2019年02月14日
「スラブ叙事詩」の行方(二月十二日)
七時のニュースをぼんやり見ていたら、プラハ市がモラフスキー・クルムロフにアルフォンス・ムハの「スラブ叙事詩」を貸し出すことを検討しているというニュースが流れた。いや、ニュースを聞いただけではよくわからなかったので、テレテクストの記事を読んだり、ネット上の記事を読んだりして確認することになったのだが、確か来年の春から、5年ほど、かつて50年近くにわたって「スラブ叙事詩」の展示が行なわれていたモラフスキー・クルムロフに貸し出す計画があるらしい。
このブログでも何度か触れているが、「スラブ叙事詩」の所有権に関しては、延々裁判が続いている。問題はプラハ市が、ムハが作品の譲渡の条件にした専用の展示施設を建設することを満たしていないことにあるのだが、今回の件だけでなく、2017年に「スラブ叙事詩」が日本に貸し出されたのも、ついに専用の施設の建設に踏み切ろうとした結果かもしれないのだ。
これが実現すれば、プラハ市はほぼ100年のときをかけてムハとの約束を果たし、最終的に譲渡の契約が有効だということになってしまうから(法律上は知らんけど心情的にはそう思われる)、「スラブ叙事詩」はモラフスキー・クルムロフにあるべきだと考えている人間にとっては痛し痒しなのだが、専用の美術館ができるのは喜ぶべきことである。本来はモラフスキー・クルムロフの城館をプラハの金で改装して、専用の施設にするべきだし、それがこの作品を寄贈されていながら100年もの間約束を果たさなかったプラハのなすべき贖罪であろう。尤もプラハにそんな殊勝さがあれば、100年も放置することなんてなかったか。
ところで、なぜプラハが専用の施設の建設に動いているかもしれないと考えたかというと、日本から戻ってきた「スラブ叙事詩」が、モラフスキー・クルムロフから強奪されたあとに展示されていたベレトルジュニーー・パラーツに戻されていないのだ。全部で20枚の作品のうち、半分は2018年のチェコスロバキア独立百周年を記念したイベントの一環で、昨年末までブルノの国際見本市会場で特別展示が行なわれていたし、残りの半分はプラハのオベツニー・ドゥームに展示されていた。
そして、プラハ市議会ではホレショビツェの見本市会場内の建物の別館を建てるか、建物を拡張するか、することで専用の展示会場にするという決定がなされたらしい。ただその後の市議会選挙で政権交代が起こったため、決定の見直しが行なわれているようだが、ベレトルジュニーー・パラーツでの展示はできないようで、展示会場を見つけるか、新たに建てるかしなければならないのは確実なようだ。
ニュースでもインタビューに答えたプラハ市の役人が、新しい展示会場が確保できるまでの間、貸出先が見つからなければ、巻き取って倉庫に保管されることになると語っていた。現時点ではモラフスキー・クルムロフは貸し出し先の候補の一つに過ぎないようで、プラハ市側から、城館の改装、つまり気温と湿度を一定に保てるような設備の導入を条件としてつけられている。モラフスキー・クルムロフ側はその申し出を受けて、なんとしてでも資金を集めると言っているようである。実際にモラフスキー・クルムロフに戻るかどうかは、今年の三月か四月までに決まるらしい。
ということは、我々「スラブ叙事詩」モラフスキー・クルムロフ展示派がなすべきことは、まずモラフスキー・クルムロフが城館の改装に成功して「スラブ叙事詩」が戻ってくることを祈ること。そしてプラハの新しい展示会場の建設が、場所の決定に時間がかかったり、土地の所有者ともめたり、変な建築会社と契約して工事が進まなかったりで、うまく行かないことを祈ることであろう。いろいろなものがありすぎるプラハで、巨大な「スラブ叙事詩」を20枚まとめて展示的できる会場なんてそうそう見つからないだろうし、そうすれはモラビアで、5年といわず、10年、20年、展示が行なわれ続ける可能性も出てくる。
この話、最初は「ふざけるなプラハ」という題名にするつもりだったのだけど、専用の展示会場を建てようとしていることに築いたので改めることにした。それでもそんな気分はまだ残って入るんだけどね。
2019年2月13日23時55分。
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