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2019年02月18日
「コヴァジーク」の謎(二月十六日)
題名に「」をつけたのは、「コヴァジーク」という人物が謎の存在だというわけでも、「コヴァジーク」という人物に謎があるというわけでなもないからである。謎なのは「コヴァジーク」という表記そのものである。
これまで、日本のメディアにおけるチェコ人の人名表記に関しては、散々批判してきた。特にスポーツ選手の表記の中には、チェコ語の発音とかけ離れて誰なのかわからないものもままある。ほぼ確実におかしな表記になっているのが、チェコ人の誇りである「Ř」で、英語ではハーチェクを省略して表記されるために、日本のメディアでも「ラリルレロ」で処理されることが多い。それなのに、「Kovařík」が「コバジーク」と表記されていたのである。しかもヤフーのスポーツナビでである。
木曜日のサッカーのヨーロッパリーグでプルゼニュが、ディナモ・ザグレブに逆転勝ちしたので、日本語でも確認しようかと、ヤフーのスポーツナビのヨーロッパリーグのところのこの試合のページを開いたら、イエローもらった選手の名前が「ヤン・コヴァジーク」になっていてびっくりしてしまった。
これは、チェコ人の名前の表記の全面的な見直しが行われた結果かと期待したのだが、他は以前と変わっておらず、何でコバジークだけと首をかしげることになってしまった。外国人選手を除く人名表記がどうなっているかいくつか確認しておこう。
1妥当なもの
ミラン・ハヴェル Milan HAVEL
マレク・バコシュ Marek BAKOŠ
「ハヴェル」は、Vをどう書くかぐらいしか問題がないので、変な表記のしようもない。「バコシュ」は、 「Š」が直音表記されて「バコス」になるかと思ったが、意外なことにまともな表記である。それなのに他のところで「Š」の直音表記が出てくるのがよくわからない。
2長母音が無視されたもの
マトゥシュ・コザチク Matuš KOZÁČIK
ロマン・フブニク Roman HUBNÍK
それぞれ、「コザーチク」「フブニーク」が妥当な表記。とはいえこのぐらいなら文句は言わない。この二つの名前に関しては、これ以上はおかしくしようもないと言うところだけど。
3拗音の直音表記
パトリック・フロソフスキー Patrik HROŠOVSKÝ
ミラン・ペトルゼラ Milan PETRŽERA
「フロショフスキー」「ペトルジェラ」と比べると大差ないと思うかもしれないけど、違和感は大きいなあ。ハーチェクついてるんだからさ。
4Cの問題
ルデク・ペルニカ Luděk PERNICA
チェコ語のCの音は、日本語のツの音なので、「CA」は「ツァ」となる。「ペルニカ」と「ペルニツァ」、事情を知らない人は同一人物だと理解してくれるのだろうか。まあ、「パーニカ」になっていないだけマシか。
5CHの問題
ロマン・プロチャズカ Roman PROCHÁZKA
トーマス・ホリー Tomáš CHORÝ
チェコ語のCHは「チ」ではなく、「ヒ」に近い音なので、「プロハースカ」と書くのが普通である。有声子音の無声化については言うまい。「プロチャズカ」では実は「プロハースカ」だとわからないだろうなあ。
不思議なのは同じ「CH」が使われている「ホリー」が「チョリー」になっていないこと。どういう規準なんだろ。名前の「トーマス」は「トマーシュ」なんだけどね。同じ名前でも「トマス」と書かれる選手がいるのも不思議。
6Řの問題
トマス・ホラヴァ Tomáš HOŘAVA
ラディム・レズニク Radim ŘEZNÍK
特にこの「レズニク」を見ると、「Kovařík」が「コヴァリク」になってもおかしくはないような気がするのだけど、どうして「コヴァジーク」と書けたのだろうか。不思議で仕方がない。それが表題の謎なのである。同じ日に試合のあったスラビアの選手名にも問題ありありだったし。
「コヴァジーク」が日本でも知られているような有名選手であれば、チェコ語の発音に近づける努力が優先的になされてもおかしくないような気はするが、日本での知名度で言えば、同じU21のヨーロッパ選手権で活躍したホジャバと同じぐらいのはずである。そのホジャバは「ホラバ」と書かれているわけでね。
もしかしたら、他の分野で「コヴァジーク」という名前の人が知られているのかもしれないと、ヤフーで検索してみたら、絵本作家の「インドジフ・コバジーク」と作曲家の「クリストファー・コヴァジーク」が出てきた。絵本作家のほうはチェコの人のようだけど、作曲家は名前からしてチェコを出た人の子孫という感じである。どちらも知らない。この二人の影響で「コヴァジーク」と書かれるようになったというのも説得力に欠ける。
ちなみに、「コヴァリク」という表記を使っているメディアも、チェコの選手名に関して、ここにあげた表記よりもましな表記をしているメディアも存在しているはずである。知らない人はいくつかのメディアを見くらべて別人だと思ってしまうのだろうなあ。
2019年2月17日23時。
2019年02月17日
懐かしき左翼(二月十五日)
「朝の読書」運動についてあれこれ調べていたら内田樹という方のブログの記事にたどり着いた。今となってはこのブログのどの記事だったのか、探し出せなくなっているのだけど、自分自身を活字中毒者だと規定して、活字中毒者は瓶詰のラベルに印刷された文字までなめるように読んでしまうものだというようなことが書かれていて、思わず嬉しくなってしまった。
自分にも思い当たる節があるのである。今はそこまででもないけど、以前日本語で読むものに不自由していた時期には、日本語で書かれたものであれば、それこそ隅から隅までなめるように読みつくしたものである。日本にいたころも、新聞の場合は、記事をすべて読むのはもちろんのこと、本や雑誌の広告まで読まないと気が済まなかったし、本の場合は巻末の目録、奥付なんかにまで目を通したものである。だから、今の電子書籍に不満が大きいのだけど、それはまたちょっとべつのお話し。
