アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2019年02月05日

チェコスロバキア2(二月三日)



『日国』の「チェコスロバキア」の記述でもう一つ気になるのが、「三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが」という部分である。一般にこのときのナチスドイツによるチェコスロバキア第二共和国の解体については、チェコ側は「保護領」になり、スロバキア側は、ナチスの庇護の下で独立したといわれることが多い。
 スロバキアについては書かれていないので置くとして、このチェコの保護領化を「併合」という言葉で表していいものなのだろうか。チェコスロバキアの歴史で、併合という言葉をよく使うのは、1938年のミュンヘン協定によって決められた、ズデーテン地方の、チェコ側から見れば割譲、ドイツ側から見れば併合である。このとき、ズデーテン地方は完全にドイツの一部として、行政機構なども統一されたのだろうか。

 さて、併合という言葉から真っ先に連想される歴史的な事件は、「日韓併合」である。すでに日本の保護国(被保護国とも)になっていた朝鮮半島を併合して日本の領土にしたという事件なのだが、併合された朝鮮半島が保護領と呼ばれていたかどうかはわからない。総督府が置かれて行政を管轄していたのは、ボヘミア・モラビア保護領と同じだが、朝鮮の総督府自体は、保護国時代にすでに置かれたものではなかったか。と書いておいて念のために調べてみたら、総督府がおかれたのは日本が朝鮮半島を併合したあとのことで、それまでは、統監府という統治機関がおかれていたらしい。伊藤博文は総督ではなく、統監だったというわけだ。
 日本統治時代の朝鮮半島や台湾については、植民地だったと言われることもあるが、本国から遠く離れた欧米諸国の植民地とは地理の面でも趣を異にしているし、欧米流の本国と植民地を完全に切り離した統治とは違って、最終的な日本への同化を目指していたことを考えると、その良し悪しはおくとしても、一方的に搾取されたアジア、アフリカの欧米植民地と一緒にするのは乱暴というものであろう。

 チェコの保護領時代も完全にドイツと一体化されたというわけではないが、だからといって植民地と呼ばれるような立場でもなかった。そう考えると日本統治下の朝鮮半島、台湾との類似性が意外と高いことに気づく。となれば、問題となるのは保護領である。チェコの歴史を語る際には所与のものであるかのように迷いなく使用しているけれども、保護領というのが何なのか真面目に考えたことはない。
 ということで、ジャパンナレッジで検索してみると、意外なことに国語辞典で保護領を立項しているものはなく、百科事典でも『日本百科全書』にはなく、『世界大百科事典』にしかなかった。他に保護領を見出し語として立てているのは外国語系の辞書が三冊あるだけだった。その『世界大百科事典』の記述を一部省略しつつ引用する。


植民的保護領ともいう。(中略)保護領は,概してその後,植民国に併合された。(中略)保護領は,なんらの国際的地位をももたない点で,半主権国としての被保護国(保護国・被保護国)とは異なる。(中略)保護領の性格は国際法的というより国内法的(憲法的)であるから,たとえばケニア保護領が植民地としてイギリスに併合されたとき,その変更は,国際法上,問題とならなかった。
"保護領", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 これからわかるのは保護領という言葉が、大抵は植民地化の過程で登場し、最初に保護領にした上で、植民地にするという手続きが取られた例があるということと、保護領は保護国とは違うということだろうか。しかし、和英辞典によると保護国も保護領も「a protectorate」と訳されるようなのだ。
 そうすると、保護領という言葉が、第二次世界大戦中のチェコの領域に対して使われたのは、保護国と違って国際的な地位も、半主権も持たず、植民地でもなく、かといって本国と完全に一体化していたわけでもないという微妙な状態を表すために選ばれた言葉だと考えるのがいいのだろうか。何気なく使ってきたが、改めて考えてみると正しいのか不安になってしまう。
 では、台湾や朝鮮半島はと考えると、『世界大百科事典』の植民地的保護領という意味ではなく、ボヘミア・モラビア保護領とあり方が似ている(本当に似ているかどうかは要検討だけど)という観点から、植民地というよりは保護領と言うのが適切なような気もしてくる。この辺の用語は使う人の政治的な立場によっても変わりそうだけど。

 ちなみに、チェコ語で保護領は「protektorát」、併合は「anexe」である。もちろん国家の行為である「併合」と、行為の結果である「保護領」とを同じレベルで比較することはできないし、この手の歴史用語の選択には民族のプライドというのもかかわっているのはわかっているので、これから何らかの結論を出すつもりはない。
 なんてことを考えていたら、以下の記述を見つけた。


1939年3月にドイツはチェコ地方全体を保護領として併合し、スロバキアはドイツの保護国として独立した。
"チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-05)



 結局、これが一番穏当な解決方法ということになるのかな。辞書にしても事典にしても解説を書くのは大変そうである。どうにもこうにもしょうもない落ちで終わってしまった。
2019年2月3日24時25分。










posted by olomoučan at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8531650

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。