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2019年02月08日

USBメモリーその後(二月六日)



 昨年末に、恐らくコネクターと本体の接続部分がおかしくなって、使用不能になったUSBメモリーだが、しばらくは別のUSBメモリーを代替に使用していた。ただ、これもあれこれあって、コネクターの部分が歪んでいるようにも見えるので寿命がいつ来るとも限らない。仕事用の奴は金属製でこれなら多少ぶつかっても壊れそうにないのだけど、ぶつかった場合はPC側のUSBポートに悪影響が出そうである。今回の件を教訓に、同じ間違いは二度としないと言い切れるほどには自分を信用できないのである。

 以前使っていたノートパソコンにはSDカード用のスロットがついていたので、ソニーのリーダー用に作成したPDFファイルを、リーダーを接続することなくカードにコピーすることができていたので重宝していた。新しいノートにはSDカード用のスロットは付いていないと思い込んでいたのだが、最近ついていることが判明した。おまけに電車の中で使う小さめのノートにもついているじゃないか。以前と違ってリーダーでもSDカードを使わなくなっていたから、探しもしなかったのである。
 SDカードなら、使用時に本体から突出している部分がなくなるから、悲劇は起こりにくそうである。USBメモリーにも小さいのがあるのだが、それだと衝突事故が起こるのは防げそうだけど、紛失の恐れが高くなる。それで、使えなくなったUSBメモリーに替えてSDカードを導入することにした。このときは、ソニーのリーダー用に購入したのに、なぜか使用できなかったSDカード(正確にはSDの後ろに二つアルファベットがつく)があるので、それをフォーマットし直して使えばいいと簡単に考えていたのである。

 そもそもソニーのリーダーで使えなかった理由はよくわからないのだが、使えたカードにはAかCと書かれていて、使えなかったのはEだったから、規格が微妙に違ったのだろう。PCならこのぐらいの規格の差は、誤差として飲み込んでくれるはずだと、使用する可能性のある何台かのPCのSDスロットに入れてみた。一台目で、リーダー用のフォーマットがなされていることが確認できた。フォーマットはできたけど読めなかったということなのだろうか。あいかわらず、よくわからん世界である。
 念のためにフォーマットして、使えることを確認した上で、二台目、三台目のPCで確認したのだが、3勝1敗だった。一台なら、メインに使っているのでは使えるから、使えなくても問題があるというわけではないが、できればすべてで使えるほうがありがたい。どうせワードの文書を詰め込むだけだから、昔(2012年ぐらいまでかな)何枚も購入した2Gのもので十分だろうと思って、電気屋に足を向けた。
 こんなのがほしかったわけだ。↓






 だけど、電気屋に2GのSDカードなんて影も形もなかった。32Gとか64Gとか、そんなに文章書けませんと言いたくなるようなものばかりで、店員の話によるとデジタルカメラでビデオを撮影して保存するのに使えるような規格で、昔のと比べると速度が段違いなのだそうだ。文章をちまちま書くのにスピードなんていらんよなあ、それに容量が大きいこともあって予想外に高いし。
 それがこんなの。↓ お店で見たのには直接「video」と書いてあったような気もする。






 店員に小さいのはないのかと聞くと、マイクロSDカードというのに16Gのがあると教えてくれた。サイズまで小さくてなくしてしまいそうだけど、原則としてSDカードと同じサイズのアダプターに入れて使うことになるからそこは問題ない。値段も予想よりは高かったけど、想定していたのが2GのSDカードだから比べちゃいけない。ということで、こんなのを買ったわけである。↓






 それからしばらくは、どのPCでも一部の例外を除いて、問題なく使えていたから、定期的に中身をハードディスクにバックアップしながら使っていれば、壊れたUSBメモリーと同様、数年はこのまま使えるものと思っていた。例外的な不具合は、たまに上書き保存ができなくなったり、SDカードへの保存自体ができなくなったりするものだったが、別のPCでは問題なく使用できたし、問題の起こったPCでも次の日には普通に使えたから、一時的なものでしかなかった。
 だから、安心していたのだよ。それなのに、SDカード、いやマイクロSDカードはその信頼を裏切らなかったのだけど、PC本体が、いやノートパソコンのSDカードスロットがいかれてしまった。或る日取り出そうとして、一度押し込んで手を放したら途中で引っかかって出てこなかった。そのときには何とか引っ張り出すことはできたのだが、次に入れようとしたら入らなくなってしまった。使い始めて一月にしかならないのに……。PCはもう何年も使っているけど、このスロットはずっと使っていなかったのだ。

 再び電気屋へと足を向け、最初は小さなUSBメモリーを、なくしやすいというリスクは覚悟の上で買おうと考えたのだけど、こんなのを、全く同じじゃないかもしれないけど見つけた。↓