そんなので大喜びしてしまって、肝心の「朝の読書」運動に関しては、どんなことが書かれていたのかほとんど思い出せないのが情けない。「朝の読書」運動は、真の活字中毒者は生み出せないということだったか、形だけの読書になってしまっていて将来の読書につながっていないということだったか。
その記事が面白かったので、この方のブログの記事をあちこち拾い読みしていたら、さらに嬉しいことに、この人、左翼の人だった。本人が自分のことをどのように考えられているかは知らないが、今のわけのわからないリベラルがどうだこうだ云うような連中とは一線を画した、かつての正統派の左翼のにおいを文章のあちこちに嗅ぎ取って、懐かしくなってしまった。
日本をアメリカの属国として位置付けているのは、その当否はおくとしても、80年代にはしばしば耳にした言説である。すごいと思ったのは、アメリカの属国だと主張する理由の一つに日本の英語教育の在り方を上げているところである。政治家の発言とか日米交渉の在り方とかそんなどうとでも解釈できるものではなく、教育という国家の根幹にあたる部分を理由として挙げられると、説得力は大きくなる。個人的にはさらに日本だけでなく、世界中の国々が英語という言葉を通じてアメリカに従属させられつつあるような印象を持ってぞっとしてしまった。我が英語嫌いも故無しではなかったのである。
その記事がこれで、外国語教育、特に英語教育の在り方について文部省のやり口を植民地の語学教育だと強く批判されているのだが、最後には返す刀で国語教育にまで触れている。そうすると、外国語教育に関しては、話すことが過度に重視されるようになった1980年代ぐらいから、日本の植民地化、属国化が進んできたと理解していいのだろうか。それはともかく、読み書きを伴わないしゃべれるだけの外国語というのは、少なくとも大学に進学する学生に求められるものではないだろう。しゃべることだけに傾斜した最近の日本の語学学習の傾向に辟易している人間としては、もろ手を挙げて大賛成である。
そして、さらにこの方に共感してしまったのは、根本の部分では左翼でありながら、現実感覚を失わずに、日本には天皇制が不可欠であることを理解して、「天皇主義者」を宣言されているところである。上にかつての正統派の左翼と書いてしまったが、80年代までの左翼にはこんな日本の現実を見据えて天皇主義者宣言なんてできなかったはずである。左翼の理論的後ろ盾だったソ連が崩壊した後の思想的な混乱を乗り越えてなお、左翼であり続けるというのはこういう強さを必要としたのだろうという感慨を抱いてしまう。ただし、左翼、左に分類される人たちのすべてが、特にひよって左翼的な言説ではなくリベラルなんて方向に逃げている人たちが、こんな強さや現実感覚を持ち合わせているわけではないのは言うを俟たない。
この記事はキリスト教関係の雑誌に掲載されたインタビューらしいが、不満を言えば、キリスト教のローマ法王の存在に対しての考えが見えてこないところか。天皇制に批判的な日本のキリスト教関係者が、天皇主義を標榜する人物にインタビューするのなら、天皇以上に問題のあるローマ法王についてもコメントを求めるのが筋だと思うのだが、キリスト教関係者はローマ法王に関しては思考停止して所与のものであるかのように扱うからなあ。天皇制を疑うのなら法王制も疑うべきであろうに。もしかしたら、ブログにキリスト教やローマ法王に関する意見があるかもしれないから、暇なときにさがしてみようかしらん。
もちろん、内田氏が書かれていることすべてに賛成するわけではない。だけど、この人なら主義主張が違う相手ともちゃんとかみ合う議論ができそうだという印象を持った。最近の自分の言いたいことだけ言って相手の話を聞かないのを議論と称する風潮がはびこる中では貴重な存在である。ある意味理想の、かくあれかしの左翼ということになるのかな。あれこれこちらの勘違いの可能性もあるけど。
2019年2月16日22時15分。
2019年02月16日
「朝の読書」運動(二月十四日)
最近知ったのだが、日本では小学校から高校まで「朝の読書」という活動が広がっているらしい。取次大手のトーハンのサイトの一角に置かれた公式ページによれば、「毎朝、ホームルームや授業の始まる前の10分間、生徒と教師がそれぞれに、自分の読みたい本を読む」という活動だという。これをうらやましいと思うか、10分では足りないと思うかは、人それぞれだろうが、「読みたい本を読む」というところが素晴らしい。
思い返せば毎年の夏休みに、文部省推薦とかいう課題図書を与えられて読書感想文を書くことを宿題として課されていた。あの課題図書のすべてがつまらなかったというつもりも、読んで損したというつもりもないが、読書感想文には閉口した。あれの繰り返しで作文を書くこと自体が嫌いになって、高校まで国語の課題の作文は、無難すぎる内容の誰が書いても同じになるようなものしか書かなかった。提出を拒否したこともあるかもしれない。
嫌いになったのは作文だけで、読書自体は子供の頃から好きで、課題図書にも読書感想文にもめげずに続けたのだが、中にはあれで読書自体が嫌いになってしまったという人もいるんじゃなかろうか。本を読むというのは、自分の読みたい本を読むから楽しく、繰り返し読みたいと思えるのであって、強制されたのではどんなに面白い本でも、面白さは多少減る。
そう考えると、この「朝の読書」運動のただ読むだけで、読書に何の課題も付随しないというのは素晴らしいし、何で我々の時代にもなかったんだろうと不満に思ってしまう。活動が始まったのが1988年、千葉県でのことだというから、もう何年か遅く生まれていたら、この運動が九州にまで到達していたかもしれないのか。ちょっと残念である。我が読書の癖から考えると10分では到底足りず、授業が始まってからも読み続けて先生に怒られるというのを繰り返していたかな。
