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2019年02月06日
おくじらさま(二月四日)
日本がようやくIWCを脱退することを決めたからか、鯨をめぐる記事を目にすることが増えてきた。その中で読んだ甲斐があったのが、本の紹介記事のようにも読める「JBpress」という雑誌のこの記事。『おくじらさま 二つの正義の物語』という本をもとに捕鯨について考察を加えている。本はドキュメンタリー映画監督の佐々木芽生氏が、『おくじらさま』という映画を製作した際の取材をもとに書かれているらしい。
記事によれば、ドキュメンタリー作家の佐々木氏は、捕鯨賛成派、反対派のどちらにも偏らないことを形で、『おくじらさま』を製作したらしい。記事には書かれていないが、アマゾンの本のページに転載された「週刊文春」の書評によれば、ドキュメンタリー映画を撮影したのは、映画「ザ・コーヴ」を見たことがきっかけとなっているという。
「ザ・コーヴ」は内容も噴飯ものだったらしいが、何よりも糾弾されるべきは、あれをドキュメントとして称してしまえる捕鯨反対派のメンタリティであろう。あれがドキュメントで通るなら、日本のテレビにやらせは存在しないなんてコメントを当時聞いたような記憶もある。そして、ドキュメントとして受け入れて、疑うことを知らない人々の知性も疑うべきかもしれないが、ここはむしろ環境保護団体、反捕鯨団体に特有の黒を白と言いくるめる狡猾さを責めるべきであろう。人は正しいことではなく、信じたいことを信じるのだと断じてもいいか。
残念ながら、現在の環境問題に関する認識は、環境保護活動家たちの目的のためには手段を選ばない、針小棒大どころか、ないものをあることにしてしまうような言説によって、ゆがんだ形になってしまっている。その結果、一部の信者を除けば、環境破壊、環境保護に関するニュースに対して、特に日本では、眉に唾をつけてしまうことが多い。自業自得としか言いようのない事態なのだけど、『沈黙の春』って落ち着いた筆致の事実をして語らしむるスタイルじゃなかったっけ。ドイツ辺りでは、環境保護活動家の発言を真に受けてしまう若者が多いという話もあるから、EUの将来が心配になってしまう。
話を戻そう。記事では捕鯨賛成派の「伝統」を守ろうとする主張と、反捕鯨派の捕鯨は「残酷だ」という主張は、ずれていて議論としてかみ合うことはないという。そして、かみ合わない議論をかみ合わせて理解できるようにするには、本の副題にある「二つの正義」を引いて、自分のものとは違うもう一つの「正義」の存在を認めることが大事なのではないかと一応の結論を付けている。本と同じように、二つの正義に対してあえて優劣はつけず、それは読者に任せるということのようにも読める終わり方だった(と思う)。
ということで、捕鯨賛成派の「伝統を守る」という正義と、捕鯨反対派の「捕鯨は残酷だ」という正義を比べてみようと考えたところで、この文章を書くのがストップしていた。特に考えなくても「伝統を守る」正義のほうに理があるのは明白である。そもそも「捕鯨は残酷だ」という単なる感情でしかないものを正義にしてしまう時点で、捕鯨反対派の正気を疑ってしまう。というよりは、これまで掲げてきた正義がすべてつぶされて、これしか残っていないのかもしれないけども、続きを書く意味があるのか、懐疑してしまったのである。
せっかくここまで書いたのをお蔵入りにするのは忍びないので、ここまでを枕にして、捕鯨を巡る二つの正義について考えたことを書くことにする。当然、稿を分けることになるんだけどさ。ということでまた次回。
2019年2月5日22時。