ADATA AOTGMRBK microSDカードリーダー USB2.0 OTG対応 Aコネクタ MicroBコネクタ スライド式 ブラック




 マイクロSDカードをUSBポートに接続できるようにするアダプターである。これなら今のマイクロSDカードがそのまま使えるし、電車の中など外で使うときには念のためにSDカードのスロットを使うこともできる。コネクタの部分にキャップを付けるとそれなりの大きさだけど、PCに接続すると出っ張るのはほんのちょっとだから、そのままでもいいかな。

 気になるのは、SDカードも、USBメモリーもフラッシュメモリーと呼ばれるタイプのもので、寿命がそれほど長くないという話である。何年かに一回新しいのに交換する必要があるのかなあ。面倒だなあ。オンラインストレージがいいんじゃないかという人もいるけど、それもなあ。とりあえず、マイクロSDが使えなくなるまでは今のままでいいや。
2019年2月7日20時。



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posted by olomoučan at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2019年02月07日

エベン(二月五日)



 コメンスキー研究者のS先生のブログを覗いたら、こんな記事があった。ちょっと前の記事で、実はこれを読んだときにすぐ書こうと思ったのだけど、なんだかんだで後回しにしてしまったのである。
 この記事のどこに目を止めたのかというと、コメンスキーの本の即売サイン会が行われたというのも気になるし、日本の教会でチェコの現代音楽のコンサートが行われたというのも隔世の感を抱かせて感慨深いのだけど、最も興味を引いたのは現代音楽の作曲家の名前である。ペトル・エベン。この人の名前を直接知っているというわけでも、音楽を聞いたことがあるというわけでもないのだが、なぜか気になる。

 音楽関係で、名字がエベン? あれだ。ということで思いついたのが、マレク・エベンの名前である。現在ではチェコテレビがBBCのフォーマットを購入して毎年のように秋口から年末にかけて放送している「スター・ダンス」という番組などの司会者として知られているが、もともとは、子役としてテレビや映画に出演していて、俳優として活躍していた。あれこれ多彩な人で、文学などの教養にもあふれており、スビェラークと並んで、俳優という存在が国を代表する知性となりることを体現する人物だと言ってもいい。

 そのエベンは昔から音楽活動もしていて、作詞や作曲も手掛けたことがあるはずである。二人の兄弟と組んだ「エベン兄弟」というグループでコンサート活動を行うこともある。ジャンルとしてはジャズっぽいのからロック、フォークっぽいのまで結構幅広いのかな。そこで考えた。もしかしたら、マレク・エベンの兄弟のうちの一人が、ペトル・エベンという名前なんじゃないかと。ジャズなら現代音楽から遠くないと言えなくもない。
 それで、調べてみたところ、兄の方はクリシュトフ・エベンで理学博士号を持つ気象学者が本業の人物だった。弟はダビット・エベンでこちらも博士号を持つ音楽史の教授で、俳優が本業のマレク・エベンと三人で、いわば副業として音楽活動を行っていたということのようなのだが、その彼らの音楽の才能の源泉が、ペトル・エベンだったのだ。つまり、ペトルは、エベン三兄弟の父親だったのである。知らんかった。

 ペトル・エベンについては、S先生のブログを見てもらうことにして、ここで取り上げるべきは、やはり、マレク・エベンであろう。俳優としてのマレク・エベンのもっとも有名な役は、子役時代の「Kamarádi(友達)」というテレビドラマのバーレチェク役である。60年代の終わりから70年代の初めにかけて放送されたこのドラマは、その後も繰り返し再放送されたらしく、うちのもしばしばマレク・エベンのことをバーレチェクと呼ぶことがある。
 最近は再放送されることがないのか、される時間が合わないのかで、ちゃんと見たことはないのだけど、ちょっと太めの、ちょっとのんびりした男の子を演じてい他と記憶する。役名からしてバーレチェク(Váleček)、つまり円柱を意味するバーレツ(válec)の指小形からできた言葉だし、丸っこいというイメージの子供の役で、マレク・エベンはそんな子供だったのだろう(って、今確認したらそこまで丸くないなあ。記憶違いかなあ)。