問題は、この朝の10分の読書が何をもたらすかである。すでに1980年代には若者の活字離れというものが問題になっていて、本を読まずに漫画しか読まないと批判されていた。最近は漫画すら読まないと言って嘆いている人がいるけれども、「朝の読書」運動のおかげで現状で済んでいると見るべきなのか、「朝の読書」運動は読書の習慣を定着させるのに役立っていないと見るべきなのか。
そもそも活字離れ、漫画離れというのは事実なのだろうか。昔から本を読まない人は読まなかったはずである。本の売り上げが落ちたことを活字離れに直結させているだけではないのだろうか。かつては買っても読んでいない本が多々あり、現在はネット上で読書をする人がいることを考えれば、読書量自体はそんなに変わっていないような気もする。本を所有することにこだわらない人も増えていそうである。特にアパートなんかに一人暮らししていると本の置き場というのは大きな問題になるし。
仮に活字離れを嘆くのであれば、大学に進学するような層の読書量の少なさを嘆くべきであろう。ただ、これも大学生が本を読まなくなったのではなく、大学進学率が急速に高まった結果、昔は大学に進学していなかった、本を読まない学生までもが大学に行くようになったと考えたほうがよさそうである。本を読まない、読めない学生が大学で何をするんだという疑問はおくとしても、何でもネットで調べておしまいってんじゃ、大学に行く意味はほぼあるまい。
個人的には、活字離れが叫ばれ、本を読む人が少なくなったと嘆かれている中で、どうして「小説家になろう」や「カクヨム」などの小説投稿サイトが盛況なのか理解しかねていたのだが、この「朝の読書」が一定以上の本を読む習慣を持つ人を育てている証拠だと考えてもいいのかもしれない。読書経験なくして、自分が小説を書こうなんて考える人はいないだろうし、好きな作品、好きな作家のようなものを書きたいと考えて筆を執る人が多いはずである。
ならば、現在の出版社の嘆きは、活字離れ、漫画離れではなく、「朝の読書」運動で読書を習慣にした子供たちを読書に引き留めきれなかった出版社自身に責任がある。恐らく図書館で本を借りることの多いだろう「朝の読書」の読者を、本を買う読者に育てられなかったのが一番いけない。この活動の公式ページが、取次のサイトに置かれていることからも、「朝の読書」が本の売り上げに寄与することが期待されていたのは間違いない。その結果がどうだったのかは知らないが、
あまり本を読まない子供の読むスピードを考えて、1日10分読んで、1か月で読み終わるような量の本を編集して、月のお小遣いの10分の1ぐらいで買えるような値段で出すとか、「朝の読書」に参加している学校の子供は、指定の書店で、協力している出版社の本(種類を限定してもいい)を月に1冊まで半額で買えるようにするとか。近所の書店と協力して学校で、毎月一人一冊しか買えない直売会をやってもいいだろう。それに、購入するのは生徒本人でなければいけないという条件を付けておけば、本を買って読むのを当然だと考える子供が増えたと思うのだけどね。ここまでくると、提言というよりは自分の頃にこんな制度があったらなあという願望でしかないなあ。ただ、出版社や取次の倉庫で眠らせておくぐらいなら安く売ったほうがマシじゃないのかとは思う。
ちなみに、「朝の読書」運動の公式ページでは、この活動によって、学習力が向上したり、問題行動が減ったりするなどという効果も書かれている。ということは、活動に参加している学校の中には、こういう効果を目的にして朝の読書を導入したところもあるのだろう。これは気に入らない。読書は、読書自体が目的であるべきであって、こんな目的のために読書をさせるのは不純極まりない。こんなよこしまな考えだから、本が売れなくなるのだ。ってここで批判すべきは出版社でなく、学校か。
それはともかく、子供の頃から毎朝本を読むのはいいことだし、学校教育の一環として堂々と毎日本が読めるのはうらやましいと思ってしまうほどである。
2019年2月15日20時25分。
高い。子供ではなく、学校の図書館に買わせることを考えているのだろう。
価格:4,860円 |
タグ:読書
2019年02月15日
TVバランドフ(二月十三日)
チェコに来た2000年前後は、普通のテレビで見られる民放というとノバとプリマしかなかった。その後地上波のデジタル化が実施された際に最初に参入したのがTVバランドフだった。映画の制作スタジオとして名高いバランドフの名前を冠したテレビ局だというので、ものすごく期待したものの実際はかつてのさえなかった頃の、ノバの後塵を拝してばかりいた頃のプリマを思わせるような番組ばかりでがっかりしたのを覚えている。
プリマは、クール、ズーム、クリミなど、個性のある別チャンネルを開設して、それなりに成功しているようだが、バランドフも、キノ、ニュース、クリミ(以前は別の名前だった)と、本家と合わせて4つのチャンネルを展開している。ただ、多チャンネルの活用でプリマに後れを取っている感のあるノバ以上に迷走している。その迷走が最近さらにひどくなったというのが今日のお話である。
TVバランドフを率いているのはヤロミール・ソウクプ氏である。この人物が有名になったのは、2018年の大統領選挙の際に、勝者のゼマン大統領の選挙事務所にいて、大統領から感謝の言葉を捧げられたことによる。ということは、すでにこの時点で、政治に関する番組をバランドフで放送していたということになるのだが、思い返してみれば、大統領選挙の前から政治家が出て討論する番組を放映していた。適当にチャンネルを変えながら番組のチェックをしている際に、オカムラ氏の顔があると大抵はバランドフだったものだ。
