただ、これも大学生が本を読まなくなったのではなく、大学進学率が急速に高まった結果、昔は大学に進学していなかった、本を読まない学生までもが大学に行くようになったと考えたほうがよさそうである。本を読まない、読めない学生が大学で何をするんだという疑問はおくとしても、何でもネットで調べておしまいってんじゃ、大学に行く意味はほぼあるまい。
個人的には、活字離れが叫ばれ、本を読む人が少なくなったと嘆かれている中で、どうして「小説家になろう」や「カクヨム」などの小説投稿サイトが盛況なのか理解しかねていたのだが、この「朝の読書」が一定以上の本を読む習慣を持つ人を育てている証拠だと考えてもいいのかもしれない。読書経験なくして、自分が小説を書こうなんて考える人はいないだろうし、好きな作品、好きな作家のようなものを書きたいと考えて筆を執る人が多いはずである。
ならば、現在の出版社の嘆きは、活字離れ、漫画離れではなく、「朝の読書」運動で読書を習慣にした子供たちを読書に引き留めきれなかった出版社自身に責任がある。恐らく図書館で本を借りることの多いだろう「朝の読書」の読者を、本を買う読者に育てられなかったのが一番いけない。この活動の公式ページが、取次のサイトに置かれていることからも、「朝の読書」が本の売り上げに寄与することが期待されていたのは間違いない。その結果がどうだったのかは知らないが、
あまり本を読まない子供の読むスピードを考えて、1日10分読んで、1か月で読み終わるような量の本を編集して、月のお小遣いの10分の1ぐらいで買えるような値段で出すとか、「朝の読書」に参加している学校の子供は、指定の書店で、協力している出版社の本(種類を限定してもいい)を月に1冊まで半額で買えるようにするとか。近所の書店と協力して学校で、毎月一人一冊しか買えない直売会をやってもいいだろう。それに、購入するのは生徒本人でなければいけないという条件を付けておけば、本を買って読むのを当然だと考える子供が増えたと思うのだけどね。ここまでくると、提言というよりは自分の頃にこんな制度があったらなあという願望でしかないなあ。ただ、出版社や取次の倉庫で眠らせておくぐらいなら安く売ったほうがマシじゃないのかとは思う。
ちなみに、「朝の読書」運動の公式ページでは、この活動によって、学習力が向上したり、問題行動が減ったりするなどという効果も書かれている。ということは、活動に参加している学校の中には、こういう効果を目的にして朝の読書を導入したところもあるのだろう。これは気に入らない。読書は、読書自体が目的であるべきであって、こんな目的のために読書をさせるのは不純極まりない。こんなよこしまな考えだから、本が売れなくなるのだ。ってここで批判すべきは出版社でなく、学校か。
それはともかく、子供の頃から毎朝本を読むのはいいことだし、学校教育の一環として堂々と毎日本が読めるのはうらやましいと思ってしまうほどである。
2019年2月15日20時25分。
高い。子供ではなく、学校の図書館に買わせることを考えているのだろう。
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タグ:読書