 一方、司会者としては、チェコでもっとも高く評価されていて、「スター・ダンス」以外にもチェコテレビで外国の映画、演劇関係者を招いて英語でインタビューする番組を続けているし、毎年カルロビ・バリで夏に行われる国際映画祭の最終日の表彰式の司会役も長年にわたって続けている。その司会ぶりは達人の域にあり、知的に過ぎる冗談がすぐに理解されずに、笑いが起こるまでに時間がかかることもあるけれども、チェコで美しいチェコ語を崩さずに話し続ける品位のある司会者となるとこの人以外に選択肢はほとんど存在していない。
 以前聞いたマレク・エベンに関する冗談(実話かどうかは知らない)は、モラビアの怪優ボレク・ポリーフカに対して、「ポレーフカさん」と呼びかけたというものだった。名前を呼び間違えたのの何がおかしいのか最初はわからなかったのだが、説明されて、人名であっても口語形である「ポリーフカ」は使わず、正しいチェコ語の「ポレーフカ(スープ)」を使うのがエベンだというのが笑いのツボらしい。やっぱ、チェコ人の冗談はよくわからんや。

 とまれ、奥さんが足を悪くして車いす使用者だということもあって、チャリティー活動にも熱心で、スビェラークの主催する財団のチャリティーイベントの司会も務めていたかな。そんなこともあって、この人なら、熱心なゼマン主義者たちや、バビシュ支持者たちの反発を買うこともなさそうだから、政党色のない、政治性のない大統領として、次の大統領候補になりうるんじゃないかとこっそり期待している。モラビア出身じゃないのがちょっと残念だけど、クラウス大統領の息子とか、去年の選挙で完全に反ゼマンの色がついてしまった候補者たちよりは、国民を一つにまとめる大統領になれるのではないかと思う。
2019年2月6日22時30分。





今じゃあこんなものまで手に入るんだねえ。

【輸入楽譜】エベン, Petr: プラハ・テ・デウム (ラテン語) [ エベン, Petr ]













タグ:テレビ
posted by olomoučan at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年02月06日

おくじらさま(二月四日)


おクジラさま ふたつの正義の物語






 日本がようやくIWCを脱退することを決めたからか、鯨をめぐる記事を目にすることが増えてきた。その中で読んだ甲斐があったのが、本の紹介記事のようにも読める「JBpress」という雑誌のこの記事。『おくじらさま 二つの正義の物語』という本をもとに捕鯨について考察を加えている。本はドキュメンタリー映画監督の佐々木芽生氏が、『おくじらさま』という映画を製作した際の取材をもとに書かれているらしい。

 記事によれば、ドキュメンタリー作家の佐々木氏は、捕鯨賛成派、反対派のどちらにも偏らないことを形で、『おくじらさま』を製作したらしい。記事には書かれていないが、アマゾンの本のページに転載された「週刊文春」の書評によれば、ドキュメンタリー映画を撮影したのは、映画「ザ・コーヴ」を見たことがきっかけとなっているという。
 「ザ・コーヴ」は内容も噴飯ものだったらしいが、何よりも糾弾されるべきは、あれをドキュメントとして称してしまえる捕鯨反対派のメンタリティであろう。あれがドキュメントで通るなら、日本のテレビにやらせは存在しないなんてコメントを当時聞いたような記憶もある。そして、ドキュメントとして受け入れて、疑うことを知らない人々の知性も疑うべきかもしれないが、ここはむしろ環境保護団体、反捕鯨団体に特有の黒を白と言いくるめる狡猾さを責めるべきであろう。人は正しいことではなく、信じたいことを信じるのだと断じてもいいか。

 残念ながら、現在の環境問題に関する認識は、環境保護活動家たちの目的のためには手段を選ばない、針小棒大どころか、ないものをあることにしてしまうような言説によって、ゆがんだ形になってしまっている。その結果、一部の信者を除けば、環境破壊、環境保護に関するニュースに対して、特に日本では、眉に唾をつけてしまうことが多い。自業自得としか言いようのない事態なのだけど、『沈黙の春』って落ち着いた筆致の事実をして語らしむるスタイルじゃなかったっけ。ドイツ辺りでは、環境保護活動家の発言を真に受けてしまう若者が多いという話もあるから、EUの将来が心配になってしまう。

 話を戻そう。記事では捕鯨賛成派の「伝統」を守ろうとする主張と、反捕鯨派の捕鯨は「残酷だ」という主張は、ずれていて議論としてかみ合うことはないという。そして、かみ合わない議論をかみ合わせて理解できるようにするには、本の副題にある「二つの正義」を引いて、自分のものとは違うもう一つの「正義」の存在を認めることが大事なのではないかと一応の結論を付けている。本と同じように、二つの正義に対してあえて優劣はつけず、それは読者に任せるということのようにも読める終わり方だった(と思う)。