ソウクプ氏は社長自ら番組の司会を務めて政治家同士の討論や、政治家とのインタビュー番組を放送しているのだが、最近その顔を目にする機会が増えているような気がする。ということで確認してみたところとんでもないことになっていた。
午後8時からの時間帯というのは、テレビ局によっては、ちょっとずらして8時15分とか、8時30分からのこともあるけど、その日一番視聴率を稼げそうな番組を持ってくるものである。一般向けの連続ドラマも、映画も、年齢制限のつくものでなければ、大抵最初の放映は午後8時からの時間帯になる。
それなのに、今このTVバランドフの午後8時からの番組は、毎日ニュースなのである。普通のニュースであれば他のテレビ局の7時台のニュースに間に合わなかった人たちのためと考えられなくもないのだが、その名も「Moje zprávy」。「私のニュース」と訳しておけばいいのだろうけれども、この「私」に込められているのは、恐らく私の主観的なニュースという意味であろう。ちらっと見た限りでは、昔俳優のクラウスがトーク番組の冒頭でしょうもないニュースを紹介していたのと同じような印象を受けて、これをニュースとして見ている人はいるのだろうかと思った。以前はメインのニュースを「Naše zprávy」と題して放送していたから、一人称複数から単数になって、主観性が強くなっただけだと考えておこう。
それだけでなく、今週の番組表によると、月曜日と火曜日には「ヤロミール・ソウクプのインスティンクト」、水曜日は「ヤロミール・ソウクプによる一週間」、木曜日は「大統領との一週間」というソウクプ氏が司会を勤める番組が、9時、10時台に放送されている。他にも、政治家を一人呼んでインタビューする番組や、二人呼んで討論させる番組、一般の観客を呼んで政治家と議論させる番組などがこれまでに放送されてきたけれども、すべてソウクプ氏が司会を勤めていた。社長自ら司会を務めることで経費削減というわけでもあるまい。ソウクプ氏が目立つためのテレビ局になってしまっている感がある。こんな番組構成ではたださえ多いとは思えない視聴者の数が減って広告収入も減ることになりそうである。
一説によると、テレビラジオ放送を管轄する役所が「私のニュース」の報道姿勢を、客観性に欠けるとして問題にしようとしているとか、ソウクプ氏の金融グループに出資している中国資本が、バランドフの過度の政治家に危機感を感じて資金を引き上げようとしているなんて話もある。ソウクプ氏とTVバランドフは、ゼマン大統領の再選に一角ならぬ貢献をしたと感謝されていたが、危機に陥った場合、大統領が救いの手を伸ばすことはあるだろうか。
個人的には、特に見るべき番組もなく、消滅しても全く困らないテレビ局なのだが、共産主義時代のテレビドラマを好んでいる人はなくなったら困ると感じているだろうか。ちなみにソウクプ氏が社長になったのが2012年ごろだというから、おかしくなり始めはその辺にあったのかもしれない。最初の頃は期待はずれだとは思ったけれども、ひどいとまでは思わなかったし。
2019年2月14日23時40分。
タグ:バランドフ
2019年02月14日
「スラブ叙事詩」の行方(二月十二日)
七時のニュースをぼんやり見ていたら、プラハ市がモラフスキー・クルムロフにアルフォンス・ムハの「スラブ叙事詩」を貸し出すことを検討しているというニュースが流れた。いや、ニュースを聞いただけではよくわからなかったので、テレテクストの記事を読んだり、ネット上の記事を読んだりして確認することになったのだが、確か来年の春から、5年ほど、かつて50年近くにわたって「スラブ叙事詩」の展示が行なわれていたモラフスキー・クルムロフに貸し出す計画があるらしい。
このブログでも何度か触れているが、「スラブ叙事詩」の所有権に関しては、延々裁判が続いている。問題はプラハ市が、ムハが作品の譲渡の条件にした専用の展示施設を建設することを満たしていないことにあるのだが、今回の件だけでなく、2017年に「スラブ叙事詩」が日本に貸し出されたのも、ついに専用の施設の建設に踏み切ろうとした結果かもしれないのだ。
これが実現すれば、プラハ市はほぼ100年のときをかけてムハとの約束を果たし、最終的に譲渡の契約が有効だということになってしまうから(法律上は知らんけど心情的にはそう思われる)、「スラブ叙事詩」はモラフスキー・クルムロフにあるべきだと考えている人間にとっては痛し痒しなのだが、専用の美術館ができるのは喜ぶべきことである。本来はモラフスキー・クルムロフの城館をプラハの金で改装して、専用の施設にするべきだし、それがこの作品を寄贈されていながら100年もの間約束を果たさなかったプラハのなすべき贖罪であろう。尤もプラハにそんな殊勝さがあれば、100年も放置することなんてなかったか。
ところで、なぜプラハが専用の施設の建設に動いているかもしれないと考えたかというと、日本から戻ってきた「スラブ叙事詩」が、モラフスキー・クルムロフから強奪されたあとに展示されていたベレトルジュニーー・パラーツに戻されていないのだ。全部で20枚の作品のうち、半分は2018年のチェコスロバキア独立百周年を記念したイベントの一環で、昨年末までブルノの国際見本市会場で特別展示が行なわれていたし、残りの半分はプラハのオベツニー・ドゥームに展示されていた。
そして、プラハ市議会ではホレショビツェの見本市会場内の建物の別館を建てるか、建物を拡張するか、することで専用の展示会場にするという決定がなされたらしい。ただその後の市議会選挙で政権交代が起こったため、決定の見直しが行なわれているようだが、ベレトルジュニーー・パラーツでの展示はできないようで、展示会場を見つけるか、新たに建てるかしなければならないのは確実なようだ。
ニュースでもインタビューに答えたプラハ市の役人が、新しい展示会場が確保できるまでの間、貸出先が見つからなければ、巻き取って倉庫に保管されることになると語っていた。現時点ではモラフスキー・クルムロフは貸し出し先の候補の一つに過ぎないようで、プラハ市側から、城館の改装、つまり気温と湿度を一定に保てるような設備の導入を条件としてつけられている。モラフスキー・クルムロフ側はその申し出を受けて、なんとしてでも資金を集めると言っているようである。実際にモラフスキー・クルムロフに戻るかどうかは、今年の三月か四月までに決まるらしい。
ということは、我々「スラブ叙事詩」モラフスキー・クルムロフ展示派がなすべきことは、まずモラフスキー・クルムロフが城館の改装に成功して「スラブ叙事詩」が戻ってくることを祈ること。そしてプラハの新しい展示会場の建設が、場所の決定に時間がかかったり、土地の所有者ともめたり、変な建築会社と契約して工事が進まなかったりで、うまく行かないことを祈ることであろう。いろいろなものがありすぎるプラハで、巨大な「スラブ叙事詩」を20枚まとめて展示的できる会場なんてそうそう見つからないだろうし、そうすれはモラビアで、5年といわず、10年、20年、展示が行なわれ続ける可能性も出てくる。
この話、最初は「ふざけるなプラハ」という題名にするつもりだったのだけど、専用の展示会場を建てようとしていることに築いたので改めることにした。それでもそんな気分はまだ残って入るんだけどね。
2019年2月13日23時55分。
2019年02月13日
ブラスティミール・ムリナーシュ氏(二月十一日)
ゼマン大統領の右腕とも言うべき大統領府の長を務めているのが、このムリナーシュ氏である。ハベル大統領にも、クラウス大統領にもこの大統領府の事務方を管轄する役職の人物はいたはずだが、ほとんど表に出てくることはなく、後に別の役職につくときに、以前こんな仕事をしていたという形で紹介されて知ることが多い。どんな仕事をしているのかすらはっきりとイメージしにくいのである。大統領の執務を影から支える黒子のような役割だといってもよさそうである。
それなのに、このゼマン大統領の右腕は、就任当初から目立っていた。それもあまりよくない意味でである。最初に大きな問題になったのはゼマン大統領がNATOのサミットに出席したときのことだった。本来なら大統領府の事務方の長として常に大統領と行動を共にするはずなのだだが、資格がないとして会合の会場に入れなかったのだ。
NATOは軍事同盟である。軍事同盟である以上首脳会談では軍事機密が取り扱われる可能性もあるため、同席するのに何か資格がいるらしいのだ。その軍事機密にかかわるための資格は各国の防諜機関が認定しているもので、いくつかのカテゴリーに分かれている。大統領と行動を共にするムリナーシュ氏には、当然最高の機密にまで触れられる一番上のカテゴリーが求められていたのだが、そのサミットの時点では申請はしたものの許可が降りていないという状態だった。一つ下の二番目の資格は持っていたのかな。
普通ならそれほど時間がかからないらしいこの資格認定がなかなか降りない時点で問題があるのは明白だったのだが、ゼマン大統領はムリナーシュ氏の仕事には満足しているしそのうち資格を取ってくれれば問題はないと弁護していた。ところが、その資格はいつまでたっても降りることはなく、最終的には防諜機関に拒否された。その後何度か手を変え品を変え申請しなおしたようだが、防諜期間が決定を変えることはなかった。
ことは国家の軍事機密にかかわる話なので、拒否された理由は明らかにされていないが、大統領を支えるべき人物が、防諜に関して完璧には信頼できないと評価されていることは、特に反ゼマン派の政治家から強く批判され、ムリナーシュ氏の解任を求められたのだが、ゼマン大統領は現在まで拒否し続けている。今後もこれを理由に解任することはないだろう。
さらに、反ゼマン派のアナーキスト芸術家団体が、プラハ城の国旗を取り外して、大きなトランクスを形容するという事件が起こったときに、地元の町の人たちをプラハ城の大統領官邸に招いて見学ツアーを行っていたとか、プラハの一等地に豪邸を購入した資金の出所が怪しいとか、あれこれ話題を提供し続けている。同じく大統領府の広報官オフチャーチェク氏と同様に、そして違った形でゼマン大統領の足を引っ張っているような気がする。
このムリナーシュ氏、そもそも何でゼマン大統領の右腕ポジションに納まったんだろう。社会民主党時代のゼマン派の人物ってわけでもなさそうだし。そんなことを考えていたらチェコテレビのルポルタージュ番組で、オフチャーチェク氏が地元の町で経営している企業に関して不正の疑惑があることを取り上げていた。ということは小さいながらも実業家として資産を築いて政界に進出したということなのだろうか。そこから社会民主党のゼマン派が分離して作ったSPO党(別名ゼマン党)とつながって、ゼマン氏の腹心にまでなりおおせたということのようだ。地方議会の議員にまではなったけど、国会議員の選挙で当選したことはない。SPO党自体が国政選挙ではほとんど議席を確保することはできていないし。
ムリナーシュ氏がゼマン大統領の大統領府の長になって以来、出身の町には政治家だけでなくさまざまな有名人、はてはカトリックのプラハ枢機卿まで訪れるようになったというし、あれこれ助成金が出てスポーツ施設を建設したり改装したりもしたようだから、町の人々にとってはムリナーシュさまさまでアンタッチャブルな存在になっていたのかもしれない。すべては大統領の威光である。
ちなみに、チェコテレビで今回報じられたムリナーシュ氏の疑惑は、地元の町に建築許可を取らないまま人口の池を建設したことと、その水の利用の許可を取らないまま、経営するスキー場のゲレンデの人口降雪機に使用したことらしい。この問題が大きくなっても、事件化して逮捕でもされない限りゼマン大統領がムリナーシュ氏を解任することはなさそうである。オフチャーチェク氏もそうだけど、ゼマン大統領にとっては、かけがえのない部下ということになるのだろう。あの大統領にして、この部下ありというところか。