 ということで、捕鯨賛成派の「伝統を守る」という正義と、捕鯨反対派の「捕鯨は残酷だ」という正義を比べてみようと考えたところで、この文章を書くのがストップしていた。特に考えなくても「伝統を守る」正義のほうに理があるのは明白である。そもそも「捕鯨は残酷だ」という単なる感情でしかないものを正義にしてしまう時点で、捕鯨反対派の正気を疑ってしまう。というよりは、これまで掲げてきた正義がすべてつぶされて、これしか残っていないのかもしれないけども、続きを書く意味があるのか、懐疑してしまったのである。
 せっかくここまで書いたのをお蔵入りにするのは忍びないので、ここまでを枕にして、捕鯨を巡る二つの正義について考えたことを書くことにする。当然、稿を分けることになるんだけどさ。ということでまた次回。
2019年2月5日22時。
posted by olomoučan at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年02月05日

チェコスロバキア2(二月三日)



『日国』の「チェコスロバキア」の記述でもう一つ気になるのが、「三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが」という部分である。一般にこのときのナチスドイツによるチェコスロバキア第二共和国の解体については、チェコ側は「保護領」になり、スロバキア側は、ナチスの庇護の下で独立したといわれることが多い。
 スロバキアについては書かれていないので置くとして、このチェコの保護領化を「併合」という言葉で表していいものなのだろうか。チェコスロバキアの歴史で、併合という言葉をよく使うのは、1938年のミュンヘン協定によって決められた、ズデーテン地方の、チェコ側から見れば割譲、ドイツ側から見れば併合である。このとき、ズデーテン地方は完全にドイツの一部として、行政機構なども統一されたのだろうか。

 さて、併合という言葉から真っ先に連想される歴史的な事件は、「日韓併合」である。すでに日本の保護国(被保護国とも)になっていた朝鮮半島を併合して日本の領土にしたという事件なのだが、併合された朝鮮半島が保護領と呼ばれていたかどうかはわからない。総督府が置かれて行政を管轄していたのは、ボヘミア・モラビア保護領と同じだが、朝鮮の総督府自体は、保護国時代にすでに置かれたものではなかったか。と書いておいて念のために調べてみたら、総督府がおかれたのは日本が朝鮮半島を併合したあとのことで、それまでは、統監府という統治機関がおかれていたらしい。伊藤博文は総督ではなく、統監だったというわけだ。
 日本統治時代の朝鮮半島や台湾については、植民地だったと言われることもあるが、本国から遠く離れた欧米諸国の植民地とは地理の面でも趣を異にしているし、欧米流の本国と植民地を完全に切り離した統治とは違って、最終的な日本への同化を目指していたことを考えると、その良し悪しはおくとしても、一方的に搾取されたアジア、アフリカの欧米植民地と一緒にするのは乱暴というものであろう。

 チェコの保護領時代も完全にドイツと一体化されたというわけではないが、だからといって植民地と呼ばれるような立場でもなかった。そう考えると日本統治下の朝鮮半島、台湾との類似性が意外と高いことに気づく。となれば、問題となるのは保護領である。チェコの歴史を語る際には所与のものであるかのように迷いなく使用しているけれども、保護領というのが何なのか真面目に考えたことはない。
 ということで、ジャパンナレッジで検索してみると、意外なことに国語辞典で保護領を立項しているものはなく、百科事典でも『日本百科全書』にはなく、『世界大百科事典』にしかなかった。他に保護領を見出し語として立てているのは外国語系の辞書が三冊あるだけだった。その『世界大百科事典』の記述を一部省略しつつ引用する。


植民的保護領ともいう。(中略)保護領は,概してその後,植民国に併合された。(中略)保護領は,なんらの国際的地位をももたない点で,半主権国としての被保護国(保護国・被保護国)とは異なる。(中略)保護領の性格は国際法的というより国内法的(憲法的)であるから,たとえばケニア保護領が植民地としてイギリスに併合されたとき,その変更は,国際法上,問題とならなかった。
"保護領", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 これからわかるのは保護領という言葉が、大抵は植民地化の過程で登場し、最初に保護領にした上で、植民地にするという手続きが取られた例があるということと、保護領は保護国とは違うということだろうか。しかし、和英辞典によると保護国も保護領も「a protectorate」と訳されるようなのだ。
 そうすると、保護領という言葉が、第二次世界大戦中のチェコの領域に対して使われたのは、保護国と違って国際的な地位も、半主権も持たず、植民地でもなく、かといって本国と完全に一体化していたわけでもないという微妙な状態を表すために選ばれた言葉だと考えるのがいいのだろうか。何気なく使ってきたが、改めて考えてみると正しいのか不安になってしまう。
 では、台湾や朝鮮半島はと考えると、『世界大百科事典』の植民地的保護領という意味ではなく、ボヘミア・モラビア保護領とあり方が似ている(本当に似ているかどうかは要検討だけど)という観点から、植民地というよりは保護領と言うのが適切なような気もしてくる。この辺の用語は使う人の政治的な立場によっても変わりそうだけど。