2019年2月12日23時。
タグ:大統領
2019年02月12日
クラリオン・コングレス・ホテル(二月十日)
駅の目の前にあるホテルで、鉄道で移動することを考えると一番便利なホテルである。その代わりオロモウツ市内の観光にはちょっと不便といえば不便。オロモウツは小さな町で、駅前から歩いても20分ほどで旧市街に入れるから、そこまで気にしなくてもいいかもしれない。駅前のバスターミナル停からあちこちの町へ向かうバスにも乗れるし。
昔は、ホテル・シグマという古びた、共産主義の時代を思わせる外観のホテルだったのだが、数年前に全面的な改築が行われ、見た目はものすごく改善された。そして名前もクラリオン・コングレス・ホテルに変わってしまった。ただ、建築途中の様子を見ていた限りでは、内装はともかく建物自体は日本人の目からするとびっくりするような方法で建てられていた。おそらく一部屋単位の大きさのコンテナのような直方体のブロックを積み重ねて行っていたのだ。外壁にあたる前面と奥の面は空いていたから、建物の向こう側が筒抜けに見えるという奇妙な状態になっていた。
駅前の背の高いビルの建設の際にも思ったのだが、地震が頻繁に起こるというのは建築に際して、大きな制約になっているのである。このホテルも隣の背の高い建物も、チェコの誇る集合住宅パネラークも、おそらく日本では耐震性の欠如によって建築に許可が下りないだろう。他のホテルも郊外の背の高いものは似たり寄ったりの建て方なのだろうが、建築の過程を見てしまったこのホテルに泊まるのは、泊まる必要はないけど、ためらってしまう。
以前は、メインの背の高い建物の裏には、長期滞在用の安宿があったのだが、改築によって廃止され、イベント会場みたいなものになったのかな。どんなイベントが行なわれているかは知らないけど、改築が済んですぐの年か、その次の年かには、自転車レースのチェック・サイクリング・トゥールの出場全チームの宿泊する宿になっていたから、開幕のセレモニーかなんかが、このイベント会場で行なわれたんじゃなかったか。そのときにあるチームの機材の盗難事件が発生したからか、現在では各チームでいろいろなホテルに宿泊しているようである。
せっかく、きれいに改築したのだけど、どうにもこうにも昔の古いチェコのホテル、よくない意味で共産主義時代のホテルのイメージが付きまとう、ちょっと残念なホテルなのである。オロモウツのある意味威信をかけた自転車イベントで盗難事件が起こったのもそうだけど、知人が宿泊したときに、予約したのよりもカテゴリーが下の部屋に入れられそうになったといって怒っていたことがある。おそらくオーバーブッキングで同じランクの部屋が足りなくなったのだろうが、そこで下のランクの部屋に入れようとするところが、困り者なのである。
知人は、日本人だから多少無理を言っても黙って引き下がるだろうと、なめているのが気に入らないとごねまくって、予約した部屋よりも上の部屋に変えさせたと言っていた。そこまでするかと思わなくもないけど、世界中をあちこち回った経験のある人なので、日本人ならという、足元を見たなめた態度を取られた経験も多く、腹に据えかねるものがあったのだろう。こういうところで、ちゃんとした対応を取っていれば、次も使ってもらえるだろうに、知人はこんなホテル二度と泊まらないと宣言していた。
この辺の対応に旧時代の名残を感じてしまって、どうも他人に勧める気になれない。交通の便はいいし、建物も新しくなって、人気が出てもおかしくないはずなのだけど、いまいちぱっとしないのは、こういうところに問題があるのである。ホテル・シグマ時代の方が、概観と中身があっていたから、印象がよかったんじゃないかと思ってしまう。もちろん、このホテルを利用した人がみんな不満を感じているというわけではない。たまたま知り合いがそうだったというだけの話である。ただ、こういうのは一事が万事というところがあるからなあ。
以前利用したときに、客がぜんぜん入っていなくてこれで大丈夫なのだろうかと心配になったレストランも含めて、NHホテルに対抗しようとして、全然対抗できていないという印象を持ってしまった。数あるオロモウツのホテルの中でも、ちょっと先が心配なホテルである。
2019年2月11日22時30分。
タグ:ホテル
2019年02月11日
akorát〈私的チェコ語辞典〉(二月九日)
例によって放置してしまったシリーズの続きである。「a」で始まる言葉については、あれこれ書けそうなものはすべて書いてしまったつもりになっていたので、次は「b」で始まる言葉だよなあとあれこれ取り上げるべき言葉を考えているうちに、時間が経ってしまったのだが、「a」で始まる言葉のなかに、ぜひとも取り上げておくべきものがあるのを思い出してしまった。アルファベット順に書かなければならないと言うものでもないのは確かだけど、最初ぐらいは順番に行かないと、何を書いたかわからなくなってしまう。
この言葉、実は『チェコ語=日本語辞典』には収録されていない。その理由は恐らく口語的な表現過ぎることではないかと思う。昔、チェコ語を勉強していたころ、この言葉について、師匠が笑いながらこんなことを言っていた。
「あの人、よほど頭に血が上ってたんだわ。インタビューでakorátなんて言葉使ってる」とかなんとか。当時はまだこの言葉の意味も知らなかったから、質問すると、信じられないものを見たというような顔で、
「知らないの? この言葉、よく使うんだけど」
と言いながら、授業中の師匠はめったに口語的にすぎる表現は使わなかったから、少なくとも師匠の口からは聞いたことはなかったのである。