 ちなみに、チェコ語で保護領は「protektorát」、併合は「anexe」である。もちろん国家の行為である「併合」と、行為の結果である「保護領」とを同じレベルで比較することはできないし、この手の歴史用語の選択には民族のプライドというのもかかわっているのはわかっているので、これから何らかの結論を出すつもりはない。
 なんてことを考えていたら、以下の記述を見つけた。


1939年3月にドイツはチェコ地方全体を保護領として併合し、スロバキアはドイツの保護国として独立した。
"チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-05)



 結局、これが一番穏当な解決方法ということになるのかな。辞書にしても事典にしても解説を書くのは大変そうである。どうにもこうにもしょうもない落ちで終わってしまった。
2019年2月3日24時25分。










posted by olomoučan at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月04日

チェコスロバキア(二月二日)



 この前書いた「チェコスロバキア」の用例を探す話で、用例の古さとともに気になったのが、あのページに引用されていた『日国』こと、『日本国語大辞典』の「チェコスロバキア」の説明である。たいして長いものではないし、ジャパンナレッジの引用元挿入機能も使ってみたいので全文引用する。

第一次世界大戦後の一九一八年、チェコとスロバキアが合併しオーストリア‐ハンガリー帝国から独立して建設された共和国。三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが第二次世界大戦末期にソ連軍により解放され、四八年に社会主義共和国となる。九三年、チェコ共和国とスロバキア共和国に分離。
"チェコスロバキア", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 先ず気になるのが、冒頭の「チェコとスロバキアが合併し」という部分である。これでは二つの国が一つになったようなイメージを持ってしまう。その後の記述を考えれば二つの独立国が一つになったのではないことは明らかなので、ここに使われた「合併」という言葉が引っかかるようだ。ということで、「合併」を『日国』で引いてみる。

(2)二つ以上の町と町、国と国などが、一つになって、新しい町や市、国などをつくること。
"がっ‐ぺい【合併】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 適用できそうなのはこの二番目の意味なのだが、「国と国など」の「など」の部分に、チェコという地域とスロバキアという地域が含まれると解釈するのだろうか。町と町が合併して市になるのは、行政単位としてのレベルがひとつ上がると考えればいいから、それほど違和感はないのだけど、国の中の地域、特に行政区画ではない地名の場合に合併と言うのか。
 例えば、「四国と九州が合併して日本から独立した」というのは、どうだろうか。まだ、「福岡県と大分県が合併して日本から独立した」のほうが違和感が小さい。これは県なら、県知事、県庁という行政の主体が存在するから、その二つ主体の決定で一つになったと考えられるのに対して、九州、四国の場合には、地域として一くくりにはなっているけれども、全体を管轄する行政の主体が存在しないので、合弁の主体がはっきりしない。これがしっくり来ない原因なのだろう。

 では、チェコとスロバキアの場合はどうだろうか。現在のチェコの領域は、歴史的にはボヘミア(チェヒ)、モラビア、シレジア(一部のみ)の三つの部分から成り立っている。オーストリア=ハンガリー時代には、オーストリア側の一部のチェコ人居住地域として三つの地域を一まとまりに扱うことも多かったのではないかと思う。プラハに現在のチェコの領域を管轄する役所があったはずだし(このへんちょっとあいまい)。
 スロバキアのほうは、ハンガリー側の一部として、「上部ハンガリー」と呼ばれていたという話もあるのだが、行政単位として成立していたのかどうかは知らない。オスマントルコに攻められていた時期には、ハンガリーの首都が現在ブラチスラバに移されたこともあるし、「上部ハンガリー」というのは、ドナウ川が東流する部分より北の地域を指す言葉として使われていたのではないかと推測する。

 仮に、チェコ側とスロバキア側に行政機構があったとしても、チェコスロバキアの場合には、その行政機構の決定で一つになったのではなく、それに反抗するいわば独立派が手を握って一つの国にすることを決めたのだから、合併という言葉は使いにくい。それにチェコスロバキアの独立自体が、独立を目指す組織が何年にもわたって国内で独立運動を続けていたというようなものではない。むしろ国外でのマサリク大統領やチェコスロバキア軍団の活動のおかげで、第一次世界大戦の連合国側として認められたことが独立につながったといったほうがいい。そこに合併できるような実態があったのかどうか。

 こんなことを書いたからといって『日国』の記述を批判するつもりはない。辞書にはそれぞれ得意分野と苦手分野があるモノだし、外国の地名なんて『日国』にとって一番弱い部分だろう。そもそも辞書に事典的な記述を求めるのも無理な話である。それに、チェコとスロバキアが分離してそれぞれ独立国となった現在から見れば、チェコとスロバキアが合併してという記述に違和感を持つ人も少ないのかもしれない。
 ということで、他の辞書はどう説明しているか確認してみる。同じくジャパンナレッジに入っている『デジタル大辞泉』にも『日国』とほぼ同様の以下の記述がある。