チェコ語でどんな説明をされたか再現するのは無理だけれども、当時のこちらのつたないチェコ語で理解できた範囲では、「akorát」というのは、日本語の「ただし」と同じような使い方をする言葉だということだった。つまり、逆接だけれども完全な逆接ではなくて、前に出てきた情報を部分的に否定しながら接続する表現だと理解したのである。
師匠が笑っていたのは、この「akorát」という言葉は、公式の場面で使うような言葉ではなく、「あの人」と呼ばれた人は大学の先生だったから、そんな人が新聞のインタビューで使用していたのが意外であると同時に、思わず使ってしまった心情が読み取れておかしかったかららしい。インタビュアーが失礼だったのか、インタビューのねたになっていた事情が腹を立てる理由になっていたのかは覚えていないのだけど。
とまれ、この件で「akorát」という言葉を覚えられたのはいい。失敗だったのは、口語的に過ぎる「akorát」の正しい書き言葉的な表現を質問しておかなかったことで、いや質問して教えてもらったのかもしれないけれども「akorát」の響きのよさに忘れてしまったのである。「ただし」のような微妙な接続詞は、「しかし」で代用しても何とかなるもので、チェコ語でも「ale」を使ってごまかしていたのだけど、ちょうどいい言葉を発見して、以後、「jenže」「jenomže」という表現を覚えるまで、濫用してしまうことになる。
それから、この言葉にはもう一つ重要な意味があって、特に「tak akorát」という形で使うと、「ちょうどいい」という意味になる。これは師匠に教えてもらったのではなく、かなり後になってから知り合いに教えてもらったものだが、このときも、知らないの? と意外そうな顔をされた。チェコの人にとっては、普通に使う、ある程度チェコ語ができる人なら知っていても当然だと思うような言葉なのだろう。
ということで、辞書には載っていないけど、チェコ語を使って生きていくうえでは大切な言葉なのである。なくても何とかなるのは確かだけど、知っておいて的確に使えると、実際の実力以上にチェコ語ができるように聞こえるし、しかもハッタリかましているようには響かないところが素晴らしい。知らなかった人には使ってみることをお勧めする。
2019年2月10日13時55分。
2019年02月10日
バーツラフ・ボルリーチェク2(二月八日)
ボルリーチェクの作品のうち、代表作の一つである代表作の一つである「スパイW4Cの最期」については、黒田龍之助師が著書『チェコ語の隙間』で取り上げて詳しく書かれているので、そちらを読んでもらったほうがいいだろう。だだ気になることを一つ挙げておけば、犬の名前がパイダになっていること。この名前って「アラベラ」でも使われていた気がするのだけど、チェコでよく使われる犬の名前なのだろうか。現実では一度も聞いたことないのだけど。
この人の作品は、とにかく設定からして、こんなのでいいのかといいたくなるようなぶっ飛んだものが多い。ストーリーも予想もつかない方向に転がっていくので、集中して見ていてもどうしてこんなことになったのか、理解できないこともある。ただ、コメディなので、しかもとんでもないコメディなので、ここかしこで笑ってしまって、いや、唖然としてしまって、ストーリーなんてささいなものは気にならなくなる。もしかしたら、普通の映画も撮っているのかもしれないけど、繰り返しテレビで放送される映画は、この手の作品ばかりなのである。
いくつか見たことのある作品を紹介しておこう。最初は白黒の「ジェシーを殺したがるのは誰だ」である。この映画、正直、ストーリーはほとんど覚えていない。台詞が漫画の吹き出しのようなものに書かれて表現される衝撃が大きすぎて……。見たはずなのに、ちゃんと見たはずなのに、明確に覚えているのは、まつげの長い女性の顔のアップの脇に吹き出しが飛び出して、その中に「!」がいくつか並んでいる画面だけである。もう一度見直せば、これはこの映画だったかという場面が多数出てくるはずだけど。
この作品のストーリーの印象があいまいなものになっているのは、オルドジフ・リプスキーの怪作「殺人は四つで十分よね、あなた」と印象が重なるところがあるからかもしれない。こちらは、場面が進んで決めのシーンになると、突然効果音とともに画面がアメコミ風の絵に変わるというもので、高校の先生が主役だったような気がしないでもない。とまれ、ボルリーチェクとリプスキーの作品にはお互いに影響を与え合っているような関連性を感じてしまう。
二つ目は、「旦那! 未亡人なんですかい」である。リプスキーの作品も含めて、この手のナンセンスコメディというか、滅茶苦茶コメディというかの中では一番最初に見たし。見た回数も一番多いので、思い入れもあるし、ストーリーの把握も一番進んでいる。ヨーロッパのとある王国で、理想主義にかぶれた王様が軍隊の廃止を決めたところ、軍隊が反発して国王暗殺を謀るというのがメインのストーリー。主人公の占星術師がその暗殺を防ぐんだけど、そこまでの展開がとんでもなく、とても簡潔に説明できるようなものではない。
腕を切り落とされた貴族の血が青かったり、いとも簡単に人間の脳移植手術ができたり、その際に新たな人体を牛肉で作っていたり、見所というか唖然としどころはたくさんある。でも、この映画で一番の部分を上げるとすれば、イバ・ヤンジュロバーの演技だろう。この人、癖のある、一風変わった女性を演じるのがうまいのだけど、この映画でも、舞台女優の役と、その女優の顔をつけた牛肉から作られた人造人間に人を切り刻むのを楽しむ女性の脳を移植した存在を見事に演じ分けている。神経の通りが悪いとかで、ふとももに安全ピン刺すシーンとかぎょっとしてしまった。