チェコとスロバキアが合併して、1918年にオーストリアハンガリー帝国から独立し、建設された共和国
"チェコスロバキア【Czechoslovakia】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03)



 ちなみに百科事典には、「チェコとスロバキアが合併して」という記述はないが、『日本大百科全書』の総論の部分では、「第一次世界大戦後、両国は独立国チェコスロバキアを形成」("チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03))と、これも今日の二つの独立国の存在を前提にした記述がなされている。
 こうなると、チェコスロバキアが分離する以前の記述を見て見たいものである。辞書がデジタル化されて検索などが便利になったのはいいのだけど、過去の版の記述を見られるような機能はついていないからなあ。

 もう一つの気になる点については稿を改める。
2019年2月2日22時55分。










posted by olomoučan at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月03日

hontoからメールが来て本を買った(二月一日)



 ホントからきたキャンペーンの案内でも、クーポンの案内でもないメールは、ポイントの有効期限が切れるというものだった。ホントで本を買うと、購入額の1パーセントかそこらのポイントがつくことは知っていたし、ちょっと使ったこともあるような気もするのだが、有効期限はもっと長いものだと思っていた。確認したら、獲得した日から一年間だった。
 お知らせによれば現時点で550ポイントぐらいあるうち、250ポイントぐらいが一月末で有効期限が切れるという。ポイントなんて、なくなったらなくなったでかまわないのだけど、こういう案内が、一回だけでなく何回か来ると、放置するのも申し訳ないような気になってしまう。ということでポイントを使って、本を買うことにした。紙の本を買うと送料にもならないので、今回は電子書籍一択である。

 特に読みたい本があって本を買うわけではないので、できるだけポイントでまかなえる範囲のものを探すことにした。最初に思いついたのが、我が読書のSFの時代の礎を築いた高千穂遙の作品である。朝日ソノラマが倒産した後、ソノラマ文庫の『クラッシャー・ジョウ』シリーズがハヤカワ文庫に移って、新作も出ているのは知っていたから、それをまず候補に挙げたのである。自転車モノを呼んでみたいという気持ちがあったことも否定できないけど。
 しかし、二つの理由で高千穂遙の本は買わなかった。一つ目は微妙な価格で、ポイントを使うと、残りが200円とか、300円になるものが多かったこと。たかだかこれだけのためにクレジットカードを使うのもなあというのが、カードの利用に慣れていない人間の感じることである。もう一つは、ここの本につけられていた読者のコメントを読んでしまったことである。この手のコメントは、買おうと決める理由にはならなくても、買うのをやめる理由にはなるのである。








 ここでもうあきらめようかとも思ったのだが、期間限定の割引価格で買える本があることに気付いた。大体半額になっていて、親本が文庫本のやつならポイントだけで買えそうである。あまり食指の動かない本の中に高橋克彦の本を発見した。高橋克彦といえば、森雅裕が『画狂人ラプソディ』を大幅に書き換えることになった(と本人が書いている)原因となった乱歩賞受賞作『写楽殺人事件』でデビューした作家である。
 この因縁(高橋克彦にしてみればいい迷惑だろうけど)を知ってから、読んでみたら、森雅裕とはまた違った面で面白く、他の作品にも手を伸ばしたことがある。『写楽殺人事件』は『画狂人ラプソディ』よりはるかに売れて、はるかに有名な作品だろうけど、こういう関係がなかったら読んだかどうか疑問である。ということで、昔買って日本を出るときに古本屋に売っぱらった『写楽殺人事件』を探すことにした。

 既読の本だけど、もう二十年以上も読んでいないし、内容も完璧には覚えていないし、半額だし、ポイントで買うんだしと、いくつも買ってもいい理由を探してから、購入に踏み切った。これが紙の本屋でのことだったら、ほとんど即決で買っているはずである。棚から抜いて本の装丁を確認しながらぱらぱらめくっているうちに買うことに決めてしまう。既読の本であってももう一度読み直したい問い理由があればそれで十分である。ただし、これは日本語の本に限ってのことで、チェコ語の本の場合には、読みたい以前に、自分に読めるかというのも考えなければいけないから時間がかかる。読めそうにないけど買うということもなくはないけど。