三つ目は「ほうれん草はどう?」で、こちらは放射線を照射することで生物を拡大、縮小したり、若返りさせたり年をとらせたりする機械が登場する。ただその機械には欠点があって、ほうれん草を食べた後に照射を受けると効果が増大してしまって、何年かの若返りのつもりが赤ん坊になってしまったりする。主人公はこの機械を開発した研究序で下っ端として働いている二人の男で、技術の横流しにも関与していて、最後は勝手に機械を使って小さくなってしまって、犬に食べられてしまうんだったかな。
不条理コメディーとかナンセンスコメディーとか言いたくなるような作品でありながら、十分以上に娯楽作品でもあるところが、ボルリーチェクのすごいところである。リプスキーの作品もそうだけど、共産主義支配の馬鹿馬鹿しさを馬鹿馬鹿しさで乗り越えようとしたんじゃないかと考えてしまう。世界的に評価の高い「ノバー・ブルナ」の作品よりも、ボルリーチェクやリプスキーの超B級コメディーのほうが、はるかにチェコ的で面白い映画だと評価している。
2019年2月9日23時。
タグ:チェコ映画
2019年02月09日
バーツラフ・ボルリーチェク(Václav Vorlíček)1(二月七日)
チェコの誇る映画監督の一人、バーツラフ・ボルリーチェクが亡くなった。1930年6月の生まれだというから享年88歳。フォルマンといい、トシースカといい、チェコの映画界の伝説と言うべき人たちの死が続く。
日本ではチェコの映画監督というと、「アマデウス」のミロシュ・フォルマン、「ひなぎく」のビェラ・ヒティロバー、「つながれたヒバリ」のイジー・メンツルあたりが特に有名なのだけど、チェコでの一般の人たちの間での人気というと、作品がテレビで放送される回数から考えても、このバーツラフ・ボルリーチェクと「レモネードのヨエ」のオルドジフ・リプスキーのほうが上なんじゃないかと思われる。
特に、ボルリーチェクは大人向けの映画だけではなく、子供向けの(とはいっても大人も見ているのだけど)童話映画の傑作もたくさん撮っているから、チェコの人でボルリーチェクの映画を見たことがないという人は、まずいないと言っていい。その筆頭が、すでにこのブログでも触れたシンデレラ物の「ポペルカ」である。撮影の都合で珍しく冬を舞台にした童話映画になったため、毎年クリスマスの時期になると、くじ引きでどこかのテレビ局が放送している。最近はイースターや夏休みなんかにも放送するから目にする機会は多い。
それから、「ポペルカ」同様リブシェ・シャフラーンコバーを主役に据えたチェコの古典的な童話映画の「王子と宵の明星(Princ a večernice)」、イバラ姫(Šípková Růženka)を下敷きにした「いかにお姫様の目を覚ますか(jak se budí princezny)」なんかも、たまにテレビで見かける。子供向けの連続テレビドラマもいくつかあるが、最高傑作は何と言っても「アラベラ(Arabela)」であろう。童話の登場人物たちが生きている童話の世界と、現実の世界をつなぎ合わせて、行ったり来たりしながらドタバタ劇を引き起こすという作品のコンセプトは、現在から見ても古さを感じさせない。
ちなみにアラベラは、童話の世界のお姫さまの名前で、演じたのはスロバキア出身の女優だったけど、チェコ語があれだったらしく声はリブシェ・シャフラーンコバーあてている。これもドイツの出資で撮影されたものなので、最初から「吹き替え」は必須だったのかな。他は役者本人が声を当てているけどさ。革命後に撮影された続編では、シャフラーンコバーの妹のミロスラバが演じているのだが、最初の女優にギャラを吹っ掛けられて、ドイツの資金でも賄いきれなかったかららしい。
この童話、昔話的な世界と現実世界を結びつけるというのは他の作品でも試みられていて、もう少し年上の子供たち向けの「箒に乗った女の子(Dívka na koštěti)」では、地獄から『魔術大全』とでもいうべき大部の本を盗んで人間世界に逃げ込んできた魔女の女の子が引き起こすドタバタが描かれる。確か何の変哲もない井戸の底が地獄につながっていたと記憶するのだけど、この辺りもボルリーチェクの作品らしくていいのである。この作品は撮影技術の面でもなかなか見るものがあるらしいけど、それについて語るのは我が任にあらずである。
プラハのブルタバ川の川底のカッパの世界と現実のプラハを結び付けてしまったのが、「いかにムラーチェク博士を溺れさせるか(Jak utopit dr. Mráčka)」で、この作品にもリブシェ・シャフラーンコバーが主役で登場する。人間を魚にして水の中でも生きられるようにする薬とか、現実側でもちょっとマッドなぶっ飛んだ設定が出てくるけど、カッパの側でも国境を越えた国際会議とか妙に現実側に引きずられた設定が出てきて楽しい。悪いおっさんを演じさせたら最高のミロシュ・コペツキーの存在感も大きいし。日本の生け花の師匠の魂が出てくるのもこの映画だったかな。
この二つの若者向けの作品、上に書いた簡単な説明からもわかるように、コメディーである。中心となるストーリーもないわけではないけど、それよりもあちこちに仕掛けられた笑えるシーンのほうが頭に残っていて、どう始まってどう終わったのかあまり印象に残っていない。だから、たまにテレビで見かけてこんな話だったっけと驚くこともある。そのくせ妙に細かい、本筋とかかわらないところを覚えていたりもするのである。
ビロード革命後も、ドイツからの依頼で童話映画を何作か撮影していて、ボルリーチェクの作品、特に子供向けの童話異映画はチェコだけでなくドイツでも高く評価されているようである。他の国であまり知られていないのは、子供向けの童話映画となるとアニメにしてしまうからだろうか。それに一般向けの作品はあまりにチェコ的な滅茶苦茶コメディーで、吹き替えや字幕の作成が大変そうだしなあ。というところで一般向けの作品についてはまた明日。
2019年2月8日21時30分。
タグ:チェコ映画