 久しぶりの『写楽殺人事件』、久しぶりにコンピューター上で読書を楽しむことができた。これで閲覧ソフトがもう少し本を思わせるつくりだったらよかったのに。それはともかく問題が一つ。『写楽殺人事件』は、高橋克彦のいわゆる浮世絵三部作の最初の作品なのである。だからあと二冊浮世絵をテーマにした推理小説が存在する。しかも最後の三作目では浮世絵探偵とも言うべき塔馬が登場するのだけど、この人を探偵役にした推理小説が何作かあって、その中には浮世絵がらみのものも存在するのである。そして、かつて日本を出る前に、そのほとんどは読んだことがあるのである。はてさて、買うべきか、買わざるべきか、それが問題である。
2019年2月1日23時。









posted by olomoučan at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2019年02月02日

hontoからメールが来た(一月卅一日)








 電子書籍よりは紙の本を買うために、仕方なく登録したホントであるが、頻繁にメールが届く。その大半は電子書籍の割引キャンペーンや割引クーポンのお知らせで、登録したばかりのころは、こまめに確認してクーポンをもらう手続き(ログインしてボタン押すだけだけど)を取っていたのだが、キャンペーンやクーポンの対象になる本に、さしてほしいと思えるものがなかったこともあって、最近は特に確認もしないまま抹消してしまうことが多かった。

 何がいけないって、クーポンの有効期間が短すぎるのと本の見せ方に魅力がなさすぎるのがいけない。普段から出版されている本の確認をしてこれ次に買おうとか考えている人なら、短い期間でも有効に役立てられるのだろうけど、いや、昔日本にいたころは、毎日何軒も本屋に足を運んで、次に買う本の候補を探していたのだが、ネット上の本屋は、本屋としての魅力に欠けるのでそんなことをする気にはなれない。誰か本当に本屋にいるような気分になれる書店をネット上に開設してくれないものだろうか。
 書店の本棚のように背表紙が著者名順に並んでいて(出版社別、ジャンル別と組み合わせてもいい)、本を引き出すと表紙が見られる。そして文庫やノベルズ版だったら裏表紙のあらすじや袖の部分の著者略歴、著者の本一覧、普通の書籍でも目次、奥付まで見られるようになっているとうれしい。贅沢を言えば、巻末の解説や著者あとがきなんかまで読みたいのだけど、最近の電子書籍は、親本にあったあとがきや解説をカットしてしまっているものが多いようなので、ないものねだりになってしまう。奥付のあとのページ数合わせの目録なんかもないからなあ。

 出版社は、販売店かも知れんけど、一般の読者が本を選ぶときに果たしている解説やあとがき、目録の重要性を軽視しすぎではないだろうか。多くの書籍の販売サイトでは、読者の投稿した評価やコメントが上がっているが、あれは自分が読んだ本のものを読むから面白いのであって、読書傾向もわからないような人のコメントをもとに本を買おうなんて思う人いるのかね。
 解説も、ときにおタイコのことがあるけど、解説者が本気でその本に感動しているときの解説は、一味も二味も違うものである。業界によっては仲間ボメ解説があったり、何でもかんでもほめる解説書きがいたりもするけど、そんなのはいくつか読んでいるうちにわかるようになる。著者の作品一覧や巻末の目録だって、つまらない本の場合にはあまり意味を持たないけど、本を読んで感動した場合には、これらの中から次の本を選ぶことも多いのだ。本屋に買いに行ったらなかったなんてこともままあったけどさ。

 そう考えると、電子書籍自体にも問題がありそうだ。ホントの専用リーダーソフトも、本っぽい体裁にはなっているけど、わざわざのどの部分を作ったりしてさ、横長の画面全体に表示されるので、版型が絵本かと言いたくなるようなものになっているし、正直PDFで一ページずつ表示していくやり方のほうが読みやすい。つまりはソニーのリーダーで読みたいということなのだが、ホントの本がリーダーで読めるのかどうかわからないし、読めたとしても機械の登録なんかしたくない。
 電子書籍も、「書籍」と名乗っているのだから、本当に紙の書籍を読んでいるのと同じような読書体験ができることを目指せばいいのに、開発者だけが便利だと考えている余計な機能を詰め込むから、本を読んでいる気がしなくなるのである。読書に熱中しているときに、多少わからない言葉が出てきたからって辞書なんか引くもんか。リーダーにもついているけど、読んでいる最中にわからない言葉があったら辞書が引ける機能は、一度も使ったことがない。たまに操作を失敗して辞書を引きそうになって邪魔だと思うくらいである。それに本を読んでいる最中に辞書を引くなら、そこらに転がっている紙の辞書を引いたほうがマシである。

 それで、ホントでは登録直後にいくつか試したのを除いては、電子書籍は購入してこなかった。それがホントからメールが来て云々というのが、本題になるはずだったのだけど、電子書籍の悪口になってしまった。本題についてはまた次回である。たいした内容のメールじゃないんだけどね。
2019年1月31日22時55分。




仲間だというのなら同じような体裁にしてほしいものである。












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2019年02月01日

落穂ひろい(正月卅日)



 ここ最近、あれこれ書いているうちに、書く予定だったことを忘れてしまうことが何度かあった。忘れたことだけで一本になるほどの分量はないので、いくつかまとめて一つの記事にしておく。

 一つ目は鉄道関係のことを書いているときに忘れてしまったことである。
 きっかけとなった雑誌の記事では、電車のチケットの販売について、レギオジェットは、すでに広く使われていたスチューデント・エージェンシーのバスの販売サイトで鉄道のチケットを販売したのが、成功につながったというようなことが書かれていた。チェコに住んでいて、チェコ人と同じような電車の切符の買い方をする人間としては、首をかしげざるをえなかった。

 電車の切符を買うのに、最初からレギオジェットやチェコ鉄道のページに行く人はそんなにいない。最初からこの会社を使うと決めている人でも、大抵は時間を確認するために、「idos」という検索サイトを使う。これは電車やバスはもちろん、市内交通(バス、トラム、地下鉄)や、飛行機の接続まで検索できるという優れもので、一番上の欄の矢印を押すと、検索する交通機関を選ぶことができる。電車だけ、バスだけでの検索もできるが、飛行機以外をすべて組み合わせた検索も可能である。
 鉄道とバスの場合、表示された検索結果のそれぞれの便のところに「kup!」と書かれた黄色いボタンが出てくる。自分が使いたい便のボタンを押すと、個々の会社のチケット販売ページに飛ぶようになっている。だから、このサイトで検索できるようになっていれば、販売サイトが既知のものではなかったとしてもそれほど大きな問題はなかったはずである。仮に「kup!」のボタンがなかったとしても、このページでどの会社の電車、バスを使うのかを決めてから、それぞれの会社のページに行くことになるから大差はない。

 数年前までは、ネット上で買い物をするのに抵抗があったので、この「idos」で時間と、運行会社を確かめてから、駅に行ってチケットを買うなんてこともしていた。チェコ鉄道しか走っていない区間を移動するときでさえ、ここで検索するのは、それぞれの会社のサイトよりも手軽に検索できるのと、電車、バスの到着時間に続いて、市内交通のバスやトラムの出発時間も検索できるからである。他の国にもこんな検索サイトあるんじゃないかなあ。


 以下の二つは、本当に短いのだけど、二つ目はペトラ・クビトバーの全豪オープン後のコメントを紹介するのを忘れていた。準優勝した後のインタビューの中で、自分の左手はもう二度と元のような完全な状態には戻らないというようなことを語っていた。そんな大怪我からわずか半年で復帰し、後遺症を抱えながら全豪準優勝までたどり着いたのだから、その努力には頭が下がる。現在はロシアのペテルブルクで開催中の去年優勝した大会に出場しているが、オーストラリアとは気温の差が50度もあるらしいから大変そうである。去年は全豪は一週目で姿を消したから適応も楽だったのだろうけど。
 そのクビトバー、二月の二回目の週末に行なわれるフェドカップの出場を辞退した。全豪の結果が出る前から、チームの監督のパーラと話し合って決めていたらしい。休息が必要な状態なのだろうし、シャファージョバーが完全に引退し、ストリーツォバーが代表を引退したからには、クビトバー、プリーシュコバーに続く選手に経験を積ませる必要がある。去年の決勝はアメリカがメンバーを落としてきたので、勝てたけど何かぐだぐだの試合が多かったし。候補のシニアコバーには、ルーマニアのハレプとの対戦で次につながる負けを期待しておこう。


 最後は、ハンドボールのお話というよりは、以前取り上げたキリスト教の異端派のハバーニの話である。ハンドボールの世界選手権の中継を見ていたら、多分デンマークとノルウェーの決勝だったと思うのだけど、アナウンサーが「ハバーニ」という言葉を使っていた。ノルウェーのセンターの選手たちを指していたのかな。それはわかったのだけど、突然のことで、なぜにこんなところにこんな言葉が出てくるのかわからなかった。
 それでハバーニについて自分が書いたものを読み直していたら、消える前の記事に雑誌に出ていた現在のチェコ語で「ハバーニ」の使われ方を書いたことを思い出し、それが極端に背の高い人を指すのに使われるということも芋づる式に思い出したのだった。今までも耳にしたことはあったのかもしれないが、ハバーニについて知らなかったので耳に残らなかったのだろう。「ルサーク」といい、「ハバーニ」といい、チェコ語を使って生活をしたり、仕事をしたりする上では何の役にも立たない知識だけど、自分のチェコ語が深まり、幅が広がったような気分になれるのである。
2019年1月30日23時20分。










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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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